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運命のつがい ⑨

 殿塚の説明によると、『始祖の一族』には不思議な力が備わっているのだそうだ。  自分たちを選ばれた存在だと豪語するだけあって、その力はかなり特異なものだというが、――これまた秘匿されていてそれがどんな種類の力なのかは世間には知られていない。――とにかく、どこまでも秘密主義な一族らしい。  殿塚が言うには、そんな『始祖の一族』なら、夢川を治すなんらかの手立てをもってるかもしれない、ということだった。  ――正直言って、滅茶苦茶あやしげな話である。  話を持ってきたのが殿塚でなければ、ヘンな新興宗教の勧誘か、新手の詐欺か、ときっと相手にもしなかったと思うくらいには、非常に怪しい。 (だいたい『不思議な力』とかいうのも漠然とし過ぎているしなぁ…。子供のアニメ番組だって、もうちょっとはっきりとしているぞ? 治癒の力とか電撃とか巨大化するとかさ。『不思議な力』なんて言われてもさっぱりだよ。会長も、せめてどんな系統の力かくらい教えてくれればいいのに…)  殿塚には、とりあえず会ってみての話だと言われてしまった。  たぶん、話を持ってきた彼にしたって、はっきりしたことはわからないのだろう。  ――あのやり手の会長にしてはどうにも手際が悪いというか、……これまた怪しい。 (あれはたぶん、知っていても今の段階では俺たちには話さない…話せないってところかもな)  なにしろ相手は、深入りしたら命を狙われかねないトップシークレット級の秘密主義な一族だ。  そんな恐ろしげな『始祖の一族』とやらに渡りをつけ、なおかつ面談のセッティングまで取り付けた殿塚の手腕は、悔しいが認めざるを得ないだろう。  ――けっこう脅すようなことも言われたが、本当にこちらに危害が及ぶようなことはないはずだ。ないと信じよう。一応あれでも敬愛する雛森委員長の番である。俺は認めたくはないけれど、委員長が認めた相手だ。 「とうと、おかし、かってもいい?」 「うん、三つまでな?」 「あい!」 「歩も選んでいいよ?」 「はい、父さん」  スーパーで、俺はカートを引いて子供たちと買い物をしていた。  ――駐車場には、新しく運転手を務めはじめた「守矢」が待ってくれている。  「守矢」は先の事故で亡くなった守矢の息子さんだ。  俺たちよりも十ほど年上の壮年の彼は、守矢よりも少し寡黙で守矢よりも少し背が高い。  彼が、俺たち家族の次の運転手に名乗りをあげたと聞いた時には驚いた。 『遺言…というわけではないのですが、自分の跡目を俺…私に…という話は以前から聞かされていましたから。精一杯務めさせていただきます』  守矢によく似た丁寧さで、そう挨拶された俺は涙をこらえることが出来なかった。 (守矢さん……)  俺たちはあの事故で大切なものを――喪った。  守矢はどうあがいても取り戻せないが、もしかしたら……夢川の症状には改善の可能性があるかもしれない。少々胡散臭い話だが、一筋の光明に違いはないし、たぶんただ一度だけ与えられた得難いチャンスなのだろう。  俺たちは、それに縋ることに決めていた。 「あ、そうだ」  子供たちがお菓子コーナーで玩具付き菓子を選んでいる間、俺はちょっとした思い付きで目当てのものを探し、買い物かごの中にそれらを追加する。  それは懐かしさと遊び心、単なる洒落(シャレ)だった。  レジを通って清算を済ませたそれらを、俺は忘れないようにすぐに自身のカバンの中に入れた。  * * *  『始祖の一族』との面談は、世界的にも名の知れた高層ホテルのスイートルームで行われた。  場所を提供したのは殿塚だ。  殿塚の実家は巨大ホテルチェーンを経営している。――つまり殿塚は、ホテル王の息子であり後継者だった。  今回、面談に用意されたのも、系列ホテルのうちの一つである。  通された広いリビングルームは、和のテイストと洋式が絶妙な配分で融合した大正ロマンを思わせるデザインで演出され、インテリアも一級品のものが取り揃えられ、上品な落ち着きの中に遊び心も隠されているような……まぁつまり端的に言うなら、庶民派な俺にとってはかなり敷居の高い高級感あふれる内装の部屋だった。さすが一流ホテルのスイートルームである。  殿塚が経営するグループホテルは、日本の古式ゆかしい様式美を現代風にアレンジしたホテル経営を売りに全国展開しており、ヨーロッパやアジアにもいくつかホテルをもっている。  先日の夢川の出張は、新プロジェクトとしてアメリカ進出を考えている殿塚の視察に付き合ったものだった。  不幸中の幸いではあるが、そちらの方は順調に話が進んでいるらしい。  俺たちを出迎えたのは殿塚一人だった。  くだんの『始祖の一族』はまだ到着していなかった。  聞けば、約束の時間にはまだ三十分ほど間があるという。  相手が仕事の都合で夜にしか時間が取れないらしく、俺たちに伝えられた待ち合わせの時間は19時30分だった。しかし、本当の約束時間は20時だった。三十分早い。  子供たちを実家に預けてきた俺は、少し機嫌を損ねて殿塚に不平を言う。 「だったらもう少し家を出るのを遅らせられたのに…どんな嫌がらせですか」  もう少しゆっくりできたし、子供たちとも一緒にいられた。  たった三十分と思うかもしれないが、小さな子供を持つ親にとって三十分という時間は、たぶん世間が思う以上に大きい。 「嫌がらせではないさ。ひとの行動を頭ごなしにそう悪意に取るものではないよ」  しかし、殿塚はいつもと変わらぬ鷹揚さで俺の口撃を優雅に(かわ)す。……人間の出来が違うと見せつけられるようで本当に腹立たしい。 「先日、そちらへ(うかが)った際に言いそびれていたことを、彼らが来る前に少し補足しておこうと思ってね」  俺たちは殿塚に促され、六人掛けのテーブルについた。テーブルの天板は一枚板で、川の流れに似た木目が美しく、かつ重厚な一品ものだ。  その磨き抜かれたテーブルを挟んで殿塚も座り、おもむろに口を開く。 「始祖の能力についての話だ。――これは、本来なら身内にしか明かされることのない話だから、心して聞いて欲しい。おまえたちを信用して話をするんだから、俺の信頼を裏切るような真似をするならそれなりの報復があると思ってくれ」  そんな恐ろしげな話は正直なところ聞きたくなかった。  しかし、夢川の治療に関わることなら覚悟を決めるべきだろう。  殿塚は、俺と夢川の顔を交互に見据え、珍しく真剣な面持ちでそれを口にした。 「『始祖の一族』の者は他者の性種を変えることができる」  俺は瞬間的にその言葉の意味を捉えかねた。  だから、ゆっくりと言われた言葉を頭の中で反芻する。 (他者の…性種を…変える…)  夢川も驚いたのかすぐには反応しなかった。  しばらくその意味を吟味した後、殿塚に確認する。 「それは……どんな性種でも可能なのですか? 望む通りに変えられるということですか?」 「対象となる種はなんでもいい。ただ、変化後の種は決まっている」 「……」  なぜか殿塚の視線が夢川ではなく俺を捉えた。そして、その理由は直後に判明する。 「オメガだ」  その場が、どこか重々しい沈黙に支配された。  沈黙を破ったのは夢川だった。  俺は、なぜか殿塚から目線が外せないでいた。  ――その視線の意味を考えるのが、怖かった。 「ならば、私が始祖の人間と会っても仕方ないのでは?」 「……いや、そうでもない。今日、ここで会うことになっている人物には他にもいろいろ力があるそうだから、医療機関ではわからないようなおまえの状態も何かわかるかもしれない。なにしろ『始祖の一族』様だから、俺たちが知らない秘術…なんてものも一族には伝わっているかもしれないしな」  俺は話をはぐらかしたくて、別の話題を振った。 「そんな特殊な一族と会う約束を取り付けるなんて、さすが会長ですね。……どうしてそこまでしてくれるんですか?」  嫌味混じりの俺のセリフに、殿塚はほんの少し苦みが含まれた笑みを唇にたたえ、テーブルの上に組み合わせた両手に視線を落とす。 「――守矢には俺も良くしてもらったからな……。あの日、空港で俺が荷物の受け取りに手間取らなければ、あんな事故には合わずにすんだはずなんだ」  後々夢川に事情を聞いたところ、それは殿塚に非があったわけではなく、空港側に不手際があっためだったのだが、それでも忸怩たる思いがあるのだろう。ほんの一瞬のタイミングの差で、人の生死がわかれることもある。今回、夢川たちを襲った悲劇はまさにそんなケースだった。あと一分早くその場所を通り抜けていたら……誰もが思う嘆きだ。  静かに語られた内容に、俺はようやくここまで殿塚が深入りし、骨を折ってくれた理由を知った。殿塚は殿塚で、夢川への罪の意識と守矢への弔いの気持ちがあったのだろう。  だけど――……  殿塚の思惑はそれだけではなかったのだ。  俺が、俺に向けられた殿塚の視線の意味を思い知らされるのは、『始祖の一族』と対面を果たしてからである。  『始祖の一族』の者は、定刻通りにやってきた。  ――そう、現れたのは一人ではなく、複数人だったのである。  しかも、その内の一人は顔見知りだった。  かつて高校時代、夢川と同時期に生徒会執行部に席を置いていた会計、――神代(かみしろ)(ゆう)。 「神代…?」 「ふくかいちょー、久しぶり~」  昔同様、軽薄な口ぶりで挨拶をする神代は、しかし、随分昔よりも落ち着いた風貌だった。どことなく気品や風格すら漂っている。  夢川や殿塚と同学年だった神代は、これまた校外にまで浮名を流す遊び人として有名だった。噂では、セフレの数が十指に余るほどだったというのだから相当だ。  人目を引く派手な容姿は会長だった殿塚と張るほどで、だが、殿塚が(あで)やかな薔薇なら、神代は華やかなカトレア…といった具合に少しだけ系統は異なっていた。  ちなみに、我が愛しのダーリンである夢川は、花にたとえるなら清楚な百合だと俺は個人的に思っている。  あの代の生徒会は、異様に顔面偏差値が高かった。 「聞いたよ? 不能になっちゃったんだって?」 「……言葉を選んでください。不能ではなく性フェロモン失調症です」 「似たようなものでしょ」  ……思い出した。この人、女癖も悪かったけど性格も相当捻くれていたんだった。 「てっしーも久しぶり~、結婚式以来かな? なんか貫禄出て来たね! いかにも肝っ玉母さんって感じ」 「母さんじゃなくて父さんです」 「Ω(オメガ)なんだから似たようなもんでしょ」  「てっしー」と言うのは神代が昔俺につけたあだ名だ。  手嶋だから「てっしー」。まったくもってセンスの欠片もない適当なあだ名である。嫌がらせとしか思えない。 「……ホントはねー、こういうのいけないんだよ。よそ者に力を貸すの。でも、まぁ副会長は昔なじみだし、会長は一応親戚みたいなものだからね。昔の恋敵に塩を送る俺って、とっても心が広いと思うよ。――じゃ、かいちょーさん、この貸しは大きくつくからね~」  神代はそう言い残してくるりと背を向けるとさっさとその場を去ろうとする。  引き止めたのは夢川だった。 「神代。貸しは私が受け持ちます。殿塚には…」 「あーいいのいいの、そーゆーの副会長は気にしないでいーの。……相変わらずだねぇ。でも、俺はあんたみたいに大切に育てられた人間は嫌いじゃないよ。人間は好きなんだよ、俺。簡単に騙されてくれるから」  言葉を失った夢川を、どこかほの暗い瞳で一瞥すると、自分が連れて来た男性二人に「あとはよろしくね」と言ってその横をすり抜ける。 「当主」  灰色っぽい不思議な髪色をした片方の男性が、…おそらく神代のことだろう…、そう呼んだ。 「――あんたにそう呼ばれるのは不愉快だって、言ったよね。忘れた?」  驚くほど冷えた声が、男に返される。  瞬間的に眉間にシワを寄せた男だったが、場をわきまえてか一呼吸置いてから言い直した。 「…悠さん」 「なに?」  素っ気なく問う神代からは、かすかな苛立ちが垣間見えた。 「できれば立ち会って欲しいんだけど」 「どうせ居ても役にはたたないよ。嫌だね」 「それってちょっと無責任じゃないんですか?」 「全部投げて逃げ出した君ほどではないつもりだけど?」  露骨に当てこする神代に、さすがに灰色髪の男も鼻白んだ表情になり、どこか一触即発の雰囲気が二人の間に立ち込める。  神代の態度も褒められたものじゃないが、呼び止めた男性の方もどことなくふてぶてしい。下手に出ているようでいて、たぶん元来、尊大だろう本性を抑えきれていなかった。 「おいおい…、人様の前でいい年した大人が喧嘩なんかおっぱじめてくれんなよ? 暴力沙汰は勤務外だって見逃せねぇぞ?」  しかし、もう一人の男性が二人の間に割って入ったことでその場はなんとか事なきを得たようだ。 (…あれ? この人、どこかで…)  精悍な風貌の男性には、どことなく見覚えがあった。  最近ではなく、たぶん結構前…、でも、深い付き合いがあったとかそういうんじゃなく―― 「貴方は…もしかして…?」  夢川にも心当たりがあったのか、男性に向かって中途半端な問いかけをする。  男性が、俺たちの方へ視線を投げ、片手で男臭く頭を掻いた。 「……なんだ、そっちも覚えてたか。俺は仕事柄けっこう人の顔なんかは忘れない方なんだけど、よく覚えてたな」  正面から顔を見て、その力強く誠実そうな眼差しを向けられた俺ははっと気づいた。いや、思い出した。 「あ…! あの時のおまわりさん!」 「そう、あの時のおまわりさんです」  どこかおどけて笑う顔は、結構な時が経っているにも関わらず、若々しく、驚くほど変わっていなかった。

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