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 (あらかじ)め敷かれていたシーツの上に降ろされ、用意されていた救急箱からガーゼと包帯、テープを取り出した。  呆けた顔で眺めていた昴のポカンとした間抜けさに、翔馬は嘆息する。 「上と下。自分で脱げるか」 「へ。ああ、分かった」  痛みすら感じさせない様子でシャツを脱ぎ、迷わずズボンも脱ぐ。下着一枚になったせいか、肌寒さに震えたが、それすらも無視した翔馬の驚愕(きょうがく)めいた声に意識が向いた。 「傷が治ってる……いや、再生してるのか」  (えぐ)られた傷口から千切れた繊維を繋ぎ合わせ、血肉を形成していく。自己再生する肉体を初めて()の当たりにした翔馬は、年甲斐もなく日和(ひよ)った。 「いつからだ」 「小さい頃からだったかな。怪我しても治りが早い体質で、擦り傷でも刺傷でも、骨折してもあっという間に治るんだ」  困り笑いを浮かべて「見ての通り異常だよ」と言った。  不自由だらけの異質さに慣れては居るが、いざ口にすると酷く虚しい物だ。昴は手当てを拒むのか、脱いでいたシャツを取ろうと手を伸ばす。  だが、翔馬はそれを制し、脇腹の開いた傷口に被さるサイズに切ったガーゼを当てた。 「異常っていうのは認めていいもんじゃない。そんなもの、他人の物差しで勝手に決められる不確定要素だ」 「松村……友達に言われたことと同じだ。その友達も普通じゃない場所に立ってるからかな。今みたいな関係を築くまでの間に色々あって、初めて彼奴が感情的になった所を見たっていうか……いや、俺にとっても初めて誰かと大きな喧嘩をした日だっけ」  怒りが勝ると理性を失いがちな自分とは対照的な、感情のコントロールを得意としている秀吉が初めて激怒した時があった。普段は前に出ることなく、一歩引いて傍観(ぼうかん)している人間が感情を顕にした姿は圧巻だった。今でも思い出す初体験に、不思議と笑えてきた。 「この街に来てから、色んなことを学んでこれた気がする。俺の友達は三人共普通から離れてて、普通の人間なら俺みたいな人間を見ると後ろ指さすのに、彼奴らは俺を対等に扱ってくれるんだ」 「いい友達を持ったな」 「……そう、だね」  話すこともないありきたりな内容を翔馬は嫌な顔一つせずに聞いてくれている。居心地の良さに昴はすっかり落ち着いていた。  手際よく包帯を巻かれ、優しさがじんわりと胸を焦がす。大男然とした翔馬が(ひざまず)いている姿は滑稽(こっけい)そのものだ。案じるように太腿に巻かれた包帯を撫でられ、擽ったさに身を(よじ)らせた。  前髪に隠れた翡翠の瞳とかち合う。無言で見詰められ、昴は何気なく見つめ返した。 「どうし……」  触れるだけの口づけに言葉は飲み込まれた。煙草の残り香が鼻をつくが、微動だに出来ずにされるがままだ。 「んん!?」  ようやく事態に気付いた昴は、血の気が一気に引いた。フラグを立てたつもりはない。このフラグはどこから立って、どこで回収する羽目になったのか、理解の範囲に達せず、思考回路はバグだらけで混乱していた。  口唇を分厚い舌に舐められる。()じ開けようと舌先を尖らせて口内に侵入しようとし、慌てて昴は前歯で翔馬の舌先を噛んだ。 「いって!」 「な、ななな!?」  ――男にディープ・キスされそうになった。  鳥肌がびっしりと立ち、身の危険を察して壁際に下がった。舌を噛まれて悶絶(もんぜつ)している翔馬は、年甲斐もなく涙目で昴を睨んでいる。赤くなった舌を見せ、子供みたいに「痛かったんだぞ!」と無言の圧力で訴えられた。 「生娘(きむすめ)じゃあるまいし、噛み付くのは利口じゃねぇだろ」 「い、いくらなんでもキツいわ! え、何でキスした!? どこでそのフラグが発生したんだよ!」 「お前を俺の物にしてやろうかと決めたんだよ。なら、ディープ・キスの一つくらい安い物じゃねぇか?」 「知るか!」  ガタイのいい男同士でただでさえ絵面は汗臭さで汚く見えるというのに、このポジションが詩音や月銀なら絵面はやおい的に良い物だった筈だ。  身長は平均的でも筋肉質のがっしり体型である昴は、顔だけなら口だけ描かれている十八禁同人誌に出てくるモブだ。窮地(きゅうち)でしかないフラグが知らずに立っているのに、悲しみ嘆くしか他ない。 「安心しろ。あの金髪ビッチ野郎よりも先に前も後ろも貰ってやる」 「間中さんと何かあったと思ったら、嫌な予感しか感じないわ!」 「で、キスはどうだ。初めてか」  嬉しそうに聞いてくる『おっさん』に対する萌える属性は、生憎(あいにく)持ち合わせていない。ようやく冷静を取り戻した昴は、鼻で笑った。 「ファースト・キスは経験済みだよ」  ……小学四年生の頃に真冬と一回だけした。  経緯や相手は伏せ、爆弾と変わらない衝撃を受けた翔馬は愕然(がくぜん)とし、一人で勝手に落ち込んでいた。  ◇◇◇  生活感を残しつつ、清潔さを保つモデルルームを彷彿とさせる白い壁紙に囲われた1LDKの部屋。レコーダー要らずの録画機能が搭載された薄型テレビには、今話題の子役がバラエティ番組に出ている姿が映し出されており、その姿を行儀よく正座して食い入るように見ている青年が居た。  タイムシフトで録画はしてある。翌日に再度見返して、ハードディスクにダビングをする予定だ。幼さから肉が付いて丸みのある顔が大変可愛らしい。青年はだらしなく頬の筋肉を緩め、画面に映る少女に癒やされていた。  緩く一つに結わえたウェーブ掛かった長い髪を前に垂らし、清潔感のある白いワイシャツの釦を三つ程開ける。外国人と分かる作りの細かさが目を惹く美貌からは、到底似つかわしくない趣味に一人で勤しんでいた。  同室で暮らす相棒が浴室を出た音がした。濡れた気配が近付いてくるのを察し、(きょう)()がれた青年はテレビの電源を消した。 「クリちゃ〜ん。上がったでぇ」  身体も拭かず、水滴を滴らせながら、足元をしとどに濡らす。水溜りを作りながらバスタオルを頭に被っただけの黒髪の青年は、背丈(せたけ)は金髪の青年と然程変わらないが、均整の取れた、程よく筋肉の付いたアスリート並の肉体美を晒している。  羞耻心知らずの青年は全裸で金髪の青年――クリストファーの隣に座り、引っ越しと共にクリストファーが家具量販店で購入したクッションを尻に敷いて濡らした。 「ベニ君。風邪を引きますよ」 「んー。クリちゃん、俺な。腹減ったんやけど」  犬のように擦り寄ってくる青年――(くれない)は、甘えたな猫撫で声を出しながら、クリストファーの肩口をバスタオル越しの頭でぐりぐりと擦付けている。同じメーカーの洗髪料を使っている筈が、彼からは特別な香りに感じた。  クリストファーは微笑を乗せ、甘え上手な紅の身体を拭こうと被ったままのバスタオルを取る。  深い底なしの、血溜まりを落とし込んだような真紅(しんく)の双眸が(あらわ)になる。清らかな蒼の瞳を持つクリストファーとは真逆の、禍々しい色彩に引きずり込まれる人間は数多存在した。  綺麗だと思えてしまう自分は酔狂(すいきょう)な人間なのだろう。クリストファーは可笑しそうに笑いながら、バスタオルで優しく紅の身体を拭いた。 「なあなあ。腹減ったんやけど」 「入浴前にも食べていたでしょう。まだ足りませんか」 「ちゃうわ。この街に来てからな、美味そうな香りしかせぇへんのや」  藤咲市に来たのは人気のない明朝だ。藤の匂いよりも強く嗅覚を刺激した、魂魄から放たれる甘美(かんび)な匂いを思い出して、紅は興奮醒めることなくクリストファーに凭れかかり、餌を前にした獣のように荒い呼吸を繰り返した。 「なあ、腹ん中が寂しくて堪らないんや。足りひん。足りひん……」  物欲しげな眼差しをクリストファーは受け流し、濡れた髪を犬相手にするようにわしゃわしゃとバスタオルで拭く。  だが、紅はそれを嫌がり、クリストファーに縋り付くように抱き着き、冷え切った身体を擦り付けて、口を開けてキスを強請(ねだ)る。  クリストファーは溜め息を漏らした。 「貴方は困った方だ」  柔和な印象の敬語を取り払った、低く腰に響く、胎内(ナカ)の奥深くを(なぶ)るように責立てる冷えた声が吐き出される。  求められるまま紅の口を塞ぎ、舌を差し入れ、(なまめ)かしく身を捩らせる彼の身体を抱きながら、深く濃厚なキスを送る。 「……んぅ……ふ……ぁう……」  悩ましい声を漏らし、官能的なキスに酔いしれる。互いの唾液が混ざり合う交配運動に、手慣れたクリストファーの(たく)みな舌使いが興奮を駆らせ、()えていた紅の陰茎(いんけい)灼熱(しゃくねつ)(ほとばし)る愛液の雫が悦楽の涙で濡らし、天を仰いで猛々(たけだけ)しく起立していた。  長いようで短い口づけが終わり、名残惜しげに繋がった銀糸(ぎんし)の糸ですら性的興奮に直結した。  固く張り詰めた陰茎を見せつける紅は、(とろ)けきってふやけた表情を、余裕を見せるクリストファーに向けていた。 「翡翠の男の匂いがして堪らないんや。殺し損ねた、俺を死にかけさせた、あの男の魂の匂いがぷんぷんして……」  目の前に居る彼は血の匂いに(たか)る肉食獣だ。好みの魂が蔓延(はびこ)るこの街は、言わば全てが餌場(えさば)だった。  クリストファーは興奮で止まらない紅の口を黙らせようと再度キスを送り、解し切れていない後孔に指を這わせた。風呂場である程度慣らしてきたのかもしれないが、早急に済ませ過ぎたのだろう。指二本だけできつくて、窮屈な中だ。 「……クリちゃ……も、挿入()れてぇなぁ……」 「まだ駄目ですよ。こんなにキツいと、切れたら痛いですから」 「いややぁ……クリちゃんの欲しいねん……」  自分より体格のある男相手は荷が重い。伸し掛かられると支える術を失うのは分かっていた。  体重を掛けられ、思わずクリストファーは苦笑した。 「ベニ君」 「は……は……」  獣じみた呼吸音が側で聞こえる。有り余った力でクリストファーは勢いよく床に押し倒され、頭を打ち付けた。  鈍い痛みに顔を僅かに顰めたクリストファーは、力任せにシャツを破り捨てる紅の手を優しく握る。 「ワタシの魂なら、いくらでも差し上げます。出来るなら、この穢れた身体ごとベニ君に喰われて一つになりたい」  ――どうせ、もう耳には入っていない。  我を失い、本能のまま骨まで貪ろうとする悪魔は、直結する食欲と性欲に酷く忠実だ。前戯(ぜんぎ)なんか必要ない。調理される前の生肉が、紅にとっての一番のご馳走なのだから。

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