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運命のつがい ⑧
しかし、俺のそんな小さな希望は、あっけなく踏みにじられることになる。
夢川の病名が判明してしばらく過ぎたある休日の午後、殿塚薫が我が家のチャイムを押したのだ。
――俺の心証が影響しているのか、後から思い出すその日のチャイムの音色は、やけに不吉な響きを伴って記憶にこびりついている。余談だが、夢川の事故後しばらくは、電話のベルにも俺は過敏になっていた。どうしても事故の連絡時のことが思い出されて、駄目だった。
突然の訪問に驚いた俺たちだったが、ケーキ持参で訪ねて来た殿塚をまさか玄関先で追い返すこともできず、しぶしぶ招き入れた。ちなみにアポなし訪問である。礼儀にはもとるし、……そもそもなんで本日、俺たちが在宅なのを知っているのか。本当に気持ちの悪い人である。
「常々思っていたのですけど、あなた、さてはストーカーですか」
「残念ながらストーカーにいそしめるほど暇じゃあないよ。それにどうせするなら碧をストーキングするね」
「雛森委員長は一緒じゃないんですか…?」
「……雛森じゃなくて殿塚碧は仕事だよ。残念だったな、手嶋委員」
「対外的には今もまだ雛森ですよね。それに俺も今は夢川です、殿塚元生徒会長」
「籍は入ってる」
「……なんで委員長はこんな人と番になっちゃったんだろう…、他にもっといい人たくさんいるのに…」
「……おまえも大概しつこいよな…。もういい加減時効だろう」
「恨みに時効なんてありませんよ」
「あいつに恋慕するおまえが悪い」
「…………これだから俺様は」
人の家の玄関先で、恋敵を撃ち落としただけだと、にこやかに言い放つこの性格の悪さ。
忘れもしない。
かれこれ二十年近く前に、やはりこんな風に笑ってこの極悪生徒会長は俺を煽ったのだ。
『たとえ番になれなくても、同じαが恋人同士になれない法はないだろ?』
かつて…、殿塚生徒会長は遊び人で知られていた。
中学時代などは、老若男女問わずまさにとっかえひっかえだったらしい。
年齢すら気にしないので、噂では上は熟女、下は小学生までいたというのだから、もはや犯罪である。警察にしょっ引かれればいいのに。叩けば黒い埃 がごまんと出てきそうなんだから。
副会長だった夢川を振った(?)Ωが学園を去った夏休み明け、急激に生徒会長と委員長の距離が縮まった。殿塚生徒会長が雛森風紀委員長を見つめる眼差しには、かつて目にしたことのない色気と甘さがあった。元々、親友同士だった二人だが、殿塚の態度は明かに友情の範疇を超えていた。それは、はたから見ていてもわかる、あからさますぎるほどにあからさまな変化だった。
『委員長はαですよ。ヘンなちょっかいかけるの、やめてくれませんか』
俺はどうにも見かねて、敵愾心も露わに生徒会長へ食って掛かったのだ。――あの当時、俺はまだ命知らずだったし、必死でもあったし、やっぱり年相応に青かった。
それに対する殿塚の返事が前述したとおりのもので、俺は簡単にその挑発行為に乗ってしまった。
……とにかくこんな奴の毒牙にかかってしまう前になんとかせねば、いや、もうすでに遅いのかもしれないけれど、取り返しのつかないことになってしまう前に…あの清廉な人が深く傷つけられる前に、なんとか委員長を救いたい、という独りよがりな使命感にもかられ、俺は委員長に告白したのだ。
そして玉砕……。俺の恋心はあえなく砕け散った。
結果、巡り巡って紆余曲折を得た果てに俺は夢川と結婚し、かわいい子供を二人も儲 け、幸せを享受しているのだから、「もっと感謝すべきなのに、手嶋は俺に対する感謝が足りないね」と殿塚に言われても仕方ないのかもしれないのだが……未だに、まったく感謝する気にはなれていない。
腹が立つのは変わらないし今でも根に持っているので、たぶん一生感謝の言葉など口にしないだろう。
実際のところ、鷹揚に見せ掛けてはいるが、殿塚は心が狭い。
委員長に可愛がられる俺が鼻につき、きっと疎ましかったのだろう。
それからしばらくして委員長がΩだと判明した。
……つまり、俺をけしかけずに放っておいても俺は自動的に失恋したはずなのに、わざと背中を押すようなことをしたのは、絶対に俺が目障りで邪魔だったからだ。さっさと振られてしまえと思っていたに違いない。
もちろん、あの目端が利く人が親友の本当の性種を知らなかったなんてことはないだろうから、すべてわかっていての犯行だった。いたいけな青少年の恋心を踏みにじってくれた奴は、誰がなんと言おうとまごうことなき極悪人である。
いつか天罰がくだるに違いない。
俺の天敵ともいえる殿塚だが、夢川の幼馴染でもある。
夢川に大事な用があると言われれば、家に上げないわけにはいかなかった。
殿塚が持参したケーキを遠慮なく開け、少し早いが午後のティータイムにする。ケーキは俺の好きな洋菓子店のものだった。本当に元会長様は抜け目がない。もちろんケーキ自身に罪はないからおいしく頂くけれど。
ケーキ箱の中には色とりどりの果実を使った宝石のようなケーキが整然と並んでいて、俺のテンションは少しだけ上がった。……いや、わりと急こう配で上昇した。仕方ないからお客様用の紅茶を出してあげよう。この素晴らしい芸術作品には、それに見合った上質の茶葉を用意しなければ申し訳ない。決して会長のためではない。ケーキのためだ。
子供たちはダイニングテーブルで食べるように準備し、殿塚にはリビングのソファーの前に置かれたローテーブルに、紅茶と一緒におもたせのケーキも出した。もちろん殿塚の皿には一番小さなケーキを載せておいた。
殿塚が一人用ソファー、夢川が三人掛けソファーに座っていたが、俺はテーブルに茶器とケーキをセッティングした後、子供たちの方へ戻るつもりだった。
しかし、殿塚に引き止められたため、結局、夢川の隣に腰を下ろした。
「……自分の家で、親が傍にいないと食べられないほどもう子供じゃないだろう? 手嶋も一緒に話を聞け」
――その言い方に反発心が湧いたが、ぐっと堪えて大人しく話を聞く態勢になる。
殿塚が頭ごなしにこういう物言いをする時に逆らっても無駄だからだ。
「俺もいろいろ調べて、伝手を探してみた」
殿塚は前振りもなく話し出した。
それでも話の内容にすぐさま察しがつく程度には、殿塚という人間を俺たちは知っていたし、付き合いも長かった。
「――俺だって、わざわざ家族団欒を面白半分に邪魔しに来たわけじゃないさ。夢川のところじゃなければ足を運ぶこともないだろうしね」
αは縄張り意識が強いらしく別のα を自宅へ招くことを嫌う。
テリトリーを侵害された気になるという理由で。
大きな屋敷を所持していたり、別宅や別荘などでパーティーを開き、そこへ他のαを招待するのは往々にしてあるが、それは、示威行為の現れだったり、虚栄心を満たすための行為に他ならない。
ただ、その際も家主であるαの生活圏へ無暗に踏み込むのは禁止事項(マナー違反)とされている。
……Ωも面倒くさいイキモノだと思うが、実はαだって相当面倒なイキモノだと俺は思っている。
αの習性はともかく、――確かに、この日の殿塚は公人としてよりも夢川の友人という立ち位置で我が家を訪れたようだった。
ケーキだけではなく、夢川へ一つの希望を携えて。
「『始祖』と呼ばれる一族を知っているか?」
「……一応、話には聞いたことはありますが…」
「始祖?」
俺は聞いたことがなかった。
知らない俺に、夢川が説明してくれる。
「私も詳しく知っているわけではないのですが……」
古来、性種の起源であるとされているのが『始祖の一族』であるという。
「え? それって…もし本当なら教科書に載っていてもおかしくはないですよね?」
「そうですね、もし事実なら載っていてしかるべきところですが…」
言葉を濁した夢川に俺は首を傾げる。
「…? 嘘ってことですか?」
……自分の祖先は偉いんだぞ、と単に自慢したいだけのちょっと痛い一族なのだろうか?
「いえ、――たぶん、それは真実なのですが、ほとんどのαでさえ知らない…トップシークレット扱いに等しい情報なのです」
「……ちょっと待ってください。それ、下手に知ったら命が狙われかねないヤバいネタってことはないですよね?」
「まぁ、あちこちに吹聴して回ればちっぽけな命の一つくらい吹き飛ぶかもな」
横からしれっと俺の命を塵より軽く扱ってくれた殿塚に噛みつく。
「――怖いこと言わないでくださいよ! なんでそんな話聞かせるんですか…!」
もうホント、この人イヤだ。帰ったら即刻、塩を撒いてやる。
「『始祖の一族』は排他的な秘密主義で、とにかく外部からの干渉を嫌います」
「選民思想に凝り固まった連中だからな。自分たちの存在を特別なものと思っている」
殿塚は皮肉を交えて言ったが、俺にしてみたら目くそが鼻くそを笑っているようにしか見えなかった。それは始祖に限らず、ほとんどのαの特性でもあったから。少々表現が汚いのは見逃して欲しい。なにぶん今の俺はその「目くそ」のせいで気が立っている。
俺の見解はそうであったものの、もはや常識とも云えるわかりきったことだったし、今そこを追及しても無意味であるから心の中にとどめ、別の質問をした。長年αに混じって秘書を務めたことで身についたスルースキルだ。
「始祖って…どういう意味でしょう…?」
人類の起源と性種の起源は別物ということなのか?
人間は、はじめからα、β、Ωの三種に分かれていたわけではない?
「字の通りさ。祖となる始まり。そもそもα…、いや、三つの性種がどのようにして分かたれたのか。なぜ三種の性ができたのか。はじまりがわかっていない…いや、隠匿されているのさ。『始祖の一族』によって」
「…じゃあ、もしかして、『始祖の一族』は始まりの真相を知っているってことですか?」
「そういうことになるな」
「……………え、もしかして、殿塚会長が『始祖の一族』だったりします?」
偉そうだし俺様だし、いかにも『始祖』っぽい。
しかし、彼は首を横に振った。
「違う」
「……」
「……なんでそんなに残念そうなのかな? 手嶋委員」
「……殿塚生徒会長でも『始祖』じゃないなら、『始祖』ってどれほどの俺様なのかと想像すると空恐ろしいというかできれば一生会いたく」
「そうか。なら喜べ。俺はおまえらを、その『始祖』と会わせるためにわざわざ出向いたんだからな」
「会いたくない」と続けるはずだった俺のセリフを横から強引に掻っ攫って微笑んだ殿塚の顔は、俺にはまるで悪魔の使いのように見えた。
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