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 ◇◇◇  教室に着くなり、異色な組み合わせにクラスメイト含む同学年の生徒達はあからさまにざわついた。  好奇(こうき)な眼差しが何方向にも飛んできては、銃弾飛び交う死地(しち)に放り込まれた気分だ。これ以上の精神的ダメージはオーバーキル気味に殺される。人間の視線に殺されるという嫌な死に方しかなかった。  窓際の列から数えて二つ列目の後から三番目の席に昴はいつも座っているが、疲れている中で良太郎(りょうたろう)が勝手に陣取っていることすら苛立った。 「お疲れなようなのですね」 「ああ。日を(また)いでも厄日(やくび)だったよ」 「チョコ、食べますか?」  差し出されたブロックチョコレートを(つま)み、口に放り込む。咀嚼(そしゃく)する度にカカオの苦味がじわりと広がり、後味に酸味が舌に残る。  相変わらず苦いチョコレートを平然と食べている良太郎の姿が憎らしい。身長と中身が比例しないのがここまで来ると拍手を送るしか出来なかったが、良太郎のプライドをへし折ったら色々と面倒なことは友達を続けていられる中でよく知っていることだ。  良太郎は可愛らしく小首を(かし)げた。 「西園(にしぞの)氏と何かあったのですか?」 「……バイト帰りに色々とな」  げっそりと疲れ果てた声音で吐き出せば、早々に席から退いた良太郎は不思議そうに昴の姿を指摘した。 「でも、宮盾氏にしては珍しいことじゃないのですか」 「へ? 何が」 「直ぐに距離を置かなかったことがですよ」  さも当たり前かのように言い当てられ、昴は呆然とし、一時(いっとき)の時間がその場から止まった。  良太郎の発言は外れることなく的を射ている。他者との間に境界線を引きたがる癖は自覚済みだが、何故か詩音を突き放さずにずるずると接触していたからだ。  言葉が上手く口から出て来ず、昴は子供のように混乱していた。  だが、それを即座に止めるように丸めた雑誌が脳天に向かって振り落とされた。 「いっ……」 「あぅ!」 「おーい。朝から何やってんだー」  スポーツ雑誌片手に野球部の朝練から教室に戻ってきた秀吉は、呆れた様子で昴と良太郎を見下ろしている。怒る訳でも叱る訳でもなく、大人が子供の悪戯(いたずら)(たしな)めるように間に入ってきた。  良太郎はバツの悪い顔をして、俯きがちに落ち込んだ。 「……ごめんなさい」 「俺にじゃない。宮盾に謝りなさい」 「お前は母親か」 「母親なのは決定事項なのです」 「……おい。滅茶苦茶痛い拳骨(げんこつ)でもしてやろうか」  般若(はんにゃ)をちらつかせながら拳を振り(かざ)す素振りに、無意識に二人揃って頭を自衛した。  第二の母親と勝手に呼ばれている秀吉は叱ることも黙らせる方法もアクティブスキルとして身に付けている。  激甘な親を持つ良太郎からすれば、真の母親にすら思えてくるらしい。親バカで過保護な両親は、一生をかけても治らない不治(ふち)(やまい)が兄姉揃って完治しないことを愚痴(ぐち)のように延々と語りだしたくなるだけだった。  複雑に(すさ)んでいた(もや)が消え失せ、昴は未成熟な感情の起伏(きふく)が未だに残り続けているのに悔しさが強く(にじ)んだ。抑制(よくせい)出来ない未知の感情に囚われるのは珍しいことではないのに、酷く不慣れなままだった。  良太郎は耳元で(ささ)くように言った。 「ごめんなさい」 「いいよ。気にしてないからさ」  明らかに悄気(しょ)げている良太郎の小さな頭を優しく叩きながら、ようやく昴の心がすっかり落ち着いてくる。悪気はなかったとはいえ、昴は自分の未熟さに怒りすら覚えていた。  前の席に座った秀吉は、二人のやり取りに親心を匂わしながら穏やかに笑っている。 「今日はバイト休みだろ? 久々にゲーセン行こうぜ」 「お、いいな。丁度スコア更新したかったし」 「……色んな意味で人が集まってくるから嫌なのです」  暫くアルバイト生活尽くしのせいか、久方ぶりに訪れた(いこ)いの時間に、だだ下がりだった昴の機嫌が(すこぶ)る良くなっていた。 「そいじゃ、毎月恒例(こうれい)のグラビア鑑賞だな」  秀吉が愛読しているスポーツ雑誌『月刊スライダー』には必ずといっていいレベルでスポーツ経験者のグラビアアイドルが出ている。  広げられた今月号のグラビアコーナーには、柔道の有段者で有名な『柳家(やなぎや)美空(みそら)』が大きく掲載されていた。 「道着か……。有りだな」 「またギリギリの所を撮っているのですね」  ジム通いをしているからか、引き締まった肉体がエロスに変わり、道着から覗く谷間から写真越しでもいい香りがしそうだ。  健全なスポーツ雑誌である筈が、掲載出来るギリギリを攻めている男性御用達の純粋な聖書(バイブル)は、今月号も攻めていた。不純な動機でしか見られない雑誌を作る編集部に三人揃って多大な敬意を払った。  グラビアに夢中になっていた時、急にページに影が差した。何事かと昴は顔を上げようとしたが、それを許さないと言わんばかりに背中から()し掛かられる。 「ぐえ」 「むー。俺も交ぜてよ……」  柔軟剤の香りが染み込んだ淡い茶色のカーディガンが迫り来る。忘れかけていた詩音の不機嫌たっぷりの声に、今更ながら昴は危機的状況に陥ったのだ。  アザラシのように乗っかっては、構って欲しそうに唇を尖らす。不機嫌になると唇を尖らせる癖がある、というのは登校している際に見付けた些細(ささい)な変化だ。  だが、昴にとっての危機的状況は詩音自体ではなかった。詩音を取り囲む女性陣が昴に対して鋭い視線を何方向から飛ばしてくる。  ――目で殺される。  女友達とは名ばかりの鋭利な視線の数々に、昴は今すぐにでもこの場から去りたかった。 「西園。頼むから、離れて欲しいんだけど」 「やだ」 「頼む。俺が殺されるから!」 「やだ!」 「やだじゃない! 話はちゃんと聞くから、離れてくれってば!」 「くっついてても話せるよ!」  口に出せないが、引っ付き虫かと突っ込みたくなる。こちらの意見は聞けないどころか、座っている状態で寝技(ねわざ)もどきを掛けられ続け、身動きは取れないままだった。  ……こんなの望んでないわ。  目の前で笑い声を堪えている秀吉と良太郎の顔を恨みがましく睨みつけながら、子泣き(じじい)すらも喫驚(きっきょう)する頑固な詩音の体重に、心の中の芯がポキリと折れそうになった。

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