29 / 84

 ◇◇◇  季節外れに花が咲き誇れば、人はそれを狂い咲きと嫌味混じりに吐き捨てる。  土壌(どじょう)日照(にっしょう)、水などの有り触れた事象に興味はない。この時期に咲いてはいけないのだ。人間は突拍子も無い取ってつけたような決まりを、あたかも秩序(ちつじょ)であると勘違いをする。  ならば、その秩序という名の縛りを破壊するのは誰か。  人間は自分達より(すぐ)れた生物は居ないと勘違いしている。矛盾の平行線を自尊心と欺瞞(ぎまん)で衝突し合い、迷わず不確かなルートを選択する。未来を決定出来る力は存在しない。だから人間は(すが)るのだ。  ――人智(じんち)を超えた神の存在を。  一人の男は葉桜を付けた古株にあたる桜木に寄りかかりながら、誰にも聞こえない声で愉快さを隠せずに呟く。 「ようやく、この時が来たか」  触れていた桜木に一輪の花が開く。  狂い咲きという言葉は土壌や日照、水だけの問題ではない。もしもそこに、第三者の力が加わっていたら。熟考(じゅくこう)するにしては(いささ)か簡単な近道だ。  一本の桜木の下に居た男の姿は忽然(こつぜん)と消えている。一片の藤の花弁を残して――。  ◇◇◇  今更教室に入る気も起きずに、昼休みになるまでの五十分という長い時間の中を、閑散(かんさん)とした屋上で潰さないとならなければならない状況だった。  スナック菓子の袋を開け、ハムスターみたいに食している詩音を横目に、昴は苦笑を浮かべる。  授業をサボることは平気だが、四限目は仙崎(せんざき)の授業であることを忘れていた。粘着質な嫌味を言われるのは分かりきっている。昴は呑気な詩音の姿が酷く羨ましかった。 「さっきまでめそめそしてたのにな」 「……相手の恥ずかしいことをぶり返すとモテないよ」 「でも、なんだか安心した」  人間は強くはない。弱さあっての強さが存在する。昴は遠い存在だと思っていた詩音の弱さの片鱗(へんりん)を知り、これまでの考え方を改める。  秘密は誰にでもある物だ。昴はそれ以上の詮索は求めていない。詩音も詮索されないことに安堵(あんど)しているからだ。  ……ただな。 「綺麗に筋肉付いてて羨ましいなぁ」  自身の腕と見比べながら、詩音は力瘤(ちからこぶ)を作ろうと腕捲りをする。しなやかな筋肉が付いており、悪い物ではないように見えるが、少女漫画の王子様な詩音の外見と昴の外見は真逆だ。筋肉が外側に付く体質でもあるせいか、ゴリゴリ感があって異性からは好まれる物ではなかった。 「何で羨ましいんだ? モテる訳じゃないし、服にも困るし」 「……万と一緒だから」  聞き慣れない名前が出て反応に遅れる。今にも泣き出しそうな、負の感情が混ざりあった、言葉にし難い表情で苦し紛れに零し、掌に爪の跡が残る程の強い力で拳を握り締めていた。  干渉してもいい領域なのか現段階では判断がつかない。ただ分かるのは危うさだけだ。昴は気まずさに身体全体が(かゆ)さで(うず)いた。 「大切な人なんだな」 「……よく、分かんない。万がどう思ってるのか、俺が万のことをどう思ってるのか……全然分かんないよ」  育ちきれなかった想いが溢れ出るのを押さえきれない。幼稚(ようち)に「分かんない」と繰り返すことしか出来ないのは、語彙(ごい)欠如(けつじょ)とは異なる悲痛な叫びにも近しい。考えるのを放棄した訳ではなく、形容することが出来ずに頭を抱えてしまうのだ。  ……なんとなく、分かった気がする。  昴は辿り着いた答えを口にすることなく、再び泣き出した詩音にハンカチを渡した。 「花柄……?」 「バイト先の先輩に間違って好みじゃないのを買ったからって押し付けられた奴だよ。俺の趣味な訳ないだろ」  タダだからといって貰うべき物ではなかったと今更後悔してしまう。似合わない花柄のハンカチを見た瞬間涙が引っ込んでしまったらしく、触り心地の良さに破顔(はがん)させた。  ……落ち着かない。  相手は女を取っ替え引っ替えしているヤリチンだ。そう思い込みながらざわついた心を落ち着かせようとする。仕草の一つ一つが可愛いと思ったら色々な意味で人生が転落してしまいそうだ。 「やあやあ、そこの若人(わこうど)達〜。青春を楽しんでるかな〜」 「――ッ!?」  軽薄(けいはく)飄々(ひょうひょう)とした見知らぬ声に昴は背後を振り返った。高価そうな着物を身に纏う、顔を能面で隠した長髪の男性だ。  気配はなかった。扉すら開けられた形跡すらなかったのだ。  詩音は驚いた顔でぱちくりと瞬きを繰り返す。 「理事長先生?」 「はぁ!?」 「そうです。この僕が理事長先生です」  表情が読み取れない能面の恐恐とした迫力を打ち消す、馬鹿げている程の弾んだ軽快な声音に不気味さが漂う。  ……あれ、待てよ。  理事長の娘の存在を昴は知っている。嫌な予感しかしないが、予想している通り『彼女』の父親ならば、一片(いっぺん)の違和感が生じてしまう。 「黒石(くろいし)先輩のお父さんだったり……」 「ピンポ〜ン。弥生(やよい)ちゃんは僕の愛娘でーす」 「……簡単に正体を明かすな」  凛太郎の熱狂的なストーカー――黒石弥生は美術部の部長であり、良太郎とは旧知の仲に当たる人物だ。ヤンデレ属性を兼ね備えたキチガイ美少女の顔が(よぎ)り、ただならぬ寒気に襲われた。  目の前に居る男は正真正銘理事長であり弥生の実父――黒石桂樹(けいじゅ)だ。初めて姿を見たが、どうしてか、落ち着いていた精神状態がざわつく。本能で危険を察していた。  だが、詩音にはそれが通じていない。 「そのお面こわーい。コスモレンジャーのにしようよ〜」 「高校生になってまで見てるのか?」 「え? 見ないの? コスモレンジャー格好いいよー。特に変身の仕方はね、初期のチャリレンジャーを意識した物で」 「分かった分かった! 西園はただの特撮(とくさつ)オタクか……!」 「オタクじゃないもん! 好きなだけだもん!」 「あー! 男の癖に語尾にもんを付けるな!」  マイペースさに場を乱される。呆れよりも怒りが勝ってしまい、勢い余って怒鳴ってしまった。  瞳を潤ませながら涙を堪えるように唸っている。その姿がしっくり来てしまうのが、嫌になるくらい毒されたようだ。  放置していた桂樹はめそめそと嘘っぽい泣き真似をしている。 「えーん。神様を無視するなんて酷いよー」 「神様なんて知るか。アンタは妖怪で十分だ」 「妖怪とかひどーい! もう、信じられないそこの坊やにぃ〜! 神様の大いなる力を発動しちゃうぞ☆」  能面の迫力を活用する気のない桂樹の阿呆(あほう)な仕草や口調に苛立ちが止まらない。2.5次元幼児向け特撮ヒロインの魔法を決めるポーズが様にならない醜態(しゅうたい)だ。いい歳した大人が年頃の学生の前でやる価値はないとしか思えなかった。  気配もなく化けて現れた幽霊のように距離が縮められている。気が付くまで少しの意識の硬直が見られた。凄みのある能面なのに気配すらも薄弱(はくじゃく)としていた。 「へぇ。面白い魂をしてるって弥生ちゃんに聞いたけど、その通りだったみたいだ」 「な、に……?」 「宮盾昴君。君は一体どこから()()()()のかな」  視界に霧かかった白煙(はくえん)のような物が桂樹の身体から滲み出ているのが映り込む。  だが、認識するよりも桂樹の動作は早かった。 「が……はっ」 「宮盾君!」  太い鉄管(てつかん)が突き刺さり鈍く熟した熱を帯びる激痛に穿(つらぬ)かれる。腕は貫通していない。  しかし、内部に侵入してきたのは見た目よりかは重量感のある桂樹のしなやかに伸びた腕だった。  突然の出来事に詩音は狼狽(うろた)え、昴から桂樹を切り離すべくして小刀を取り出した。  だが、桂樹は相も変わらぬ軽々とした声音で詩音の挙動を制した。 「しーにゃん。僕に傷を負わせたら、どうなるか分かっているよね」 「っ!」 「万君はしーにゃんの怒りも悲しみも、憎しみも受け止めた。けれどね、僕はちぃーとばかし別次元に居る神様だよ。半身(はんしん)は人、半身は神。矛盾を司る(ことわり)の仲介人……忘れちゃ駄目でしょ?」  優しく(さと)すように、危険な行いを(たしな)める口調とは異なる、素肌を突き刺す威圧感に詩音は畏怖の念を覚えた。禍々しさは人里に降りて悪さをする妖怪とは似て非なる、常軌(じょうき)を逸した浮世離れした俗物(ぞくぶつ)。逆らうなと本能が激しく拒絶反応を起こしていた。  身体に得体の知れないウイルスを仕込まれたのか、身動きすら出来ずに引き攣るような痙攣(けいれん)の症状が出る。 「……うん。君はまだ成長途中なんだね」  形を確かめるように、壊れ物を扱うように優しく包み込みながら擽ったそうに撫でられ、桂樹は低く呟き、ゆっくりと腕を引き抜いた。  衝撃に耐えきれなく膝から崩れ落ち、昴は震えの止まらない身体に訳が分からず混乱している。 「ゆっくり息を吸ってご覧」 「……?」  言われた通りに深呼吸を繰り返す。身体の震えは次第に止まり、酸素が全身に行き渡るのを感じる。  目の前に居る男に全てを見透かされているような気がする。昴は冷静さを取り戻し、側に駆け寄ってきた詩音に支えられながら立ち上がった。  恐怖というものはない。目の前に居る男が人智を超えた存在であることは理解の範囲に位置している。だからとはいえ、恐れるような事実ではなかった。  心配そうに涙ぐんでいる詩音に笑いかけ、ここから距離を置くよう目で合図をする。詩音はそれに従い、不安で押し潰されそうに成り行きを見守り始めた。 「妖怪でいいか」 「神様だって言ってるじゃーん」 「いや、妖怪で十分だよ。妖怪も神とか仏と変わらない、人間から崇められてきたような物だろ?」  昴の挑発めいた口調に、桂樹の先程までの余裕が崩れ去る。能面の裏側でどんな顔をしているのか想像の仕様はない。  しかし、明らかに桂樹は苛ついている。 「そうだな。ここから俺が下に落ちたら、もしも社会復帰すらままならない怪我で済むか済まないか。どっちかに賭けないか?」 「……(おど)し? いい歳した大人をからかうのを大概(たいがい)にしなよね」 「じゃあ、どっち賭ける?」 「……前者かな。怪我だけで済むでしょ?」  人より丈夫な身体であることを知ったような口ぶりだ。昴は軽々とフェンスを飛び越え、恐れもなく足を踏み外そうとした。  昴は足が(すく)んでいる桂樹を見て、正解を口にする。 「正解は無傷に決まってる。見くびるなよ」  自然落下の法則を無視したら、人は重力と空気抵抗を無限に操れるのかもしれない。昴は迷うことなく飛び降りた。詩音の叫び声が断末魔のようだと苦笑し、遅れて飛び込んできた桂樹の腕は昴を捕まえることは出来ない。  目下(もっか)にあるのは何か。木々のクッション、プランタに生けられた花壇。昴は野生人の映画に出てきた主人公を真似るように、壁に一足触れさせ、衝撃の吸収から一本の(たくま)しく(そび)え立つ木に飛び込み、スーパーマンのように華麗に地面へと着地した。  教室の窓を開けたクラスが一同にざわついた。昴はいとも容易く人間業からかけ離れたことを披露し、校内全体の注目を浴びた。  桂樹は自身の姿が晒される状況を作られたことに焦り、ふっと何かの術で姿をくらました。案外目立つ作戦は響いたらしい。何者かは問いただせないが、浄化屋を選んだことによる因果関係を感じた。 「宮盾くぅ〜ん!」 「……ん? あ、西園……うぐ」  秀吉や良太郎、紫を引き連れて昇降口から猪すら(おのの)く勢いで駆け出してきたかと思えば、強烈な突進に意識が飛びそうになった。  特に激しい動揺もなく、呑気に「怪我はねぇな」と口にした秀吉は、走るのが遅い良太郎を軽々とおんぶしている。隣に居る紫は他の人間と変わらない困惑状態に陥っていた。 「な、何で飛び降りたの?」 「色々と……?」 「じゃあ、どうして昴君は怪我が一つもないの?」 「あー……ほら、俺ってバーサーカーって呼ばれてるから?」 「開き直るのは格好悪いのですよ」  小憎(こにく)たらしいショタ声に突っ込まれ、昴は苦笑いでこの場から乗り切ろうとした。  だが、詩音は子供みたいに泣きながら、純真で潤んだ瞳を昴に向けている。あまりにも居たたまれない。昴は引き離しにくさに辟易(へきえき)とした。  昴は良太郎に視線をぶつけ、忘れてはならない疑問を口にした。 「あのさ、椙野。椙野は黒石先輩のお父さん……理事長に会ったことがあるか?」 「え? いえ、顔を合わせたことも会話したこともないのですが……」  嘘のない答えだ。唐突な質問に良太郎は驚いている様子だが、昴は益々おかしな点が散りばめられているような気がしてならなかった。  ……特待生制度は関係ないのか?  昴が頭を(ひね)ろうとも、辿り着くような正解もない。  考え込んでいる昴を心配そうに詩音は見詰めており、頬をむにむにと摘んで遊び出し始める。悶々とした気持ちを抱えながら、昼休みを迎える四限目終了のチャイムが鳴り響いた。

ともだちにシェアしよう!