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 ◇◇◇  時計の針が午前十時を知らせる。手鞠(てまり)人造式(じんぞうしき)に任せ、翔馬は一人で事務所に()もり、とある人物に電話をしていた。  コール音が妙に長い。翔馬は机を叩きながら苛立ちを抑えるも、中々出ようとしない男に対して不満が濁流(だくりゅう)の如く漏れ出る。  ようやくコール音が止み、緊張感のない若い男の声が、薄っぺらく電子越しに聞こえてきた。 『もうさ〜。僕は昨日からずっと寝てなかったんだけど〜』 「うるせぇな。躾のなってねぇドラ猫が。お粗末(そまつ)なブツを今すぐにでも去勢(きょせい)してやろうか」 『せーっかくの休みを台無しにしてくれたのはアンタの方じゃんかー。僕はこう見えて忙しいの』  生意気な子供じみた物言いをする男――雉井(きじい)虎太郎(こたろう)に対し、翔馬は鎮火(ちんか)した怒気を捨て去り、あからさまに大きな溜め息をついた。 「まあ、分かったことは多かった。情報をこれだけ集められるのもドラ猫しか居ねぇからな」 『でもさ〜、彼のことは細かく調べられなかった方だよ。情報が足りなくて一番キッツい仕事だったし〜』  ファックスで手元に来た資料を開きながら、不敵に翔馬は口端(くちはし)を歪める。あの二人の面影(おもかげ)を持つのは明白だ。会いたい気持ちは更々ないが、今更姿を見せてきたのも何かの暗示だったのだろう。 「ドラ猫。浄化屋の教本あっただろ。それの新しい奴今日中に仕上げろよ。夕方までな」 『うげ……。暫く作らなくてもいいって時定(ときさだ)のジジイが言ってたのにさぁ! まずねぇ、僕らの所は(たぬき)野郎とは(つな)がり絶ってるから色々と面倒なんだからにゃ!?』 「報酬は弾むから安心しろよ。昴の家庭教師係も頼んだからな」 『ふぎゃ!? ふざけ……うわ、ちょっ!』  一方的に虎太郎が電話の向こうで()えている。スピーカー越しにざわざわと籠もった雑音が耳によろしくなく、再び込み上げてきた苛立ちから舌打ちをした。  虎太郎を呼ぼうと言いかけ、それを(さえぎ)るように歳の割には甘い低音が機嫌良く軽やかに弾む。 『やあやあ、久し振りだね』 「……時定」 『昨夜は諸事情で連絡を返せなかった。申し訳なかったと思っているよ』  膨大な余白(よはく)を感じさせる緩慢(かんまん)とした喋り方に苛立ちは吸い込まれて消える。  虎太郎から携帯電話を取り上げ、我が物顔のように親しげに翔馬に話し掛けてきた中年男性――雉井時定は、自分にとって一、ニを争う逆らえない人物だ。  すっかり静かになってしまった翔馬を想像している時定は、ゆるりとした口調で繋げた。 『手鞠ちゃんとはきちんと巡れたかい』 「一年かかったけどな」 『その間に現れた脅威君はどうかな』 「……色んな意味でイレギュラーな奴だよ」  異分子な昴の魂に惹かれている。見たことのない色と形と――甘い香りに。  年甲斐もなく好奇心に満たされた翔馬にとって、異質な存在は真新しくも新鮮で、自身にはなかった探究心を呼び覚ます。  人間が誰よりも欲するのは知識だ。辞書にすらない、倫理観すらも遠く離れた、非常識で奇天烈な形のない物質や生命体に人間は興奮する。  だが、時定は恐恐とした声音で浮かれている翔馬を叱責(しっせき)する。 『あまり彼を甘く見ない方がいいよ』 「……あ?」 『翔馬だけじゃあ手に負えない代物だってことさ。下手(へた)したら手が届かないくらい遠くへ行っちゃうかも……なんてね』  余裕さを(かも)し出しながら勿体(もったい)ぶる態度に、無意識に眉間に皺が寄った。ただでさえ取れない皺に更に負荷(ふか)を与え続けられ、指で眉間を揉むも、電話の向こうで時定は笑いを堪えているだけだ。 「ご忠告どうも」  溜め息混じりに口にするも、時定の神経を容易に逆撫でることは出来ずに躱される。  ……そろそろか。 『所でさぁ。しー君元気!? 風邪引いてないかな、熱出してないかな!? 暫く会ってなかったからおじさん寂しくて寂しくてぇ!』 「電話越しに泣くな、(わめ)くな。うるせぇんだよ、クソが」 『学校で(いじ)められてない!? しー君と中学時代同級生だった子も藤代に通ってるじゃん!? もう、おじさん嫌になるくらい心配で夜も眠れないから!』 「安心しろ。虐められてなんかない。寧ろ女に守られてる庇護(ひご)対象だよ」 『あぁぁぁ! 良かったぁぁぁぁぁ!』  詩音のおじさんを自称する時定の声が耳鳴りを引き起こす。騒がしく大泣きしている時定の冷静さを欠いた姿に虎太郎も呆れ果てていることだろう。困った男の養子(ようし)になるのも大変だと、静かに黙り込んでいる虎太郎を気の毒に思った。  翔馬は通話を切り、再び作成された書類を見詰める。一枚目は項目がいくつか削除されてた書類と、二枚目は細かく記載がされた書類だ。昴の情報を確認しながら、翔馬は豪奢(ごうしゃ)な椅子の背凭(せもた)れに体重を乗せ、足を組む。 「なんで境界に来れたのかまでは分からねぇか。でも、まさかあの二人の息子なんてな……」  口内に広がる苦味が若かりし頃の記憶を呼び覚ます。懐かしさだけではない、憐れで救いようのない別れだったのかもしれない。  翔馬にとって人生の変換点が昴の父親――宮盾蒼星(そうせい)であるのに変わりはなかった。  ……似てるようで似てなかったな。  顔立ちに二人の面影は見付けられても、内面的な部分では昴は蒼星に似ていない。母親の三月(みつき)とは違う、第三者の影響で(つちか)ってきた感情の表し方に、翔馬は無意識に詩音と重ねた。 「……詩音の近況くらい教えねぇとうるせぇからな。あのクソビッチ、自分から会いにいきゃあいいのにな」  今朝方(けさがた)、詩音から送られてきた写真をメールに添付(てんぷ)し、適当な文言(ぶんげん)(つづ)った物を送信した。  ようやく詩音に男友達が出来たのを報告したのは間違いなく正当な内容だ。  翔馬は送信出来たのを確認してから、修正が行き届いた書類を片手に立ち上がり、ファックスを送りに足を進めた。差し出す場所は浄化屋を統率し、育成を主とする組織『白菊(しらぎく)舎棺(しゃかん)』だ。  さぞ胡座(あぐら)をかいて高見(たかみ)見物(けんぶつ)ばかりをしている老いた狸は驚くことだろう。翔馬は喉奥で笑いながら、舎棺を統括する長老然とした老人――寒椿(かんつばき)菊之丞(きくのじょう)(あざけ)る。  侮蔑(ぶべつ)の感情を込めながら、挑発を交えてファックスを送り、気を緩めた翔馬は愛用しているミルで厳選したコーヒー豆を()り始めた。

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