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運命のつがい ⑩
彼は、俺が夢川にプロポーズされた時、急に街中でヒートを起こしてしまい立ち往生していた際に声をかけてくれた警察官だった。
「もう…何年前になるかな…。いや、こんな偶然、あるんだなぁ、びっくりだ」
そう言いつつも、そんなに驚いている様子はない。
たぶんあまり物事に動じない大らかな気質なのだろう。
「……あの時はありがとうございました。せっかく声をかけてくださったのに……失礼な真似をしてすみませんでした」
「いやいや、……無事だったんならいいんだけど。まぁもし、不本意な関係を甘んじて受け入れて…今も一緒にいる、なんてことならいつでも関係を切られるよう手助けするがな。そこんとこどうなの?」
「上手くやっているに決まっているでしょう」
答えたのは俺ではなく夢川だった。あの時のように半歩前に出て、俺を後ろへ隠そうと動く。
「ちょっ…やめてください、こんなところで…! ……ええと、大丈夫です。ご心配には及びません。夢川とは結婚して、子供も二人いますし、仲良くやってます!」
夢川の影から俺は顔を覗かせてかつての恩人に訴えかけた。
「なんなの、知り合いなの? じゃあ、ますます俺は用なしだね」
自分から注意が逸れたのをこれ幸いと、神代はひらひらと手を振り、びっくりするほど素っ気ない態度で部屋から出ていった。最後まで軽い対応だった。……あれが『始祖の一族』の当主なのか、と俺の中にあった仰々しいイメージは一気に崩れおちた。正直、相当なイメージダウンだった。
「っち、逃げやがった」
……そして、灰色の髪の男性の舌打ちを聞くにつけ、その思いはますます強まった。
チャラい当主に、ガラの悪い部下(?)らしき男に、男前な警察官。
『始祖の一族』は、まったくもって統一性がないメンバーで構成されているようだった。
神代が去った後、俺たちはソファーに場所を移動し、互いに自己紹介をすることから始めた。
先にこちらが名乗り、残った『始祖』の二人が後に続く。
ガラの悪い灰色髪の男性が香月 駿 、親切な男前警察官が香月 一颯 とそれぞれ名乗った。
もちろんその名が、この場限りの偽名である可能性も考えられる。しかし俺はなんとなくそれが彼らの本名である気がしていた。
『始祖』は秘密主義な一族らしいが、そんな先入観は抜きに、彼らは偽名を騙 るタイプには見えなかった。
二人が同じ名字なのは、同じ一族内の親戚筋だからなのか…。兄弟には見えないが、従兄弟かなにかかもしれない。年齢不明ではあるものの、一颯――長いし二人の区別をつけるため名前で呼ばせてもらうことになった――、の方が俺たちよりも少し年かさで、駿の方は俺たちと同年か、少し若そうな雰囲気があった。しかし、それは服装のせいもあるだろう。一颯はジャケットを着用した年相応な身なりをしていたが、駿はいわゆるストリート系と呼ばれるような若干クセのあるラフな服装だった。モスグリーンのブルゾンにジーンズという出で立ちは、ホテルのスイートルームの内装の中では若干浮いている。
名刺交換などもない、フルネームを教えあうだけの簡単な自己紹介が終わり、なにか飲み物を用意しようと席を立とうとした俺を、「匂いが邪魔になるから飲み物はいらない」と香月駿が引き止めた。
「匂いが邪魔」と言われて腑に落ちないものを感じつつも、俺はソファーに座り直す。
「じゃあ、さっそく本題に入ろうか」
そのタイミングで口火を切ったのは、やはり殿塚だった。こういう場を任せる人物としては、悔しいけれど最適だ。
「……一応、だいたいの話は神代から聞き及んでいると思うが、夢川の性フェロモン失調症を治す、あるいは改善する手立てがあるなら教えて欲しい。そちらの血族には特殊な力が備わっていると聞いている。あるいは歴史ある家だから、こういうケースに即した古来から伝わる治療法などの知恵があるなら授けてくれないか」
駿がどことなくうんざりしたような視線で俺たちを見やる。俺と夢川は彼らの対面に、殿塚は側面の一人用ソファーに着いていた。
「時々さ…、いるんだよね。俺たちを魔法使いだかなんかと勘違いしているような連中。確かに昔はそれに近いような力もあったかもしれないけど、――一族の人間だって今はもうほとんどなんの力もない奴らばかりだよ。一族内にはβの数だって多いしね」
「――なら言い換えよう。君になら治療は可能か?」
殿塚の一言に、ぴりっと『始祖』の二人に緊張が走った。
「悠さん…、少し口が軽すぎるんじゃねーの?」
この場にいない神代に文句を言って、駿は天井を仰いだ。
……俺も驚いた。一体、殿塚はなにをどこまで知っているのだろうか。相変わらず腹黒会長コワい。彼らの警戒を目の当たりすればわかる。たぶん、それは本来、部外者が知るはずもない情報なのだ。
しばらく逡巡する様子を見せた後、駿は改めてこちらに向き直った。
強い視線の奥に、……なにか不穏な影を感じ取り、俺の手のひらがじんわりと汗ばんだ。
「イエスと言えばイエスだし、ノーと言えばノーだ。俺のできることも限られている。αのあんた…」
夢川に視線を流し、彼は続けた。
「夢川だっけ? あんたを直接治すことはできないが、あんたの番を介すれば、あるいは治療も可能かもな」
「――? どういうことです?」
「見ての通り、俺はαだ。しかも、純度の高い『種』持ちだ。自慢じゃないが現存する『始祖』の中では俺の『種』が一番濃い。……なんの因果か、純血のはずの当主以上にな。そして、俺の上等な『種』はΩにとって興奮剤に等しい。一発で発情するし、発情時には高濃度のフェロモンを誘発させるのさ。つまりあんたの番と俺がセックスして、そのあとあんたが番とやれば、Ωを介して間接的に俺の『種』があんたにも強い影響を与え、その刺激がトリガーの役割を果たすことで、あんたの「なんたらかんたら症」ってのも治る可能性があるって話だよ」
「…なっ」
「それは…」
夢川が勢いよく立ち上がって、駿を怒鳴りつけた。
「ふざけないでください!!」
俺は、夢川がそんな風に声を荒げる姿をはじめて見た。
全身を震わせて隣で立ち尽くす夢川の顔を、呆然と見上げる。
(セックス…、俺が、――……理さん以外と…?)
眦 をつりあげた険しい顔は、やはりかつて目にしたことがないものだ。
……それもそうだろう。
先ほどの内容では、俺が夢川の前で他の男に抱かれるという意味にも取れる。いや――、たぶん、その解釈であっているのだろう。だからこそ夢川はこれほどまでに怒りを露わにしているのだ。
のろのろと視線を動かして、非常識極まりない提案をしてきた駿を――『始祖』の頂点にいる男を見た。
まるで、自らをαの王とでも言わんばかりに傲然と俺たちを眺める視線と目が合った。琥珀色の瞳がぎらりと不可思議な輝きを放ち、俺の全身を絡めとる。獲物を狙う野生の狼のような目だった。
汗の滲んだ手をぎゅっと握る。
――決意を、試されていると感じた。
俺がどこまで夢川のために、愛する者のために身を投げ出せるのか、と。
その咢 の前に、柔肌を捧げ、喰われる覚悟はあるか、と。
「あ…」
「許しませんよ」
俺が発しようとした言葉の先を、鋭い声が奪った。
「絶対に、そんなことは許しません。君にそんな真似をさせるくらいなら私は一生このままでいい」
――でも、社長。
でも、理さん。
俺は……、俺は――、あなたと――…
ひくつく喉を動かして、もう一度声を絞り出そうとしたとき――。
――ぱかーーん!!
…と、やけに軽快な音が豪華なスイートルームの室内に響き渡った。
「!???」
さっきまで傲然ともたげていた駿の頭が、一瞬で大理石のローテーブルに沈み込む勢いで前のめりになっていた。
唖然としたのは俺ばかりではない。
その場の空気が一発で変わった。
文字通り、駿の頭へ見事なスイングで叩き込まれた平手打ち一発で。
そして、それをなした人物は周りの反応も無視して駿を怒鳴りつけたのである。
「おまえは一体なにを言いだすんだこのバカ犬が!」
「――ってぇ~~なぁ!! なにすんだよ!! つか、俺は犬じゃねえ!!」
「なんでこんなアホな駄犬に育っちまったのか…、俺は自分が情けねぇよ…」
「……っちょ…、マジ泣きすんなよ。え…ごめん? ごめんなさい? 謝るから! 俺が悪かった! 言い過ぎた! だから泣くなって…」
肩を落として目頭を押さえた一颯に、駿は弱り切った顔をして、本気でおろおろしだした。
さっきまでとは態度が一転しており、俺は再び唖然とした。――一体、なんなんだ…?
「これは…ちょっとええと…俺にも言い分があってだな……」
「言い訳は聞かない。謝れ」
「もう謝ったじゃん! ごめんなさいって!」
「彼らに謝れ」
地を這うような声で恫喝…じゃなかった促され、駿はしぶしぶこちらを向いて「ごめんなさい」という謝罪付きでぺこりと光沢のある灰色頭を下げた。やけに素直な態度に、こちらも毒気を抜かれ「いえ、大丈夫です」などと返してしまう。
(なにがなんだか……)
状況がさっぱり見えない。
――ただ、さきほどの提案はどうやら立ち消えて…なかったことになりそうだった。
「他に方法はないのか?」
謝った駿にそう声をかけた一颯の両目に涙の痕はない。
「嘘泣きかよ…アラフォーなおっさんがウソ泣きとか引くわ…」
「俺もおまえのさっきの発言にドン引きだったわ」
「それは……、あーもう! はぁ…、だから謝っただろ?」
「ふん。――で? 他になんか解決策はねーのか?」
再び駿の視線が俺たちへ向けられた。
「あのさ…気になってたんだけど、――あんたら番の契約、なんでしてねーの?」
ぎくりと肩が揺れた。
『始祖』というのは、そんなことまでわかるのか…。
何度も繰り返すようだが、俺のフェロモンは薄い。薄いがゆえに、独り身のαにも感知されにくい。しかも俺は婚姻済みだから、大抵のαは俺のフェロモンの薄さから、当然のようにすでに番契約を夢川と交わしたものだと勝手に思い込んでくれるのだ。
だから、殿塚やその番である雛森委員長や、身近な血縁者以外で俺たちが番になっていないことに気づく者はこれまでに一人もいなかった。
「……それは…」
どう説明していいかわからない俺の横で、夢川がまだどこか怒りを滲ませた固い声で答えた。
「プライベートなことです。説明する義理はありません」
「……おっかねぇの。まぁいいけどさ。――番契約してたら違ってたのにって思っただけだ。契約済みの番がいればあるいは、…たとえば俺とセックスなんかしなくてもちょっと血を舐める程度でなんとかなったかもな。あるいは、――あんたらが『運命の番』なら、また話は別だけど」
「運命の番なら…?」
俺はその言葉に思わず身を乗り出していた。
そんな俺に、駿は肩をすくめて言った。
「『運命の番』との絆は特別だから、そいつの病気も治ると思うぜ? 運命の番であるΩの発情期にでもヤレば一発で治るんじゃねーの?」
心臓がどくりと嫌な音を立てた。
発情期。運命の番。絆。
――発情した俺と夢川はすでにセックスをしている。
だが、身体を繋げても、夢川は治らなかった。
残念なことに、それが何を意味するのかわからぬほど、……俺はバカではない。
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