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 今朝の騒ぎは謎の力で鎮火(ちんか)されたらしい。理由は明白で、安易(あんい)に誰の仕業(しわざ)か想像はつくが、その分良太郎の心労(しんろう)は計り知れないダメージを負っていた。  昼休みにコーヒーでも(おご)ってやろうかと、どうでもいいことを頭の中に入れながら、時計の針を見やると三時限目の授業は終了間近に迫っているのに気付く。  朝の一件の一つにエロ本の持ち込みもあったせいか、信仰勢力と成り果てている詩音の親衛隊らしき女子軍団に阻まれ、浄化屋について知る機会は得られないままだ。  教科書を読んでも詳しいようで内容は端折(はしょ)られており、許容(きょよう)したい知識は一向に満たされない。分かりやすいようで難しい問題に昴は溜め息を漏らした。  丁度いいタイミングで授業終了を告げるチャイムが鳴り響く。ろくに聞いていなかった日本史の授業が終わってしまい、更にその上を()く秀吉がスーパーのチラシを授業中に見ていたのが教師の悲壮感を強めたのか、泣きながら去っていった。授業を真面目に聞いても意味がない頭の作りだ。ご愁傷様としか言い様がない。  昴は女子の包囲網に囲まれている詩音の姿を確認し、疲れた顔のまま立ち上がった。 「西園」 「むふぉ? 宮盾君もドーナツ食べる?」  どっちゃりと机に置かれたお菓子の数々に、女子の足止めの気配が強い。昴は餌付(えづ)けかとツッコミたくなったが、一斉に女子に睨まれ、中には汚物を見るような眼差しをしていた。  昴は内心で「木梨の方がまともな気がする」と呟き、マイペースに焼き菓子を頬張る詩音の首根っこを子猫にするように鷲掴みし、軽々と持ち上げて、引き摺るように教室へ出る。  道すがら、至る所から湧いて出てくる女子生徒から菓子やらシュシュやら、両手にどっちゃりと机上(きじょう)の悪夢が再来する程のプレゼントを抱えている。モテっぷりには感服(かんぷく)するが、ふにゃふにゃ笑顔に身悶(みもだ)えている女子勢力の強大な力の壁には恐怖すら感じた。  引き摺られながらも呑気にクッキーを頬張る詩音に呆れが勝るのも無理はなく、そのまま屋上へと引き摺り込んだ。  塗装(とそう)()がれた鉄製の扉を開け放ち、生温(なまぬる)い風を素肌で感じ、ぬったりとした空気に気温の上昇を悟る。  鈴カステラの封を開けた詩音は、疲れた顔をした昴に緩みきった笑顔を乗せて手渡し、呑気さに負けて渋々と受け取った。  ……ふにゃっと笑われると何も言えなくなる。  笑顔の武器に負けを認め、鈴カステラを口に放り込む。パサついた固めの生地にざらめが纏われ、しゃりとした感触と噛む度に甘さが滲み出て、渋い顔をしながら「甘いな」と小声で悪態をついた。 「まだ泰ちゃん来ないんだねー」 「一週間の内に週始めから二日くらい登校はするんだけど、大体はソシャゲのイベントが始まったら月曜日にならない限り引きこもる体質なんだよ」 「ゲーマー?」 「いや、ただの廃課金予備軍の重課金兵」 「ゲーマーじゃないんだ……」 「据え置きも好きなタイプだけど、ゲーマーはどっちかというと松村(まつむら)だな」  フェンスに凭れながら、目的とは異なる会話で進められている。興味を示されているのは決して悪い気はしない。  だが、マイペースに菓子を頬張る詩音のテンポにはついていけないままだ。 「ゲーマーなんだ……。意外だね」 「ストレス溜まると積んでたゲーム消化し始めるんだよな。対戦物だと四六時中相手しないと発散出来ないし。基本的にプレイヤースキルが高い相手じゃないと苛々するし」 「へ、へぇー……」 「高校に入るまでは親父さんか叔父さんが生贄だったんだよな……。確かにあれはキツイな。反則レベルの裏技で集中リンチだよ」 「あれ。もしかして、宮盾君ってゲーム強いの……?」 「人並みには強い方だと思う」  基本的にシューティングゲームの(たぐい)が一番得意だが、人並みにはプレイヤースキルの高い方だ。去年は死ぬ程秀吉の相手をし、その後のタダ飯は涙が出るくらい美味かった。 「まず、そんな話をしたい訳じゃないんだけど」 「浄化屋についてだよね。分かってるから、ね? ほら、大丈夫だいじょ〜ぶ」  砕けた笑みを真正面に向けられれば悪態すらつけなくなる。陽気で呑気で、弱みを見せまいと気丈な明るさで躱されているような、掴みやすい紙幣(しへい)が掌から擦り抜ける感覚によく似ていた。  詩音の隣は落ち着かない。静かな水面(みなも)のなだらかさを逆撫でする波が、一定の間隔から少しずつ間隔の距離は(せば)まり、激しさを増しながら次第に人を飲み込む天災に成り代わる底無しさを、接触した当初から違和感の中で感じている。  観察眼は割と分かりやすい分類だ。昴は突き抜けるような青さが広がる空を仰ぎ見、これまで(かぶ)せていた感情の灯火を表面上から取り払った。 「資格は舎棺(しゃかん)で正式に取り仕切られる試験で取得するんだ。資格は大きく分けて五つ存在して、そこから分野毎に枝分かれしていく仕組みになってるんだ」 「資格は複数取っても可能なのか?」 「可能だけど、それは簡単な問題じゃないんだ」  詩音は三本指を立てて、説明を始めた。 「資格が複数あれば受理出来る仕事は圧倒的に多いんだ。ただし、資格を取るにはそれに見合った技術が必要だから複数取ればいいって問題じゃないんだよ」 「確か、浄化屋には役職みたいなのがあるんだったな。戦術師(せんじゅつし)調律師(ちょうりつし)結界術師(けっかいじゅつし)と後……」 「癒術師(ゆじゅつし)天律技師(てんりつぎし)、だね。俺は癒術師以外の資格は持ってるけど、専門は戦術師と天律技師かな」  流れるように(すさ)まじいことを言った気がするが、遮りそうになるのを慌てて呑み込み、予め入れていた浄化屋の知識を振り返る。  戦術師は主に虚霊(きょれい)虚戯(きょぎ)掃討(そうとう)を中心にした戦闘員。  調律師は穢れの浄化や現世に出来た綻びを修繕する僧侶(そうりょ)。  結界術師は邪気を祓い、穢れを寄せ付けない結界を神術(しんじゅつ)で確立し、穢れから現世を守護する()(びと)。  癒術師は魂魄に関する知識が豊富な通常の医者とは異なる魂魄専門の医師。  天律技師は魂魄や穢れ、虚霊や虚戯などの研究及び調査を主眼とした研究者。  くっきりと分かれた役職は、分かりやすいと言えば理解はしやすかった。 「じゃあ、まず一つ目。役職にはそれぞれ相性があるんだ。特に戦術師は魂を視認出来ない体質の浄化屋が多くて、中でも魂の気の流れを読めないタイプが第三者からでも視認出来る虚霊や虚戯との戦闘が得意な傾向にある」  強固な魂を持つ者は戦術師に向いている。教科書にもそんなことが書かれていたと思うが、想像では顕現する物質や性質による物で決まるのだろう。それならば詩音が刀を振り回していても理解の範疇(はんちゅう)にあった。 「けれど、反対に調律師の大半は魂を視認出来る人間が多くて、調律師の上に立つ浄化屋は魂を視認出来る人ばかりなんだ。俺は魂が視認出来なくても、気の流れを読めるタイプだから、調律師での出世は不可能に近い」 「穢れが視えないからか?」 「簡単に言えばそうなるかな。魂が視えない調律師は言わば欠陥(けっかん)を抱えているような物だから」  冷静に分析され尽くした説明を聞き入れながら、一つ目の解説に移行される。 「相性っていうのは、技術だけじゃ補強出来ない魂の性質についてなんだ。調律師と結界術師は神力(しんりき)に最も近い魂の奔流(ほんりゅう)を持つ浄化屋が多いから相性が抜群にいい。癒術師と天律技師は近いようで異なるから、相性の良さは表裏一体(ひょうりいったい)。逆に戦術師は相性もなく、平行線に立てるデメリットの少ない役職なんだ」 「じゃあ、調律師の資格がある浄化屋は結界術師の資格も必然的に取れるのか?」 「そうだよ。浄化屋の中ではメリットの高い役職を担ってる二つは釣り合いがよく取れた、(すなわ)ち浄化屋にとって象徴とも言えるんだ。相性がいい理由は端的に言えば“それ”かな。浄化屋にとって確立された役職は相性のいい調律師と結界術師が極めて当たり前なんだ」  依頼する人間の把握が可能ならば、顧客の管理は容易く出来る。対人関係に置いては調律師や結界術師は圧倒的に有利な立ち位置だとして、虚霊の出現を明確に探知し、ノルマ達成の為の数字稼ぎは効率が悪ければ立場的に不利だ。  花形(はながた)の影に隠れる体育会系みたいだな、と昴は簡単に解釈した。 「じゃあ、二つ目。資格は沢山持っている必要はない」 「は……?」 「序盤に資格を三つ試験で正式に獲得したとするよ。知識や技術は揃ってるけど、実際の所は身の丈に合った資格は一つだけ。そうすると反射的に他の二つの資格は持ってる意味のない飾りになるんだ」  複数の資格=高い給料と錯覚していた。確かに普通に考えれば無理に取得した資格よりも、やりやすく成果が伸ばしやすい資格の方が実績も成績も残せる。  簡単な落とし穴があった物だと昴は微妙な気分に陥った。 「最後に三つ目。資格の有無は特別必要な物ではない」 「……話が違うぞ?」 「野良の浄化屋は意外と沢山居るんだよ。フリーランスって奴かな。舎棺で開催される試験に合格し、昇段していけば上に行けるけど、事実上それは給与(きゅうよ)の違いや舎棺に服従(ふくじゅう)する条件の褒美(ほうび)首輪(くびわ)と変わらない。もしも舎棺の人間の機嫌を損ねたら抹消されたりするから」  思考が停止した。浄化屋とは飼い犬か何かなのか、と勘ぐってしまう。詩音は嘘をついていない。それを理解したのと同時に、疑問を呈した。 「じゃあ、どうして西園は浄化屋になったんだ」  金銭的な問題ではない。才能に秀でているから資格の数も多くて当たり前だろう。だからこそ疑問を口にした。  ――何故そうまでして、この道を選んだのか。  波が大きく動き出す。速さを増していく。詩音の動揺は、どことなく塗り潰すような黒い泥沼(どろぬま)みたいに、底無し沼から引きずり込もうとする暗い暗い――。 「それしか教えられなかった。それしかさせて貰えなかったから。本当ならやる必要はなかったんだ。でも、お母さんを救う方法はこれしかなかったから」  一面に広がる黒い湖から、孤独に生き抜いた一匹の鯉が跳ねる。綺麗とは程遠い、薄汚れた鱗は使い込んだ刃物の如く鋭利な輝きを放ち、獲物を捕らえねばと誘い出すように幾度となく水面を叩いた。  平服(へいふく)した訳ではない、詩音にとっての(あらが)い方だ。昴はそれを真実だと受け止め、今にも泣き出しそうな詩音の肩を抱いた。  授業が始まるチャイムが鳴り響く。空は相変わらず青々としていた。

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