12 / 84

 聞き慣れたアパートの住人の喧騒(けんそう)が耐久性の弱いボロ屋に響き渡る。自然と意識は覚醒(かくせい)し、寝心地が悪い煎餅布団と百円ショップで購入した固い(まくら)の感触に、昴は(ほう)けた顔を天井に向けていた。  長い夢を見ていたような気がする。夢と定義するにはとてもじゃないが現実味が強く出ていたと思う。今でも翔馬に掴まれた肩は違和感に似た見えない痛みが奔る。  昴は充電器を()したままの携帯電話を取る。バッテリーは満タンだ。目覚まし代わりにブルーライトを浴びている最中、唐突に電話が来た。 「……朝早くからどうしたんだよ、如月(きさらぎ)」 『おはよーっす! まず、電話はイベント完遂(かんすい)した報告に決まってんじゃん!』 「あー……。周回お疲れ」  熱中しているソーシャルゲームの期間限定イベントを切欠に引きこもり生活を送る女友達――如月(たえ)のハイテンションボイスが脳の活動を正常値に引き戻す。  家は代々続く老舗(しにせ)和菓子屋の三代目の長女という奇特(きとく)な立ち位置でありながら、中学生時代はヤンキー少女という更に希少な少女が泰だ。  雰囲気だけなら男慣れしていそうな非処女然としているが、未だに処女で中身は女として致命的(ちめいてき)欠陥(けっかん)を抱えている。普通のポジションからかけ離れた友達の一人が電話の(ぬし)だった。 「イベントが終わったなら、明日辺り来るのか?」 『あー。無理かも。昨日配信された新作ゲームする予定なんだよねー。今度はおっぱいだよ、おっぱい! Live2Dでぬるぬる動く奴!』 「うわ……クソゲーな気がするな」 『クソゲーだったら月曜登校するわー。その間に新作和菓子でも食わせるからねー』 「はいはい」  元気が有り余っている泰の姿が電話越しでも安易(あんい)に想像出来る。昴はおかしさに笑いを(こら)えながら、デジタル時計に視線をやった。  視界に飛び込んできた時刻に昴は焦った。 「如月、そろそろ切るぞ」 『おりょ? まだアパートだった?』 「さっき起きた所だ」 『うっは! まさかのモーニングコールが私ぃ! いい目覚めだったでしょでしょ〜! ぶっひゃひゃひゃ!』  問答無用に通話を切り、早朝とは言え、どっと疲弊感(ひへいかん)背負(しょ)い込みながら、(なまり)のように(だる)い身体を無理矢理叩き起こし、(たた)んだ布団を部屋の隅に追いやった。  ◇◇◇  制服に着替えた時、ふと外の様子に違和感を覚える。しょっちゅう二つ隣の住人と言い争いをしている大家の声が聞こえない。一階の隣人同士の喧騒は普段よりかは静かになるのが早く、異様な気配を察してしまった。  履き慣れたスニーカーに両足がフィットするのを確かめ、外に出た。 「……え」 「あ、宮盾(みやたて)君だ。おはよ〜」  中年の大家を手懐(てなず)けている詩音(しおん)が、呑気(のんき)に昴に手を振った。  ボロアパートに酷く浮いている詩音のキラキラエフェクト付き王子様スマイルが、()れた大地に大輪の花を咲かしている。湿気(しけ)た場所に不釣合いな満開の笑顔に、昴は終始混乱していた。  ふくよかな脂肪を揺らして、大家は大変ご満悦だ。 「もう! 宮盾君にこんないいお友達が居たなんて、おばさん知らなかったわぁ」 「いや、あの……」 「うふふ。若い子と話せて、なんだか私も学生時代を思い出しちゃうわよぉ」  肌のノリが一段と良くなっている大家は、スキップをしながら昴の横を通り過ぎていった。  上機嫌な大家の分厚く丸い背中を見送りながら、朝早くから二度目となる疲弊感に()け込んでしまう。  昴はにこやかに笑っている詩音を一瞥(いちべつ)し、鉄球の如く重量感を伴った溜め息を肺の中から吐き出した。  詩音を軽く無視して老朽化の激しい()びた階段を降りながら、中型犬のようにパタパタと足早(あしばや)に付いてくる気配を嫌という程味わう。  秀吉(ひでよし)のようにコミュニティが広い訳ではない昴は、極力他人との接触は避けたがる(ふし)があった。  厄介事の匂いを纏わせている詩音のフレッシュさは危険信号だ。ただでさえ詩音は集団で行動すると恐ろしい女性の(とりで)(かこ)われている。昴は嫌な予感が回収せざる終えないフラグになっていることに頭痛がした。 「もう、待ってよー」 「……なんでここに居るんだよ」 「宮盾君と仲良くなりたいから?」 「だからって、大家を手籠(てごめ)にするな……!」  異性を取り込む力はまさしくハリケーンのようだが、それを容易く行う詩音は特殊以外の言葉は見付からない。  昴はそれでも人畜無害な小動物のようについてくる詩音を振り返り、困り果てた様子で二度目の溜め息をついた。 「俺と一緒に居てもろくなこと起きないぞ」 「松村(まつむら)君達は一緒に居るじゃん!」 「あー……。いや、彼奴等は特殊だからな……」 「だったら俺も特殊だよ!」  頬を膨らませながら、やけに主張が激しく食い付いてくる詩音に昴は辟易(へきえき)とした。  こういった扱いは秀吉と泰に任せきっているのが裏目に出たのかもしれない。扱い方が分からず手が付けられないでいた。 「職業柄特殊なのはよく分かったけど、だからって急にどうしたんだ」 「と、友達になりたいだけ! ……そ、れだけで……」  強く言い放ったかと思えば、最後は(しぼ)んだ声音で弱気になっていく。戦隊ヒーローが好きで子供臭い印象があるのは驚いたが、詩音という男は過大な想像よりも、小さな缶菓子のようにこじんまりとした男なのかもしれない。  昴は張り詰めた警戒心を解き、耐えきれず笑ってしまった。  突然笑われたことに、詩音は瞬きを繰り返した。 「急にどうしたのさ?」 「くっ……いや、なんでも」  笑いが収まることを知らずに顔を緩ませている昴の姿が気に食わなったのか、間抜け顔とは一転した不機嫌顔に詩音はなった。  唇を尖らせるのが癖らしく、いじけた子供を彷彿(ほうふつ)とさせる。これでセフレを囲う優秀な男であるのは不釣合いな物にすら思えた。  藤代(ふじしろ)の生徒が(まば)らに歩く通学路に出て、窮屈(きゅうくつ)さを覚える。普段はトレーニングがてら人通りが少なく、やや陰気(いんき)な道を遠回りでも通学路に認定していたからか、不慣れな人の数に悶々(もんもん)とした。  だが、詩音は極めてマイペースな男だ。突然物珍しそうに生徒を見渡したかと思えば、知人を発見し、呑気に手を大きく振りながら走っていった。 「芽衣(めい)ちゃんだー。おはよー」 「うにょ? あれれ、しー君だ」  猫目がちな大きな目をした少女に見覚えがあった。昴は詩音の後を追い掛ける形で二人の元に行くと、少女は目を輝かせて自分を見ていた。 「あれれ。彼は(うわさ)によく聞くバーサーカーじゃん」 「うわ……一発目から聞きたくなかった……」 「いやはや。まさかここで出会えるとは。何かの(えん)だね、バーサーカー君」 「取り敢えず俺はバーサーカーじゃないから」  拡散された通り名に昴は若干苛立ちを覚え始めた。希少種の天然記念物を()の当たりにした生物学者然とした彼女の眼差しが、鋭い(やじり)の如く貫いては全身の肉を穿(うが)つだけだ。  昴は周囲からの不躾(ぶしつけ)な眼差しに溜め息を吐き出し、救いを求めるよう詩音に視線を投げた。 「この子はね、俺の友達の桂木(かつらぎ)芽衣ちゃんだよ〜」 「普通の?」 「うん、普通の!」  セフレでもない普通の女友達に当て嵌まるらしい芽衣は、ニヤケ顔を崩さずに昴と詩音を交互に見ていた。 「ぬふふん。まーさーかーのぉ! しー君の男友達第一号がバーサーカー君かぁ!」 「え……」 「いやぁ。これなら御手洗(みたらい)先輩も安心ですなぁ!」 「えっ……」  聞きたくなかった名前が芽衣の口から(こぼ)れた。  昴は大型連休明けと同時に休学している藤代一の番長――御手洗希壱(きいち)の顔を思い出して、嫌な汗が流れて止まらなくなる。  ……ああ、死にたい。  鬼さながらの形相(ぎょうそう)猛追(もうつい)に幾度となく死を覚悟してきた去年から今年に至るまでの高校生活に、振り返る度に昴は涙を流していた。 「キイ君も浄化屋なんだよー」 「え……普通に言っても大丈夫なのか?」 「バーサーカー君は何も知らなくて当たり前だよねー」  軽く小馬鹿にするように笑ってくる芽衣を無視し、昴はけろりとしている詩音に説明を(あお)る。 「俺の友達は殆どの人が浄化屋について知ってるし、虚霊(きょれい)から助けた子も結構居るんだよ。芽衣ちゃんもその一人〜」 「……じゃあ、浄化屋は世間的に知れ渡ってるのか?」 「カルト的な扱いだから、世間(せけん)一般で知ってる人は一割、二割くらいかな。それは後でじっくり教えるね」  眩しい光を背に浴びながら王子スマイルを向けられ、昴は一日分の体力を消費した気分だった。  ……仲良くなれる気があまりしない。

ともだちにシェアしよう!