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◇◇◇
これまで通っていた裏門とは真逆の正門で帰る日が来るとは今に至るまで思わなかったと思う。いい意味でも悪い意味でも人目を引く詩音と、他校にも熱狂的なファンを持つアイドル的人気を誇る紫の組み合わせは、地味なママチャリを引きながら歩く昴にとって苦行 にしかならない状況だった。
人目の付きやすい道路で親しげに会話をする二人は、誰から見てもとても絵になる理想のカップルそのものだ。少女漫画みたいで眩しい。自分とは無縁だと昴は溜め息をついた。
地区の中に公園があり、平日ならば学校帰りの小学生や、涼しい時間帯なら犬の散歩をする住民で賑わっている。シンプルな遊具ではない、その界隈 では有名なデザイナーが創造した遊具のある、昨今の流行に乗った、程よく目立った公共施設だ。
公園を通ろうとした時、自棄 に子供達が盛り上がっている様子に出くわす。聞き慣れない歌を口ずさみながら、少年少女達は一人の外国人に酷く懐いている。
普段から正門を出て下校している詩音と紫も、これまでとは異なる不自然さに困惑気味だ。
「き、昨日まではこんなことなかったよ……?」
「誰か居るみたいだけど、よく見えないなぁ」
異常と提示するには難しい。通常通りとは常軌を逸した子供達の好奇心旺盛さや興味関心、興奮が遠目からでも伝わってくる。
詩音は日常的に会話をしている女子小学生に声を掛けた。
「亜美 ちゃん。ちょっといいかな」
「あ! しーお兄ちゃんだ!」
「皆、誰とお話してるの? 俺も皆と一緒にそのお兄ちゃんと仲良くなれるかなー」
同じ目線になって優しく彼女に話し掛ける詩音は、疑いもなく喜んだ表情で頷いた亜美に優しく頭を撫でる。
「……クリス君、か」
外国人の名前を呟きながら、詩音は立ち上がり、異変を起こした人物の元へ導かれるように足を進めた。
ママチャリを停めて、遅れて昴も詩音と紫を追いかけ、子供達の中心に居た人物に驚きを隠せなかった。
「……あれ、昨日の?」
昨日のカジュアルに纏められた私服とは異なる黒い神父服に身を包んだ、天使のように美しい容姿の青年が、慈愛 に満ちた微笑を携えて子供達の相手をしている。首に提 げた十字架に、膝に置かれた分厚い聖書。若々しい神父であることを物語っているようだ。
青年は昴に気付き、にこやかに笑った。
「昨日 ぶりですね」
「……ああ、まあ」
「申し遅れてましたね。ワタシはクリストファーと言います。しがない聖職者を生業 にしております」
丁寧な挨拶に聞き取りやすい日本語は、若干外国人特有の訛 りが含まれている。昴は怖 ず怖 ずと会釈をし、唐突な再会に混乱していた。
「昴君、この人と知り合いなの?」
「昨日、バイト行く時に道聞かれて……」
たったそれだけの接触で再び巡り合わされたような感覚だ。昴は終始困惑していたが、言葉を失った様子で立ち尽くす詩音の表情に気付く。
「あの、クリストファーさん。クリストファーさんは削魄症 ですか?」
「いいえ……違いますが、それが一体?」
詩音の質問はあっさり否定され、間違えてしまったことに慌てふためきながらクリストファーに謝り始める。
詩音が口にした病名は魂魄が削られるように擦り切れ、死に至らしめる難病だ。浄化屋では常識的に植え付けられた知識の一つで、それで亡くなる人間は意外にも数が多く、普通の案件で処理しきれない死に方に当て嵌まっていた。
だが、何故詩音がクリストファーを一目見てそう解釈したのか見当はつかない。ただ分かるのは、クリストファーが浄化屋内部で知れ渡っている病についての知識がある点だけだった。
「そ、そろそろ事務所に行かないと駄目じゃないかな?」
「あ、ああ……そうだな。ほら、西園。行くぞ」
「……うん」
無理矢理詩音の首根っこを掴み、不完全燃焼のまま納得がいっていない様子の彼を一瞥し、昴自身までもが同様の気持ちに陥りそうだ。
……おかしな人だったな。
一見すると子供と戯 れている心優しい青年だ。
しかし、どうしてか胸の奥がざわついて落ち着かなかった。
不穏な予感が的中しそうだと昴は打ち消すように頭 を振り、気が滅入 りそうだった。
◇◇◇
運動部の威勢のいい掛け声は職員室の中でなら程度良く響き渡り、若々しい瑞々しさに青春の香りがしている。職員室よりも壁が厚く、丈夫な造りをした理事長室は、普段から出入りされる現場を目撃されない希少価値の高い部屋だ。この部屋の出入りを許されるのは校長と娘の弥生、それと特待生の一人のみだった。
広々とした理事長室には校旗やレリーフなどが飾られ、高価な壺には花が生けられている。桂樹は来客として呼び出した人物に、静岡から取り寄せた甘みの強い玉露 を湯呑に注ぎ、資料と共に差し出した。
「いやぁ。毎度毎度ごめんね、松村君」
「抹茶じゃねぇ……。一度くらいだぞ、抹茶飲めたの」
「緑茶の茶葉の方が抹茶より安いんだからさー。ね、許してちょ」
唯一呼び出しを受ける特待生の生徒は昴達の親友である秀吉だ。野球部が部活動に励む中、強制的に参加する必要のない生徒として快 く認められている。それを異常と思う生徒も教師も居ない。
秀吉は茶を啜りながら、差し出された資料に手を伸ばす。
「宮盾昴君が浄化屋になるのも時間の問題だろうって言ってたよね。候補に君の名前もあったんじゃないか〜い?」
「あー。いや、そりゃねぇわ。西園は普通に話せる友達が欲しかっただけ。同業者の仲間にする枠に俺は含まれてねぇよ」
「もしも誘われたら?」
「断るに決まってんだろ。俺は浄化屋が嫌いなんだよ」
はっきりと言い切るのは潔 すぎだ。桂樹は面白くなさそうに月花堂 で購入した羊羹 を切り分け、口に運んだ。
「嫌いなのに、親友がなるのは良かった。これってどんな意味?」
「そのまんまだよ。宮盾なら安心出来る。彼奴は周りに無関心な癖に、人間が関わる案件だと目の色変えるからな。俺にはない熱い男だよ」
「見た目だけなら松村君の方が熱血漢 みたいなのにねー?」
当たり前のように無視され、挑発すらも簡単に流されてしまう。それでも歳の割に落ち着いている彼は一枚目の資料を捲りながら、書かれている内容に目を通し、ちらりと素顔を晒した桂樹に視線を投げ掛ける。
「これ、浄化屋関連の事件だろ。親父が酒の肴 に読んでた記憶あるぞ。二年と三ヶ月、そんくらい前の案件だろ」
「勝家 君が言ってた通りか。息子の前でしか仕事の話はしないって言ってたし。でも、よく覚えてるね」
「普通に考えたら変な話だろ。なんで実家に一人で帰ってこれたのか、どういう経緯 で寄生されたのか。全部が謎だ。それも父親は重体、現在も治療中。ただ、まあ、今日は絶好のタイミングで知り合えたんだろうな」
一人の女子生徒の顔写真を指で叩き、明らかに厄介そうだと顔を顰める。
「木梨か。相当なレベルで恨んでるんだろうな。浄化屋のやり方と浄化屋案件処理に」
「熱血漢な勝家君は腹立たしくて堪らなかったんじゃない?」
「そりゃあな。正義感の塊みたいな奴だからなぁ、うちの親父は。ほんと、疲れるよ」
浄化屋の本部『白菊 の舎棺 』から多額の金が振り込まれる家庭は珍しいようで、意外と多い。慰謝料とは名ばかりの口止め代わりの形だけの義援金だ。
莫大 な金が手に入れば、外には出せない事情を露見 することは出来ない。これはただの自己満足だ。母親は日常生活も困難な程になるまで家に引き篭もり、生活の全てが支払われた莫大な金で賄 うことしか出来ない。栞という少女は生活の全てを壊した浄化屋を恨んでおり、引き離された兄を探しているのだ。
資料に書かれた項目に秀吉は目をつけ、再び茶を啜る。
「今夜中に宮盾に電話だな。バーサーカーとキメラの対決なんて、面白い絵にしかならねぇだろうな」
「あまりやり過ぎると翔馬君怒っちゃうかもね」
「知らねぇよ。どうせ俺へのクレームは全部親父行きだ」
どら焼きを頬張りながら、二つ目の資料に目を通し始めた秀吉の姿を眺めている桂樹は、悪戯 めかしく口角を上げた。
「ねぇねぇ。最近よく君の前に現れる彼女とはどうなのかな?」
「別にどうってことねぇよ」
「えー。なにそれー。つまんなーい」
いい歳の男が身体をくねくねしながら、ぶりっ子紛いの仕草が癇 に障 る。外見だけなら年齢不詳の男だ。気持ち悪さに吐き気を覚えた。
……余計な話はするなよ。
無言で資料を閉じ、傍 らに置いていたスクールバッグを肩に掛け、早々に秀吉は退室しようとする。
だが、桂樹は忠告を交えて呼び止めた。
「松村君。あまり目立ち過ぎると危険だからね。君は普通の皮を被った異質な人間であることを忘れちゃ駄目だぞ〜」
邪気 のないにこやかな笑顔に見送られ、鼻につく嘘臭さは全く笑えなかった。
「ご忠告どうも」
振り返らずに毒づくように吐き捨て、早々と理事長室を退室した。
肩凝りが酷いと疲れた様子を崩さずに溜め息を吐き出し、グラウンドに向かうべく足を進めた。密偵 紛いの仕事ばかり押し付けられ、どっち道父親が口煩く説教でも今夜中にされるだろう。荷が重いと言えば荷が重いのかもしれない。
しかし、目的の為の手段だと割り切る。秀吉は携帯電話を弄りながら、既読していなかった泰のメッセージに返信を送り、胸ポケットに仕舞った。
今夜の夕飯の献立 をどうするか考えている最中、弾丸に負けじと突撃してくる少女が手を振りながら自分の元へ来た。
「さーるー!」
「国平 さんよ。その呼び方はやめろって言っただろ?」
偶々、レンタルショップ前で酒気 びたりな大学生に絡まれている所を一昨日助けただけの関係でしかないのに、その日を境 に千絵に話し掛けられる機会が爆発的に増えた。
奇天烈な髪の結わえ方は相変わらずで、出来るならば整えてやりたいとすら思える。
「お前、部活は?」
「朝倉 先輩が休みだから無し! なのにね、脚本担当は問答無用で最低三本くらい話を書けって言ってて! ブラックなパワハラ部活にしか思えんよ、全く」
怒涛 の勢いでパッション溢れる千絵の喋り方は聞いている側からすれば面白い。燦々 と照りつける太陽のような、温かな気持ちにさせてくれる。そんな力を彼女は持っている気がした。
……だからかもしれない。
好奇心旺盛で純真で、それ故に曇り知らず。眩し過ぎて目を伏せたくなる。秀吉は彼女から向けられる笑顔に、ただただ困り果てることしか出来なかった。
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