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運命のつがい ⑮

 呼気に混じったミントとレモンの香りが、空気中をただよい、鼻腔をくすぐる。  それに体を昂らせる作用はないが、その匂いに包まれているとなぜか安心して行為に没頭できた。キスをするたびに口移しで濃く香るレモンキャンディーの味は、失恋の涙を止めてくれた魔法のアイテムだから、俺にとってはきっと安定剤のような働きがあるのだろう。  ……しかし、現在、俺はその香りに包まれながら夢川に()かされている真っ最中ではあったけれど。 「あ……おさむさ…前…まえ…、とって…」 「後ろだけでイケるでしょう?」 「ムリ…むりぃ…」  夢川の指が俺の中をゆるゆると(まさぐ)り、ほぐしながらも的確に感じる場所をやさしく内側から愛撫する。  張りつめた俺の前は、身に着けている白いシャツの裾によって縛られていた。  それでも、そこは懸命に頭をもたげ、先端からは透明な雫を(したた)らせ、時折もどかしげにふるりと揺れる。(いまし)めに使われたシャツが先走りに濡れて肌に張りついた光景は、誰の目にもきっととてもはしたなく映るだろう。  俺はイクにイケない状況で夢川に解放を懇願した。  局部を縛られたあげく、発情期でない今は、後ろの刺激だけではなかなか絶頂には至れない。蛇の生殺しのような状態だった。緊縛というほどきつい戒めではないが、それでも通り道への圧迫感は俺を追いつめていた。  自分で触ろうにも俺の二本の腕は一緒くたにされ、夢川の片手によってシーツにおさえつけられていた。  ――なぜこんなことに……と、口で啼かされ心で嘆きながらも、理由はもちろん知っている。ある意味、自業自得であった。  ちょっと調子に乗りすぎたからだ。  β同士なら、俺が夢川に入れてもいいんじゃないかと口を滑らせた、……そうしたらネクタイで腕を縛られた。ほんの出来心…というか冗談だったのに、大人げないと思う。そもそも夢川が乙女で可愛らしいのがいけない。魔がさすことくらい誰にでもあるだろう。別に本気じゃなくてちょっとした冗談だったのに。まったく大人げない。……べつに一回くらいいいじゃないかと思う。減るもんじゃなし。夢川はもっと寛大になるべきだ。 「……また悪いこと考えてますね」 「!? 考えてな…ああッ」  俺の一番感じる場所を、ぐりっと強く押され、哀れな俺の口から嬌声が(ほとばし)る。  なぜバレたし…。   「いくら君がかわいらしくねだっても、抱く権利だけは譲りませんよ。――それくらいは残しておいてもらわなければ立場がありません」 「ひゃぁ…っあああっ…!」  前立腺を絶妙の指使いで小刻みに揺すられて俺は情けない声をあげて、びくびくとシャツに縛られた小ぶりな肉茎を震わせながら絶頂した。先端からとろりと蜜をしたたらせた俺は、目尻からも快感の涙をたらたらと滴らせる。今日は大泣きしたし、きっとひどい顔になっているに違いない。それなのに―― 「……ふっ、イってしまいましたか。かわいらしいですね。やっぱり、君は私の腕の中でそうやって泣いている方がお似合いですよ」  夢川はすっかり意地悪モードである。 「うっ…ううっ…ひどぃい…っ、こんな…」  基本的には優しくて誠実で俺に甘い夢川であるが、ときどき妙なスイッチが入って俺を泣かしにかかることがある。  どうも俺の泣き顔がツボらしい。いい迷惑である。  指をくるりと回しながら後孔から引き抜かれた際の刺激に、俺はまたもや声をあげた。  発情期じゃなくても、俺の身体はすっかり夢川に陥落済みなのだ。  もともと発情期にしかセックスしないわけでもなかったから、こんな風に交わることにも慣れていた。  俺は下着のシャツにワイシャツを羽織った姿、夢川はワイシャツにスラックスの前をくつろげた格好だ。  イッたせいで力の抜けた俺の上体を夢川が持ち上げて、ゆるく胡坐をかいた自分の上に引っ張り上げる。  坐位でするなら対面がよかったのに、俺は夢川に背中を向けて座らされた。 「…前、前にして…」  腰を浮かせて訴えかけると、首筋に軽く歯を当てて夢川がくぐもった声で却下した。 「ダメですよ。……あぁ、もうほとんど消えてしまってますね」  前に付けられた約束の傷跡を、夢川の舌が這う。 「――また付けてもいいですか?」  無意識に背筋が強張った。  ……あれは正直かなり痛かった。  でも――、それを夢川が望むなら――…… 「いいですよ」  俺は、はっきりとそう答えた。  夢川が小さく笑い、ちゅっとそこへ口づける。 「……私はどうしようもないαですね」 「理さん…?」  自嘲混じりの呟きに、俺は振り向こうとするが、首筋に埋まった夢川の頭が邪魔をして叶わなかった。 「すみません。―振り向かないで」 「……」 「咬みませんよ」 「おさ…」 「そんなことをしなくても、――君は私の腕の中から逃げたりしない。そうでしょう?」  俺は縛られたままの腕と、同じく縛られたままの局部を見下ろした。 「そうですね。きっちり縛られてますし、まったく逃げ出せる気がしないですね」 「……君はときどきとても可愛げがなくて小憎たらしいですよね」 「嫌いですか?」 「嫌いじゃないですよ、悔しいことに。惚れた弱みですね、まったく…」  俺はうれしくて笑った。  俺も好きですよ。大好きですよ。 「そんな風に笑って…――もっと泣かされたいんですか?」  背後から不穏な呟きが聞こえ、しまったと思った時にはもう遅かった。  持ち上げられた腰がずぶりと剛直の上に落とされる。 「んアァアアッ」 「…さすがに一気は、キツいですね」 「はっ…んン…ッ」  さんざん解された後だからか痛みはなく、代わりに圧迫感と――目のくらむような快感だけが俺の感覚を支配した。  休む間もなくゆさゆさと揺さぶられ、奥深くを切っ先で探られる。  発情していない今、膣への道は閉ざされているから、(あば)かれるのは腸の最奥だ。  αの陰茎は総じて長い。  長い上に根元には瘤のような隆起がある。  発情期時以外の交合で、夢川がそれを中に入れようとしたことは今までなかった。  ――なかったのに。 「や…あ…! あぅ…はぃっ…入っちゃう…ッ」 「…一番深くまで、私を受け入れて…くれますか…?」 「だ…だめ…むり…こわ…い…」 「大丈夫…いつも、発情期にはちゃんと、おいしそうに…んっ…咥えこんで、ますから…っ」  夢川の息も熱く乱れている。  フェロモンに煽られなくても、十分に昂り、固くたくましく俺を貫く長大なものに、苦しさと同じくらいの充足も得ていた。  萎えていたはずの性器が再びもちあがっているのがその証拠だ。 「ふっ…ふぅうう…んは…っ」  後孔が少しずつ拓かれ、瘤をのみこんでゆく。 「ほら――前を見て」  夢川の指先が俺の顎をとらえ、俯いていた顔を上げさせた。  正面にはちょうど部屋のほぼ一面に広がるガラス窓があった。  そこに夢川の雄に貫かれる自身の姿が映っていた。  室内の明かりが、暗いガラス窓に反射してまるで鏡のようになっていたのである。 「ッ!」  俺は息を飲んで、ガラス窓に映る自身のあられもない姿に目が釘付けになった。足を大きく広げ、その狭間に夢川を――… 「ずっと…見えてましたよ? 君の姿」 「あ……」 「目を閉じてはダメです。よく見て。ほら――入る」 「あ…あ…ああっ」  ずぷずぷと埋まってゆく隆起から目が離せない。  どうしようもなく卑猥で淫らな光景に、魅せられる。  ――ズプン。  体の中から音がした。  腹が夢川で一杯に満たされた。 「ふぁっ…」 「く…そんなに絞めつけられたら…ん…!」  あまりこらえ性のないたちの夢川が、俺の中に精を放つ。 「あ…ぁつ…い…ッ」 「すみません、しばらく、辛抱、してください」  夢川の…αの射精は長い。  中に出し切るまで、瘤が栓の働きをして抜けなくなる。  直接注がれる衝撃と熱を、俺の身体は時折びくりと痙攣しながら受け止める。射精中は息も上手くできないから、地に打ち上げられた魚のようにはくはくと口を動かして無様に空気を求めた。    夢川の背に凭れ、虚ろに鏡面化した窓を見つめる。  ――ガラスに映った俺の瞳が、一瞬だけぎらりと琥珀色に光った。 (え――?)  瞬きをして、目を凝らす。 (気のせい…?)  しかし、夢川も同じ光を目にしたようだった。 「今…目が光りませ、…ッ」  夢川が最後まで言い切る前に、異変は起こった。 「!?」  突然、ぶわりと檸檬の香りが鼻腔一杯に広がったのだ。 「あ…ぁ…」  身体も同時に急激な変化が起きた。 「なにが…ッ?」  夢川にも同様の変化が起きているようだった。  むせかえるような――フェロモンの香り。  か ぐ わ し い つ が い の に お い   「ど…して…」  急に、こんなことが――  ドクン!と心臓が大きく一つ脈打った。  混乱と戸惑いに思考が空転する中、再びの変化が俺を襲う。 「あ…あ…ああああ…っ」 「晋…!?」 「お…さむ…さん、あつ…い。からだ…あ…アア…!」 「ク…っ、晋…、ゆるめて…! これは――まさか、ヒート…!?」  そうだ。  発情(ヒート)だ。 (一年に一度しかないはずの発情が、なぜこんな短期間に続けて…?)  それどころか一般的なΩの発情スパン、三か月よりも短い。  俺は信じられない気持ちで、急に爆発的に欲情しだした躰を持て余していた。 「……君のかおりが――ぁ…ああっ、きみのかおりがする…!!」  夢川が俺に後ろで吠え、射精が終わったはずの楔を再び突き入れてきた。 「ひゃあぅん!!」  喉から慾に濡れ切った喘ぎが(ほとばし)る。  それは――Ωの、雌の、嬌声。  大量の愛液が分泌され、腹の中から溢れてくる。 「すすむ…すすむ…すすむ…!」  フェロモンに煽られた夢川が下から俺を突きあげるたびに二人分の重さと衝撃にベッドのスプリングが軋み、二人分の愛液が音をたてて弾け、飛び散った。  激しい抽送に背筋に何度も痺れが走り、目の前で光がスパークした。 「ア…アァ…ンア…っ!」  もはや意味をなさない啼き声しか口からは出てこず、俺の躰はαの性欲を貪欲に受け止めるだけの発情しきった(ケモノ)と化した。  快楽を無心に貪っている間に、いつしか体位が変えられ、俺はベッドに上で腰だけを高く捧げた四つん這いでほぼ真上から夢川のものを激しく出し入れされていた。 「あぁ…ひらいて、いるっ…また、君の、ここに入れる…なんて…!」  夢川の感極まった声を背中越しに聞いた気がした。 「っ――!!」  瞬間、めりっと隘路(あいろ)に太い亀頭がめり込んできた。  もはや悲鳴すら発せず、俺はネクタイで縛られたままの手でシーツを力いっぱい掴む。 「…ッ…ァ……!」 「あぁ…きみの…なか…だ」  ゆるゆると夢川はすすみ、こつんと終着点にやさしく口づけた。 「もう一度…ここに私の種をまいてあげますね、――わたしの愛するつがい」  そのうれしげな、狂乱をはらんだ声に、俺の躰が、期待と喜びに打ち震えた。  愛するつがいの指が、俺のうなじに触れ、うっとりと続ける。 「そして、ここにわたしのしるしを、今度こそ刻んであげます」  ――(つが)う真の意味は、魂の捕縛。  αはΩを呪縛する。  どこにも逃げられないように、一生の繋がりをその魂に刻む。  それが、番の(あかし)。  その夜、俺と夢川は、正式に番となった。  俺はその生涯を、夢川と共に生きると魂に誓った。  本当に好きな相手と番関係を結ぶことができるΩは、時代が進んだ今でも、世界の中で、まだほんの一握りに過ぎない。  ――この日の俺は、たぶん、世界で一番幸せなΩだった。  

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