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◇◇◇
昼休みになると一気に込み始めるのは母娘 で切り盛りしている購買部だ。
年相応に年月を重ねた購買部の桐谷 雅代 は全校生徒から母親のように親しまれ、彼女の実の娘である静香 は目を惹く美貌 で癒やしを与えている。
現時点で冷蔵庫が空 だったことを恨まざる終えない状況に昴は陥っていた。混雑を極める某テーマパークの大人気アトラクションに並んでいる錯覚を覚えながら、中々進まない列に一人紛れ、単価240円の惣菜 パンを買うべく、停滞 を余儀 なくされ、その場から身動きが取れないでいた。
もう少し早く出ていれば違ったのかもしれない。遅くなった原因は言わずもがな詩音の引っ付き虫属性にやられたせいだった。
悪い人間ではないことは知っている。ただし、不慣れな性格に昴が追い付いていないのは確かだ。周囲の女性陣に睨まれ続け、無事に昼を迎えられた。
昴はようやく進んだ列に溜め息を零し、目先の距離に辿り着いた惣菜パンに手を伸ばした。運良く取れたのはポテトサラダが挟まれたコッペパンで、貯金箱型の小銭入れに硬貨を入れ、足早に抜け出した。
人波からなんなく抜け出せた瞬間、再び襲来する。
「宮盾く〜ん!」
「うぐ……」
「いい天気だから中庭で食べようよ〜」
甘いフローラルの柔軟剤が染み込んだセーターは今朝からずっと嗅いできた。昴は尻尾を振りたくっている詩音を無理矢理引き剥がすも、ふにゃっとした砕 けた笑顔に嫌味すら口に出せなかった。
「おーい。宮盾、そろそろ降参しろって」
投げられたカフェオレのパックジュースを受け取り、昴は余裕綽々 とした秀吉を恨めしい気持ちで睨む。良太郎は分かりやすく大勢の生徒に怯えており、秀吉を盾にしながら隠れていた。
二人の姿に完敗した昴は、しがみついてくる詩音に困ってはいるものの、嫌がることはなくなった。
犬だと思えば可愛らしい物かもしれない。昴は自分より細身の詩音を引き摺りながら、中庭の方へ向かった。
◇◇◇
日当たりは良好でも滅多に人は集まらない中庭に、詩音は嬉々 として丸い四人がけのテーブルに自身が作ったキャラクター弁当を広げた。
昴だけでなく、秀吉と良太郎ですら唖然 とした可愛らしくポップなキャラクター弁当には、女子受けのいい熊のキャラクターが大きく主張している。弁当を包んでいたハンカチですらフリフリ付きの可愛らしい物で、ランチバッグには虎のマスコットキーホルダーが陣取る。見ているだけで眩暈 がするのは気の所為 かもしれない。
「……それ、自分で作ってるのか?」
「うん、そうだよ。えへへ、可愛いでしょ〜」
「松村氏ならきっと趣味が合いますよ。ねえ、松村氏」
「妹にせがまれて作ることはあるけど、俺は普通の弁当しか作らねぇよ」
動揺を隠せないでいる昴達だが、詩音は目を輝かせて秀吉を見ている。
「ま、松村君もキャラ弁作るの!?」
「妹にせがまれたらだけどな」
「妹さん居るんだ。いくつ離れてるの?」
「三つ。今中二でテニスやってる」
秀吉には三つ離れた妹――篤 が居る。歴史好きの時代劇大好きな両親の影響で変わった喋り方をしている元気が取り柄の美少女だ。
「篤ちゃん元気にしてるですか?」
「煩 いくらいにはな。宮盾に会いたがってるよ、うちの姫様は」
「如月が引きこもりから復活すればいいんだけどな。週始めまでサボるって朝言ってたな……」
昴に熱烈アプローチを仕掛けてくる松村家きっての箱入り娘は、荒削りな告白ばかりを直情的にしている。街角 で出会えば「昴殿ー!」と叫びながら走ってくるのは羞耻 を超えて痛々しい。顔立ちが良過ぎるせいで問題ないからか、長男の気苦労だけが絶えないそうだ。
「椙野 君にも兄弟居る?」
「……あー。まあ、テレビによく出てるので西園氏でも知っている三人ですよ」
「ほへ……?」
一番問題を抱える嵌めになるのは良太郎の家族だ。詩音は理解していないのは当たり前で、良太郎の家庭事情は校内でも数少ない人間しか知らない。特殊なことすら悟られない擬態 にまんまと詩音は嵌まっていた。
「お兄ちゃんは漫画家の比良木 響太郎 で」
「え!?」
「一人目のお姉ちゃんはシンガーソングライターでRosettaのボーカルのLikaで」
「うぇ!?」
「二人目のお姉ちゃんは元モデルで女優の椿 みか……なのです」
「ふぇぇぇぇ!?」
想定内の反応だったせいか、疲れた様子の良太郎は肩凝りを解消すべく肩を回す。テレビで見ない日はない兄姉を持つ良太郎は、芸能一家から生まれた末っ子だ。良太郎は更に補足を加えた。
「因みにお父さんは写真家のkenzoで、お母さんは元女優兼元アイドルで、現在はお姉ちゃん達が所属してる大手芸能事務所の社長やってます」
「な……えぇ!?」
「疲れますよねー。こんなド派手な家族を持つとー」
「その分末っ子可愛さに晴海 さん達も凛太郎 さん達も『親バカ』で『ブラコン』で『過保護』の三拍子揃ってるんだ」
「まあ、椙野は生意気だけど独り立ちは余裕で出来る能力ならあるからなー」
「生意気は余計なのです」
秀吉の余計な一言に良太郎は気を悪くしたのか、無駄に長い足の急所を脛 蹴りし、悶絶 している姿を鼻で笑った。
突然の情報量に詩音は呆けた顔で固まっている。期末テストでは一、ニを争う目立たない外見の少年が眩 い光を一身に浴びる芸能一家という設定の盛り込み過ぎに、脳内がオーバーヒートを起こしていた。
昴は笑いを堪えながら、ビニール袋を開ける。
パンを食そうとした瞬間、胸ポケットに入れていた携帯電話が震えた。
見慣れない携帯番号に昴は首を傾げる。通話のアイコンをタップし、昴は携帯電話を耳に当てた。
「どちら様で……」
『私からの電話は三コール以内で出るのが鉄則だよ。マスかいてばかりの童貞』
「や、社 さん!?」
開口一番に容赦 ない口撃 に昴はズタボロに打ちのめされそうになったが、このままでは秀吉達に昨晩のことを知られてしまう恐怖心が襲ってくる。
「……な、なんですか。急に……」
『紙媒体のオカズなんだね。映像は見ないのかい?』
「そりゃあ、見るときは見る……じゃない! え、その様子だと俺の部屋に居るんですか!? 不法侵入ですよね!?」
『ん? 知らなかったのかい? 詩音が大家と話つけてくれてさ、童貞は今日から翔馬の家に引っ越すんだよ。解約済みだから安心しな』
「安心出来るか! まず、何してくれてるんだよ!」
『へぇ。隠れ巨乳好きか。童貞はボクサー派なんだねぇ』
「箪笥 を覗かないで! 死ぬ、今すぐ恥ずか死ぬ!」
高らかに社は笑いながら、自分勝手に通話を切られた。ぶつりと遮断されたせいで、虚 しさに昴は涙で前が霞 んだ。
……大切な物を失った。
秘蔵のエロ本だけでなく、思春期の男子高校生たるデリケートゾーンをずけずけと踏み込まれたのだ。魂の底から神に向かって悲しみを捧ぐ。
――巨乳のお姉さんに性癖を覗かれました。
「人生終わった……」
顔面を蒼白にしながら震えている昴を見て、困惑しきっている詩音は「どうしたの?」と慌てふためいている。昴は震えた声で口を開いた。
「エロ本……」
「えろほん? なぁに、それ?」
「エロ本とは無縁の生活かよ……! うがー! イケメン爆発しろ、イケメン爆発しろ――ッ!」
「うぇぇ!? よく分かんないけど、俺に当たらないでよ〜!」
阿鼻叫喚 とした昴は激しい喪失感を怒りで当たり散らす。不可侵領域 を構築しているつもりだった。
だが、己が築いた王国はいとも容易く破壊され、下品極まりない巨乳美女に蹂躪 されているのだ。由々 しき事態でも、簡単に侵入を許せる状況を作り上げた詩音にも非はある。昴は親の仇を見る目で詩音を涙ながらに睨んでいた。
「なあ、宮盾。電話の相手は誰だったんだ?」
「あ、新しいバイト先の上司……だよ」
「え。またアルバイト増やしたのですか?」
「ど、どうしても買いたい物があってさ……」
しどろもどろになりながら誤魔化しつつもどうにか話を合わせてくれと昴は目で詩音に訴える。
だが、訴えも虚 しく詩音はSNS映えを目的として作られたコンビニスイーツを連写で撮っていた。
状況を変える術 がなくなり、どうすることも出来ずに居た時、再び携帯電話が震えた。
「……はい」
『ああ、宮盾。今日はシフト入ってくれないか。四ツ谷 の母親がぎっくり腰になったらしくてね。実家の菓子屋を代わりにやるんだと』
「え」
『それでだ。今後のことに話があるから、逃げたら股にぶら下げてる粗末なブツをもぐ』
物騒な台詞 を残して、普段と差異 はない高慢 な美佳子 に一方的に通話を切られ、折角の休みは水の泡と消え去ってしまった。
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