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 ◇◇◇  ウェイターの制服のまま放り込まれた先は、名バイプレーヤーがCMで乗り回している黒い乗用車だ。後部座席には既に昴の荷物が運ばれており、見慣れたショルダーバッグに何とも言えない微妙な思いを抱いた。  続けて後部座席に翔馬は乗り込んできて、運転席を後ろから蹴り飛ばした。 「月銀(つきしろ)。車回せ」 「(かしこ)まりました」  雪の花を彷彿とさせる白い男性は、表情を変えずに車のエンジンをかける。固く引き締められた表情筋に無愛想さが強く出ている。思わず凝視していると、ミラー越しに月銀の不愉快さに歪んだ顔とぶつかった。 「こんな子供に務まるのか、些か疑わしい物ですね」 「説明が遅れたが、月銀は人造式だ。下僕(げぼく)なり奴隷(どれい)なり好きに呼べ」 「(あるじ)様。(わたくし)はこんなちんちくりんと共存出来る気が致しませんが。如何(いかが)わしい物に手をつけ、手鞠様の教育に悪影響を及ぼしたらどうしてくれるんですか」 「手鞠が来る前はデリヘル呼んでたんだけどな」  小姑(こじゅうと)にしか思えない小言(こごと)を初対面で言ってくる月銀の性格に、限りなく昴は引いた。  痛くも痒くもないのは珍しい、苛立ちすら覚えたのは普通な気がする。人造式と呼ばれた月銀は人間臭いが、その分中身が面倒臭いとしか断定出来なかった。  ……それよりも、デリヘル使ってたのか。  風俗に通い慣れてそうな翔馬の雰囲気のせいか、妙に納得してしまう。昴は乾いた声を漏らしながら、窓際に身を寄せた。  冷たいガラスが心地良く、強張っていた身体から力が抜ける。不慣れな街並みが広がるのを眺めながら、昴は口元が緩むのを抑えきれなかった。  ……ん?  隣から侵入してきた大きな掌が、器用にベルトを外しに掛かっていた。ズボンが緩んだ為に隙間が出来たシャツの中に手を滑り込ませ、鍛え抜かれた腹筋を撫であげられる。 「な、何して……」 「ん? 今からカーセックスでもしようかと」 「デカい男二人がこんな狭い場所でやれるか、この馬鹿!」  シャツの釦は全て外され、ズボンのチャックは全開にされる。身包(みぐる)みを剥がされていく流れに昴は抵抗しようと藻掻(もが)くが、翔馬の視線は御守に注がれていた。 「……これ、涼宮境(すずみざかい)にある『珠連(たまつら)神社』のか?」 「へ。そう、だけど……」 「空蝉(うつせみ)色の珠玉(しゅぎょく)か。効力が続いてるのも珍しいとは思ったが、これ見たら納得だな」  何かを探る眼差しを向けられ、居心地の悪さに昴は顔を逸す。歳の割には強靭(きょうじん)に鍛えられた分厚い筋肉を翔馬に撫でられながら、素直にセクハラを受け入れている自分が馬鹿馬鹿しい。  だが、翔馬の手の感触が変わる。 「ぅ、ぐ……。何だ、これ……」 「じっとしてろ。少しでも手元が狂ったら魂の組織(そしき)が壊れるぞ」  吐き気とは異なる不快感に昴は低く(うめ)く。薄目がちに胸元を見れば、翔馬の右手が昴の心臓部付近に入り込んでいるのが飛び込んできた。  突然の侵入者に過敏(かびん)に反応した魂が追い出そうと熱を放出し、刃で穿(うが)たれた傷口から伝わる激しい鈍痛(どんつう)を全神経に走らせている。不快感に身体中の穴から脂汗が噴き出し、呼吸法を忘れてしまう。空気のない水中に沈み込まれたのか、息がままならない。昴は押し込まれて圧縮された空間に陥り、短い息を繰り返していた。 「……奥まで行けそうか」 「が……はっ……」 「まだ飛ばすなよ」 「――ッ!」  浅く埋めていた手が更に奥深く進められ、声に鳴らない悲鳴を上げる。四肢(しし)の感覚が少しずつ麻痺(まひ)していき、指一本すら動かせない。胸を貫く掌が触れるのは、計り知れない熱源だ。追い出そうと藻掻いては、自由を無くした昴の身体を容赦なく責め立てる。  だが、翔馬は顔を僅かに歪めて、触れていた魂の激しい抵抗により、腕を後ろに跳ねられる。  翔馬の指先が軽い火傷(やけど)皮膚(ひふ)(ただ)れている。翔馬は右手を凝視しながら、赤信号で停車していた月銀に無言で差し出した。 「後少しだったんだがな……」 「ご無理をなさらないでください。下手すればこの者に()まれるやもしれませんよ」  月銀の開いた口に指を捩じ込み、唾液で濡れた舌が迷わず火傷の箇所を舐める。濡れた水音を立てながら、治癒能力の高い月銀の体液を余すことなく(したた)らせる。(とろ)けきった月銀の顔に翔馬は苦い顔を浮かべ、火傷による熱が治まった指を引き抜いた。 「あー。気持ち悪っ」 「だからって、後ろから蹴らないでくださいよ」  揃いも揃ってハンカチで唾液に濡れた場所を拭きながら、溜め息すらも呼吸を合わせたように吐き出した。  火傷が治まった指を確認し、翔馬は意識を失って身体をぐったりと凭れかけている昴を見詰めた。 「魂への干渉を拒絶されたのは生まれて初めてだな」  純潔(じゅんけつ)(たも)つ反面恐ろしさが共存する魂魄(こんぱく)が、他者からの干渉に怒りに似た激情を牙に変えて襲い掛かってきた瞬間は、未だに掌に違和感を残していた。  成長を続けようとする幼子のような純真な魂の裏側が反抗心を剝き出しにしている様はまるで――。 「肉体とは別の意思を持った生きた魂魄……(いや)、鎖に繋がれた獰猛(どうもう)な獣か」  好奇心だけでは到底理解することは出来ない未知の領域を昴は宿している。得体の知れない存在だと知るが、翔馬は()()純粋に真白い興味を向けていた。  ◇◇◇  長時間労働を終えた時の疲労感による全身の(だる)さを抱えながらも、重たく下がっていた瞼が上へと自然に持ち上げられる。四角い傘の中央に円を描く蛍光灯が二つ並び、眩しい光を発していた。  暗がりに視界が閉じられていたせいか、眼球が悲鳴を上げた気がする。視覚に優しくないと目を細めた後に、数回瞬きを繰り返した。  視界に飛び込んできたのは立派な板材で張られた天井だった。身体は上質な布団に寝かされ、柔らかなタオルケットが掛けられている。ウェイターの制服は脱がされ、代わりに着せられているのは動きやすい半袖のTシャツとジャージのズボンだ。  見慣れない部屋は(ふすま)障子(しょうじ)に囲まれた、広々とした畳張りの和室だ。住んでいたボロアパートとは比べ物にならない広さと清潔感に、昴は間抜け面を晒しながら起き上がった。  目の前の襖が開けられる。低い位置で顔を出したのは、ふんわりとしたフリフリの花柄ワンピースに身を包んだ手鞠だった。両手に抱いているのは昨夜も持っていた(とぼ)け顔をした熊のぬいぐるみ。手鞠は表情を変えることはないが、どことなく嬉しそうに昴に駆け寄ってきた。 「スバル、起きた」  嬉しさから弾んだ声で昴の名前を呼び、手鞠は行儀よく小さくちょこんと隣に座った。  深いサファイアブルーの双眸に凝視された時、下校時に出会った青年を思い出す。人間性が感じられる声音であったが、外見は常軌(じょうき)を逸する美貌に息を飲んだのは今でも残っている。手鞠と似ているようで異なる青年の出で立ちを重ねてしまい、思わず考え込んでしまった。 「あ、宮盾君が起きた〜」 「西園……?」  フード付きのトレーナーにストレッチ素材の柔軟性に富んだジーンズというラフな私服の上から、可愛らしい虎のアップリケが主張している赤チェックのエプロンを身に着けた詩音は、明るい笑顔を浮かべながら、陽気な声で「おはよ〜」と間延びした呑気ぶりを惜しげもなく披露した。 「宮盾君の分のご飯出来てるよ。さあさあ、居間においでください!」  キラキラエフェクトとは一変した、花弁が散るエフェクトが桜吹雪の全体攻撃となって襲って来る。眩しさの狂喜乱舞(きょうきらんぶ)に昴のダメージゲージを大幅に減らしていた。  ……俺は今から灰になるのか。  太陽は沈み、夕日すら姿を消した筈が、夜すらも消し去る光の戦士に肉体諸共滅ぼされる寸前だ。  目覚めて早々に色々とキツい。昴は内心で表に出さずに悪態をつき、布団から出た。  昴が立ち上がると、同じく手鞠も背筋をしゃんと伸ばして立ち上がった。  小さい手で昴の手を握り、蒼玉(そうぎょく)の瞳を真っ直ぐと自分に向けている。笑顔で返すと、手鞠の周囲に花が開いた。嬉しいのか、握る手が更に強くなった。  ……まあ、いいか。  昴は観念しきりで、ハイテンションな詩音にも降参するしかなかった。

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