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◇◇◇
昨日よりも少しだけ早めに起床した昴 は、ぐっすりと眠りこける翔馬 と手鞠 を起こさぬよう音を立てずに着替えを済ませ、普段と変わらないルーティンでランニングを始め、家に戻っては直ぐに鍛錬室に籠もった。
時間設定を携帯電話のタイマーに入れ、熱を入れ過ぎない為にと縛りを付けた。翔馬達が起床する時間は決まっていると月銀 に聞き、それまでに鍛錬を終わらせ、汗水を風呂場で流してから制服に着替える手順で定める。
昨夜の一件で躊躇 なく取り出したナイフはこれで二本目。不思議なくらい手首にしっくりくるが、ナイフという武器はあまりにもデメリットが多そうだ。
……そういえば。
「西園 って、確か刀以外もぽんぽん出してたような……」
まるで武器庫だ。捕縛 する鎖や飛び道具、形状の異なる刀各種。和風に偏りがちだが、魂から顕現 する性質についての知識は不足していた。
「貴方と詩音 さんは出来が違うんですよ」
「月銀さん……」
「主 は努力知らずの方なので、僭越 ながら私 めが教鞭 を取らせて頂きます」
気配なく鍛錬室に現れた月銀は、どこからともなく出現させた滑車付きの黒板をからから押しながら、フレームの細い伊達眼鏡を掛けている。張り切り方に引いてしまった昴だが、彼自身が楽しそうだから余計な口は挟む気は起きなかった。
月銀は黒板に図を書きながら、五角形の角に魂魄 の性質となる物を書き記していく。
「魂魄という物は人間一人の個体に付き、持ち得 る性質は其々 異なる物質です。貴方や詩音さんは物体を確定した姿で取り出せる個体顕現型に当て嵌まります」
例として刃のある剣や槍、銃器から多岐にわたる。消費されることなく生成出来るタイプで、魂魄が拡張されれば変化が可能だ。
「詩音さんは最初から大量に物質を顕現出来た訳ではありません。魂の拡張と共に、いくらか制限をかけて手数を増やしているのです」
「制限……? 例えば?」
「最大限に生かせるメリットを削いでいく、言わば一つの個体に対して能力を劣化させる仕組みを取り入れているのです。後は技術で不足したメリット分を補う、といえば分かりやすいでしょう」
広く浅くも、戦術の幅を優先したやり口なのだろう。武器庫と称して悪くはないのかもしれない。
だが、月銀は続けた。
「しかし、それは詩音さんの魂魄が数多くの物質を生成出来るタイプなだけですので、個体顕現型の浄化屋全てが可能な範疇 にある訳ではありませんので、それをお間違いなきよう」
「……え。じゃあ、俺はナイフだけ?」
「いえ。貴方の魂魄は未だに明されていない部分がありますから、拡張した後々を予測することは不可能なので」
ばっさりと斬り捨てられ、確定事項ばりに断言しかしない月銀の容赦がない口調に疲労感が蓄積されつつあった。
だが、月銀が口にした内容に昴は昨夜の出来事を思い出す。
……あの神父が言ってたのは。
浄化屋に足を踏み入れてから、ここ最近考え込むのが癖になってしまった。一旦フェルケルのことを忘れ、再び月銀に目を向けた。
「次は個体ではなく不定形物質を顕現出来る魂魄は思念顕現型に当て嵌まります。特にこちらは扱い方が小難しい部類でして。貴方が魔法で想像するのはなんですか」
「ファイアボール」
「……魔法名まで要りませんよ」
「簡単に言えば、炎とか水とか意思一つで出せる性質のことで合ってるか?」
「まあ、大まかにはそうなりますね」
「じゃあ、ヒールも……」
「ゲームから離れなさい」
月銀は察したのか直ぐに話題を逸らす。ゲーマー精神でありながら、体育会系のようなタイプの人間は色々と面倒臭い。侮蔑 の眼差しに昴はけろっとしていた。
「取り敢えず、希壱 さんは思念顕現型です。ただ、個体顕現型も持ち合わせておりますので」
「鬼が金棒を持った二本持った……」
「思念顕現型は制御がなければ能力の暴発 を起こし、根源となる魂魄が摩耗 していきます。ただ、この性質の持ち主は=強靭(きょうじん)な魂魄を宿していますので、一定の間だけ休ませれば回復します。まあ、制御が効かなくて消耗し過ぎて死ぬ人も居ますが」
簡単にあっさりとこちらも斬り捨てたような口振りに、気持ちのいい潔 さだけは称賛する。断言癖 から高慢 さが浮き彫りで、手鞠に邪険にされる理由が分かってしまった。
「続いては、魂に近しい生命維持装置を着けた生命体を顕現する錬成顕現型。こちらは動物や植物、または精霊などを生み出せる性質です。疑似的な生命を産み出し、使役する、いわば精神の乖離 が可能となっております。因みに社 さんはこちらの性質を持ち得ております」
まるで召喚士 のようだと思いながらも、ふと、昴はとある疑問にぶつかった。
……じゃあ、人造式 は?
「あの、月銀さんは錬成顕現型で生まれた存在なんですか?」
「いえ。人造式とは人為的に生み出される道具です。主とする術者が用意した触媒 から儀式的に生み出すことが可能な、人でもない存在。簡単に言えば、現に人間と等しい肉づきのある私も紙切れ一枚と変わりないのです」
外見だけなら人間と変わらない月銀は、自身の存在を紙切れと称した。独立した性格を持っている姿は、やはり同種と差異はない。
だが、月銀は相変わらずの阿呆 さだった。
「ですが、主君によって生み出された私はどこぞの陳腐 な人造式よりも遥かに美しく気高く、有能な人格を持って……」
延々と自画自賛している月銀を総スカンし、竹刀 などが入った用具入れから二振りの竹刀を取り出した昴は、一振りを月銀に投げた。
喫驚 しながらも竹刀を受け取った月銀は、目を瞬かせた。
「なんです……?」
「丁度手合わせの相手が欲しかったんだよ。月銀さん。アラームが鳴るまでの時間だけ俺の相手して貰えるかな」
余裕を見せる昴の笑みに、高慢さを崩さない月銀は伊達眼鏡を投げ捨て、自信に満ちた態度で竹刀を構えた。
◇◇◇
身を寄せ合うように手鞠の小さな身体を抱き締める翔馬の姿を見ながら、制服に着替え終えた昴は月並みの言葉で「親子みたいだな」と称した。似ても似つかない外見はまるで陰と陽。昴はそれでも仲のいい二人を微笑ましく眺めた後、起こすのを止そうと寝室を出ようと踵 を返す。
「スバル……?」
寝ぼけ眼 を瞬かせた手鞠の澄んだ声に呼び止められる。昴の足は自然と止まり、振り返っては手鞠に「おはよう」と言った。
手鞠は嬉しさから頬を紅潮させ、微かながら笑みを浮かべているように見える。
……参ったな。
日和 るのが早過ぎたと自身の弱腰ぶりに呆れ返った。手鞠が目を覚ましたのと同時に翔馬も覚醒し、大きな欠伸混じりに挨拶をする。
「んぁー。おはようさん」
頭をがしがしと掻きながら、昴に指示するよう視線だけで桃色の箪笥 を指す。昴はすんなりと従い、箪笥の下段を開けた。
「ああ、手鞠ちゃんの洋服か」
「当たり前だろうが。俺がピンクの箪笥を好き好んで使うように見えるか?」
「なんだこれ、タグもないハンドメイドばかりだ。製品のは少ないような……」
「社の作る飯は不味いが、洋裁は得意なんだよ。看板娘に着せる服には社の性癖ばかり詰めこまれてる」
フリルがふんだんにあしらわれたワンピースや、レースで透け感を出したチュニックなど様々な可愛らしい女子力高めの衣装の数々に久しく昴は圧倒されていた。
泰 のような機動性重視の衣服に見慣れたせいかもしれない。昴はシンプルなシルエットの花柄ワンピースを取り出して、そわそわと落ち着きなく待っている手鞠に手渡した。
「これでいい……かな?」
「ん。それでいい」
昴が選んだワンピースを大事そうに抱き、嬉々とした様子で手鞠は翔馬に手伝われながら着替えを開始した。
親子みたいだと改めて思いながら、昴はその場から出ようと再び立ち上がろうとした矢先に、翔馬が口を開いた。
「居心地悪いか」
「そんなこと……はある、かな」
「まあ、無理に家族になろうみたいなことは俺は言わないけどな、いざ距離ばかり取られると寂しい物だ」
強く叱られている訳でもない、柔和な口調にやんわりと注意され、図星から昴は黙った。弱音を吐き出せる相手かどうか判断つかない。だからこそ距離を取る選択をしたが、何故そうしようと思い立ったのか、経緯は不明だった。
……いや、分からないんじゃない。
「距離を取ってるのは翔さんの方からじゃないのか」
「…………」
鋭く切り込まれた一言に、翔馬は罰が悪そうに顔を顰 め、口を真一文字に引き結んだ。
観察をするような眼差しが癖になったのはいつ頃か、昴にとって気にも留めるべき問題ではない。空から獲物を見つけては、タイミングを見計らう猛禽類 の捕食シーンはネイチャー番組でしょっちゅう取り上げられる。覇気 の込められた瞬間が垣間見える度に、翔馬は緊張感を覚えていた。
「いや、なんでもない。俺の思い過ごしかもしれないし」
流れるように意識を逸した昴の変化に、またしても翔馬は口に出せないまま、無言で去り行く昴の背中を見送った。
気を確かに持とうと翔馬は手鞠に着せたワンピースの背中にある釦 を留めたが、彼女からは怒りが沸々と湧き上がっているのを知る。
「ショウ。それ、駄目」
「俺が昴に言ったことか?」
「ん。スバルを急 かしちゃ駄目」
無表情ながらも怒気を溢れさせている手鞠の姿に翔馬は久しく驚いていた。
ぬいぐるみの大二郎 を抱えて、翔馬を振り返ることなく手鞠は出ていく。本格的に怒っているらしいと参ってしまった。
遅れて居間に来た翔馬は腰やら腹やら抱えている月銀が忌々 しげに唸 っているのを見た。
「主! やはり、私はあの者が好ましくありません!」
「あ? 何かあったのか、でっかい瘤 なんかつけて」
「ただの剣道かと思えば、やれ柔道や極真空手や、その後何故かプロレス技。笑いながら襲い掛かってくる姿は悍 ましいことこの上ありませんよ!」
手鞠と遊んでいる昴を翔馬は見て、即座に納得する。
「言わなくても大丈夫、か」
小言 の煩い月銀の腰を平手で叩き、翔馬は新聞紙を片手に昴達を慈 しむように見詰めていた。
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