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◇◇◇
夕食にコンビニで購入したおにぎりで腹を満たした後に、まともな休憩を挟むことなく街頭が間隔的に設置された閑静 な住宅街を社と共に歩いていた。
休憩知らずに全て徒歩での移動手段に少なからず疲れを感じている。常に菓子を頬張る社の姿は幸せそうだと皮肉げに悪態をつきながら、失礼を承知で地雷を投げ入れた。
「そんなにカリカリしてると男が逃げますよ」
「童貞。それ、わざと言ってるだろ」
「湊さんがどんな人かは知りませんが、刺々しいばかりじゃ、知らない間に距離置かれるかもしれないじゃないですか」
一理あったせいか、返す言葉も見付からない社は口ごもった。
突っ張ってばかりの性格を指摘されて、自然と社の歩みは止まる。悩みの一つや二つ、人間にあって当たり前だ。社は奥歯を噛み締め、不機嫌な猫のように牙を剥いた。
「付き合って今月で三年目だよ。童貞じゃない癖に、キスはいつもフレンチだし、誘っても乗って来ないし! そりゃあ、姉さんの方が物静かな美人で、淑女 みたいな感じだし。腹立って当たり前なんだよ」
「……簡単に言えば欲求不満なだけじゃ?」
「なのに男と喋ると向こうは不満丸出しなんだよ。あっちは姉さんに足繁 く通ってる癖にさ」
嫉妬と欲求不満がぶつかり合ってて苛立ちばかりが募っているらしい。昴は簡単な問題なのかも分からないが、どっちにも非があるのは聞いている限り確かな物だろう。湊という男は我慢強い性質なのかもしれない、と勝手に解釈した。
「じゃあ、思い切って同棲するとかは……」
「その手があったか」
軽口と変わらない一言にいとも簡単に社は乗っかった。昴は嫌な予感が津波の如く猛威を増しながら迫る気配を根強く感じ、寒々しさに内心が冷やりと凍えた。
気を良くした社の足取りは軽やかだ。昴は機嫌が良過ぎる社に恐怖を少なからず感じながら、揺れる後ろ髪を眺めていた。
目的の場所は直ぐそこにあり、住宅地にしては芝生が植えられた庭に、モデルハウス並のデザイナーズ物件が目の前に建っている。
「瑞希の親父さんは建築家なんだよ。瑞希が生まれるよりも前にこの場所を住宅街にする話があってね、それに参加したついでに自宅も作っただけの話だよ」
「お、教えてくれてありがとうございます」
インターホンを押し、暫くすると犬の鳴き声が近付いてくる。玄関が開けられ、瑞々しくも色気のある大人びた女性が現れた。
「ようこそおいでくださいました」
中に促され、外靴を脱いで用意されたスリッパに足を入れる。居間に向かうべく歩を進めた時、足元に若いゴールデンレトリバーが擦り寄ってきた。
「あらあら。ジュナ、この方達は遊びに来た訳じゃないのよ」
「あはは……。お構いなく」
犬は良太郎の家で嫌になるくらい見てきたせいか、若いゴールデンレトリバーが一匹ならば問題はない。人懐こい子なのかと勝手に思い込みながら居間に入り、瑞希の母親に促される形で昴がソファに座ると、ぴたりとジュナは自分に寄り添う形で傍らにお座りをした。
「この子にしては珍しいわ」
「え。いつもじゃないんですか?」
「詩音君には飛び掛かる癖があるだけで、初めての人にはこんな風に喜んだりしないのよ?」
「まあ、詩音はちぃちゃい時から犬に飛び掛かられるタイプだから比べちゃ駄目だけどね。馬乗された挙げ句舐め回されてびーびー泣き叫んでたねぇ」
……それ、篤 ちゃんと同じだ。
秀吉の妹と同じタイプだと直ぐに察してしまい、自然と苦笑いを浮かべてしまう。犬に猛烈に好かれて苦労していたのだろう。今頃詩音はくしゃみの一つくらい噛ましているのかもしれない。
「童貞。瑞希相手に実践でやってみな」
「え……?」
「調律師の仕事に興味があるんだろう。なら、お試しでやってみた方がいいんじゃないかい」
本気で言っているのか分からない軽口に、一瞬惑わされそうになる。簡単に言ってもいい内容なのか勘繰ってしまっている最中で、社は口端を釣り上げて笑った。
「小難しく考え過ぎだよ。それに、その観察するような目付き。落ち着かないからやめな」
「あ……。すみません。癖が抜け切れなくて」
昴が何気なく口にした言葉に社は怪訝そうに顔を歪めたが、表情の変化に気付く前にジュナが間に割って入って来たのを切欠に昴は立ち上がった。
「社さん? どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ。さ、行こうか」
何事もないように立ち上がり、振り返ることなく社は一人でさっさと居間から出ていく。置いてかれそうになるのは何度目か数えていなかったが、焦る必要はないと社を追い掛けた。
階段を上って通路を抜けるとローマ字で瑞希の名前が掛けられた扉の前に着き、社はノックをせずに入った。
「瑞希、入るよ」
「やあ。社さん。久し振りだね」
模範的な女子の部屋から想像を超えた部屋が広がっていた。ぬいぐるみは一つもなく、クッションはシンプルな平たい物。木で出来た立体的なパズルが標本さながらに並べられ、リノベーション物件の内装を彷彿とさせる家具の配置や壁紙の工夫等に拍子抜けした。
……マドンナが過ごす部屋が、これ?
中学生の部屋の方が圧倒的に女子的な部屋だった。かなり強烈的な部屋に昴は唖然としていた。
「君が昴君でいいのかな」
「へ……あ、はい」
ベッドに腰を掛ける黒髪の少女――瑞希は、落ち着き払った冷静さが大人びていて、洗練された美貌が月明かりの如く眩 い。口調が男らしいのが違和感のようなミスマッチさに外見からの先入観は尽 く破壊され、慣れなさに昴は困惑していた。
「ああ。私の喋り方を気にしているのかな。別に気にする必要はないよ。私は好きでこの喋り方をしているだけだから」
「は、はあ」
どこか達観しているような余裕さに、寄生されて弱っている様子は全くない。顔色も良ければ瑞希の態度に納得いく気がしなかった。
社は想定内のリアクションをしている昴を愉快そうに一瞥してから、瑞希に声を掛けた。
「相変わらず可愛げがないねぇ」
「私はただ単に格好つけたい年頃なだけだよ」
「詩音の前だけ女見せりゃあいいって訳ね。なら、さっさと上脱ぎな」
瑞希は小さく笑いながら「相変わらず品がないね」とぼやきつつも、言われた通りに上着のボタンを外した。
顕になった二つの山は淡い紫色のブラジャーで支えられ、程よく育った丸みのある丘が均整の取れた形で割れた谷底は深みがある。昴は慌てて両手で双眸を塞ぎ、直視が出来なかった。
「……童貞。胸だけで興奮するのはやめな」
「いやいやいや! こんな簡単にご開帳されるシチュエーションは紙媒体くらいだけですよ!? エロ漫画か! これはエロ漫画か!」
「まあ、紫は貧乳だからね。そりゃあ瑞希の乳は形も良けりゃ弾力もあって、あそこの色も……」
「そういうの無しでお願いします! 女性経験ない俺には無理難題だよ、馬鹿!」
刺激が強過ぎだと喚いても社はけらけらと笑っているだけだ。仕事をしないとならないのに、昴は意を決して両手を退かした。
胸元よりもやや上に筋が浮き出た跡が視認出来た。根深く寄生した漆蟲の侵食域は想像よりも遥かに広い。
……あれ? なんか透けて……?
勝手に右手が導かれるように侵食域へ伸びた。何かが透けて見えた気がした、ただそれだけの一挙一動に、右手が吸い込まれていく。硬質な何かが指に当たり、昴はそれを鷲掴みにして引き剥がした。
「んん……?」
百足 のような無数の節足に、頭部は太く、下肢に行くに連れて爬虫類のように細くなり、固い鎧に全身は覆われている生物――漆蟲を昴は素手で掴んでいた。
「うわ、気持ち悪っ」
引き剥がしたことにより瑞希はベッドに倒れ、昴は不気味な漆蟲の気持ち悪さに、思わず床に叩き付けた。
不気味な鳴き声を上げてぐしゃりと叩き付けられた漆蟲は、痙攣を起こしながらぴくぴくと触角を震わせていた。
「な、ななな! 何をしているんだい!?」
「え、え?」
咄嗟に社が取り出した札が漆蟲に投げられ、空気に昇華されるように滅せられる。跡形もなく漆蟲は消えたが、焦り顔の社が目の前に来ては、右手を取られる。
「何で? 嘘でしょ……どこも穢れてない?」
「あの、何が起きたんですか?」
「それは私が聞きたいことだよ……!」
社は珍しく動揺していた。想定外の事象を起こした昴の行動よりも、存在に不可解さを抱えながら、我に返ってベッドに横たわる瑞希の魂魄を確認し出した。
「……魂魄に傷一つないどころか、穢れがなくなってる? 何それ、何これ!?」
「あの、社さん……?」
「アンタ、一体何者なんだい!? 漆蟲を素手で引き剥がすわ、穢れごと引き剥がすわ! 普通ならこんなことしない、っていうか出来ないことだわ!」
混乱から興奮に変わり、特殊な能力を使ったらしい昴に対して、社はかなり食い気味に迫ってきた。
だが、肝心の昴自ら特殊能力の自覚はなかった。
「なんか、こう、透けて見えたような気がして手を突っ込んじゃった、みたいな?」
「はあ!? それが出来るのは翔馬と変態仮面しか知らないわ! え? なんで、なんで!?」
「知りませんよ! 寧ろ俺が聞きたいですって!」
変態仮面は桂樹のことに違いはないだろう。しかし、全くもって昴は自身がやったことに自覚症状はないままだ。社は調べようと昴の身体をペタペタと触り出すが、誰から見ても一般人と差異はない。宿している魂も健全な白色だった。
社は冷静を取り戻すべく深呼吸をし、何事もないように立ち上がって、そそくさと部屋を出ようとする。
「……下でお茶でも貰ってくる」
一言だけを残して社は出ていった。取り残された昴は唖然としたまま、右手を見詰める。
……何だったんだ、あれ。
開閉を繰り返しながら右手に不具合がないか確認をしている最中に、寝ぼけ眼の瑞希が起き上がった。
「……あれ。社さんは居ないのかな」
「下でお茶貰いに行きました」
「んー。そうなんだ」
パジャマのボタンを留めながら、関心が薄そうに瑞希は白けた表情をしている。
「朝倉先輩は西園のセフレ……でいいんですよね?」
「行く行くは正妻を狙ってるけどね」
「はは……。おっかねぇです」
瑞希の自信家な表情に昴は引いていた。女同士は足の取り合いとはよく言う。もしも彼女が明日の金曜日に復活しよう物なら、紫の獰猛さを改めて直視することになるのだろう。想像しただけで身体の奥の芯から冷え冷えとした。
余裕さに溢れた微笑を瑞希は向けてくる。
「宮盾君。君の利き腕はどれかな」
「あー……。実は両利きなんですよね」
「へぇ。珍しいね。じゃあ、右手を貸してくれないかな」
言われるがまま右手を差し出すと、瑞希のしなやかでしっとりと潤った手に取られ、彼女に導かれるまま――右乳を手中に収めた。
「あぽぉ!?」
「あー。やっぱり、しー君とは違うなぁ。君のことは男として見れないや」
瑞希のせいで勝手に揉まされているというのに理不尽にフラれた。柔らかくも弾力性に富んだおっぱいをマジックハンドみたいにわきわきしながら右手に抱え、昴は心身共に激しいダメージを負った。
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