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◇◇◇
リア充の定義は至極曖昧な物だと知っているだろうか。恋人が居ればリア充なのか、友達と集まり、旅行や食事等をSNSにあげれば、大概の人間はリア充と決めつけるのかもしれない。
事務所に着くや否や、ヒステリックに情緒 が安定していない社 が小一時間くらい電話していた。相手は一流企業に務めるサラリーマンで、結婚を前提に交際をしている男性だ。
不穏な空気に昴だけでなく、詩音も怯えていた。翔馬は耳栓で音声を遮断しており、何も知らずに眠っている手鞠は悪鬼 漂う社の形相に気付いていなかった。
「あー、もう。湊 の野郎。今すぐにでも玉潰してやる」
通話が終わっても相手に対する怒りは抑えきれていない様子で、雑に手に取った金平糖を口内に放り込み、ザリザリと音を立てて噛み砕いた。
「嫉妬深いし束縛したがりだし。なのに全く手出さないのはお前だろうが! こちとら浮気する気なんて更々ないっつーの! テメェが私に内緒でこそこそ姉さんに会ってるのはお見通しなんだよ、バーカ!」
神経を尖らせながら、ストレス発散の矛先を編みぐるみにぶつけている。量産された寸胴体型のゆるキャラアニマルの数々が山積みされており、傍 から見ているだけで冷やりとした。
「湊って誰だ?」
「社さんの彼氏さんだよ。三年前に藤祭でいきなり告白されてから付き合ってて。爽やかで普通に優しいお兄さんみたいな人かな?」
「でも、一度もそういうことしようとしないみたいで……。社さん、不満ばっかり溜まってて、湊さんと話した後は大体こんな感じ……」
日常的に繰り広げられているらしい光景に未だに詩音は怯えているらしい。昴の背中に隠れながら、小動物みたいに震えていた。
翔馬は耳栓を外し、怯えきっている詩音を手招きした。
「詩音。今日は巡回込みで時定に書類届けに行ってこい。出張組が提出してきた報告書も忘れるなよ」
「はーい。ヒム兄とキイ君からのお土産もあるかなー」
「小包 の中にお前の好きそうな奴が入ってたぞ」
詩音が使うデスクには、がさつに包装が外された小包があった。既に開封済みでも気にしていないらしく、嬉々とした表情で小包を開け、歓喜に満ちた声を上げる。
「うわぁ。工芸茶だ〜。ねえねえ、紫ちゃん! 見て見て、熊さんクッキーもあるよ! 可愛いねぇ〜」
「うんうん。本当に可愛いねぇ」
うっとりとした恍惚 めいた表情で一部始終を動画に納める紫の姿に、本能的に昴は引いてしまっていた。可愛らしい外見とは不釣り合いで恐怖だけが煽られた。ただのセフレではない物が彼女から漂っていて、同じ空間に居るのが辛いことこの上なかった。
土産 を確認した詩音は、ハンガーラックに掛けられている群青色の羽織を取り出し、背中に掛けて、翔馬から手渡された書類の入った鞄を片手に元気よく「いってきま~す」と響かせて事務所を出ていった。
詩音が居なくなり、何かを思い出した昴は、フォルダ整理をしている紫に質問をする。
「なあ、花房 。ヒム兄って誰だ?」
「あ。そっか、昴君は御手洗 先輩以外会ってないもんね。聖城 氷室 さんは峰玉 の調律師で、御手洗先輩の彼氏だよ」
「へぇ。そうなん……だはぁ!? か、彼氏ぃ!?」
「詩音君には内緒にしててね? このこと知ったら絶対にショック受けちゃうから。寧ろ御手洗先輩達が屍みたいになっちゃうし」
明らかな爆弾発言に昴は硬直していた。藤代一の番長は同性の恋人が居る。想像を遥かに超えており、激しく動揺していた。
「因みに希壱 がネコだよ」
「え……」
身長は優に百八十を超える長身に、筋肉質でガタイのいい、短気で暴力的な希壱のイメージから想像は全くつかない。昴は困惑気味にしていたが、怒りが収まり冷静になっていた社は羽織を身に着け、革製の鞄を肩に提げて席を立った。
「はい。これが昴君のだよ」
「あ、ありがとう……」
有無を言わせない紫の笑顔に押され気味になりながら、手渡された羽織を受け取る。袖を通すと身体のサイズにぴったり合っており、裾が余ることも、丈が短いこともなかった。
「ん。ほれ、私についてきな」
棒付きキャンディを咥えながら、ファイリングされた資料を押し付けられる。昴は慌ててそれを受け取り、さっさと出ようとする社の背中を追い掛けた。
資料を開きながら歩いている時、見覚えのある名前を発見した。藤代高校一のマドンナと呼ばれる演劇部の女皇 ――朝倉瑞希 だ。
資料には瑞希を含む三人のリストがある。一人は女子中学生、二人目に三十路手前のサラリーマンだ。
「あの、社さん。今日はどんな仕事なんですか?」
「調律師の仕事は大まかに言えば何か分かるかい」
「穢 れの浄化……ですか?」
怖ず怖ずと答えれば、正解だったのか社から銀紙 に包まれたチョコレートを三つ渡される。受け取って直ぐにブレザーのポケットに仕舞い込み、振り向くことなくピンヒールで歩く社は口を開いた。
「童貞。穢れの原因になる物って何だか分かるかい」
「……えーと、負のエネルギーが魂に蓄積される時ですか?」
「それだけじゃ足りないよ。人的被害並に精神を穢れが蝕 むことも可能だけど、外部から組織的に穢れを生み出すことも可能。今回の仕事は後者さ。外部から魂魄に侵入してきた穢れの原因を作る害虫の駆除だよ」
チョコレートに続いてキャンディのように包まれたラムネを渡され、同じくポケットに突っ込んだ。
害虫駆除という名義で掲げられた穢れ祓いの一つ――寄生虫『漆蟲 』の駆除 は、調律師の仕事では極めて基本的な業務内容に当たる。魂魄のみ寄生する漆蟲は、現世 に生じた狭間へ繋ぐ綻びから姿を現す生命体だ。寄生すれば肉体の神経を狂わせ、魂諸共死に至らしめる害的生物。浄化屋の界隈では常識的な知識だった。
「瑞希は元々詩音の担当だったんだけどね。瑞希が「しー君は嫌だ!」の一点張りでさ」
「え。あの西園を拒否るって凄いな……」
「彼奴は、ただ単に弱ってる所を好きな男に見せたくないだけの、ちっちゃくて弱っちょろい痩せ我慢さ。それに、詩音の話題になると白百合会 のメンバーがうっざいからね」
聞き慣れない組織の名前だ。昴は首を傾げながら「なんですか、それ」と聞くと、ココアシガレットを咥えていた社は不敵に笑った。
「詩音のセフレだけで出来た女子会グループさ。そんじょそこらのギャルよりも質 が悪くておっかないよ」
「……聞くんじゃなかった」
「ははっ。私もあの中には入りたかないねぇ。みーんな詩音を巡っていがみ合ってるんだ。特に紫と瑞希は仲が悪くてね。瑞希の不幸に両手挙げて喜んでまあ」
豪快に笑いながら、さも当たり前のようにすらすらと女性の恐ろしさを語る社は、聞いてもいない話を暴露 していく。耳を塞ぎたくなるような内容だ。性格が悪いという単語よりも、根本的に異性同士でタイプがはっきりと異なっていた。
昴は話題を変えようと口を開いた。
「あの、少し聞きたいことがあるんですけど……。よろず、って誰なんですか?」
屋上で詩音がポロリと口にした名前が何故か気になっていた。昴が万の名前を出したせいか、先程まで機嫌が良かった社の顔がみるみるの内に陰り出す。
「ただの面食いの淫乱な尻穴ユルユル野郎だよ」
「シリアスな表情で言う台詞じゃありませんよね」
「まあ、簡単に言えば、詩音の両親以上に詩音を溺愛してた淫奔 な神様だよ。彼奴が詩音の隣に居ない日が珍しいくらい、ずっと隣に居たんだ」
辛苦 に顔を歪めながら、過去を思い返すように社は語った。神様という単語に桂樹の顔が過 ぎったが、簡単に切り捨て、不純さしか匂わない万という人外の全体図が明確に見えてこなかった。
「今は会えないってことなんですか?」
「あの一件以降かな。会おうと思えば会えるんだけどね、接触しよう物なら詩音は吐いちゃうからね」
……吐く程拒否るって、なんだそれ?
疑問符が大量に量産され、昴は訳が分かっていない間抜け面を社に向けていた。
社は言い難そうに苦笑いを浮かべ、鞄から塩大福を取り出した。
「十歳になる少し前の話さ。万が詩音の親父さんとヤッてる所を見ちゃってね。簡単に言えば寝取られた。そういうことさ」
「な……え? え、ええ?」
「まあ、元から詩音んとこの家族関係は破綻 してたし、万に全部非がある訳じゃないのかもしんないけど。文秋 さんは冴葉 さんに執着しててね、自分の子供なんか飾りみたいな扱いだった。表面上はいい家族だったよ」
――まあ、似た者同士の夫婦だったけどね。
憎しみが籠もり、語気を強めて社は付け足した。
聞く限り家族仲がよろしくなかったのだろう。昴はこれまで詩音に対して抱いていた嫉妬の念が馬鹿らしくなり、どことなく淀みが消えてすっきりとした。
「でもね、冴葉さんは詩音の為に浄化屋を辞めたんだ。文秋さんとは別れるつもりでいたし、離婚届も用意してたんだけどね……」
言葉を濁 しながら、僅かな時間黙り込み、社は暗い気持ちに陥っているのを払拭しようと頭を振り、両手で頬を叩いた。
「あー! もう! 童貞のせいで余計なことばかり喋っちゃったじゃないか! 私はね、湿っぽい話は大嫌いなんだよ!」
「はは……。なんだかすみません」
「ほら、気を取り直して仕事だよ。さっさと私についてきな」
他の菓子類と同様に大福を押し付けられ、昴はスペースが余っている制服のポケットに仕舞い、ヒールを鳴らしながら足早に前進する社の背中を再び追った。
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