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 ◇◇◇  二度目の予鈴(よれい)を聞きながら、静けさながらも落ち着きを与える図書室の中で、牙を折られた動物のように威勢(いすい)がなくなった栞は、携帯電話に表示される分刻みの時計を、反復運動の如く暗くしては消し、明るくしては消しを幾度となく繰り返していた。  生まれて初めて授業を(ほお)った。外見だけなら派手めで、真面目に授業を受ける姿は似合わないと馬鹿にされてはいたが、いざ自身の見た目に合わせて地味な非行(ひこう)を働くと、(むな)しさやら恥ずかしさやらで気持ちが悪いこの上ない。  リラクゼーション効果のあるアロマが焚かれているせいか、図書室にしては直ぐ様読書よりも寝に入りそうだと栞は机に顔を伏せながら唸っていた。 「木梨(きなし)さん。授業、大丈夫?」 「ハナちゃん煩い」  藤代(ふじしろ)高校一の美人と名高い図書室司書――(まゆずみ)花織(はなお)は既婚者の妻子持ちだ。通常装備のほんわかとした笑顔によく似合う淡い黄色のエプロンに、萌袖になっているライトブラウンのカーディガン。これできっちり愛妻家(あいさいか)子煩悩(こぼんのう)と来たら、ギャップはかなり大きい。 「うーん。これでサボり組二人目だなぁ」 「……あたしの他に誰か居るの?」 「司書室に朝倉(あさくら)さんが。自前の枕とタオルケット付きでね。病み上がりなのに全く()りないし変わらないよ……」  表向きは体調不良による欠席者扱い。浄化屋の界隈(かいわい)に位置する漆蟲(しっちゅう)の存在は、一般社会では認知されない生命体だ。だからこそ一般社会ではただの体調不良で片付ける。  瑞希(みずき)が復学したせいで、これまで機嫌の良かった(ゆかり)軒並(のきな)み外れてだだ下がりだ。嫉妬(しっと)化身(けしん)には触れてはならないと構いはしなかったが、栞は自由な恋愛をしている彼女の姿は眩しい物に見えた。 「あ。そういえばさ、昨日の騒ぎ知ってる?」 「チビ眼鏡の家族構成でしょ」 「そうそう。いやぁ、あの凛太郎さんの弟とは思えないまともな子だからさー。いっちばん話通じるんだよね」 「……凛太郎さん? え、ハナちゃんの知り合い?」 「あはは。学生時代にちょっとねー。破天荒(はてんこう)っていうレベルじゃなくて、奇天烈(きてれつ)? 今は漫画家で落ち着いてるけど、案外やってることは昴君達に似てるのかも」  奇人変人と名高い天才漫画家の知り合いが身近に居たことに栞は喫驚していた。  だが、肝心の部分で栞は今一度よく理解していない。昴についての情報が浅いからだ。 「彼奴等、有名人らしいけど……何かやったの?」 「えー? あー、そっか。昴君には信憑性(しんぴょうせい)の薄い(うわさ)も出回ってるしね。秀吉君はそこまで根掘り葉掘りされないし、良太郎君は目立たないし。泰ちゃんは気配消してるしねぇ……」  意味深に勿体ぶりながら含みを持たせて語る花織は、何から話そうかと順番を考えている。 「彼奴がバーサーカーって呼ばれてる意味もよく分かんないし」 「簡単に言えばたった一人で不良校のヤンキーをボコボコにしたのから始まったのかな。高校進学を機に藤咲市に来た瞬間、住む所を探してる最中にトラブルに巻き込まれたらしくて、そこから怒涛(どとう)の勢いだよ」 「トラブル、って?」 「恐喝(きょうかつ)の現場に出会(でくわ)して、ヤクザの下っ端のおっさんをぶっ飛ばした、って奴。しかも被害者さんに誘われてボロアパートをタダで紹介して貰った挙げ句に、気が付いたら強さだけが広まっちゃって藤咲市全域の暴力団関係者やヤンキー全員と抗争が勃発(ぼっぱつ)」  頭が痛くなるような話が花織から繰り広げられる。栞は屈強そうな体格に見合わない昴の顔を思い出して、()に落ちない部分は沢山あった。 「で、それが切欠で藤咲市内は平和になったんだよ。バーサーカーの由来は一人で多人数を相手に勝ったから、だったかな」 「……あっそ。じゃあ、きっちり強いんだ」 「うん。強いね。しかも、ああ見えて情に厚い子なんだよ。まあ、そこに至るまでの受け入れようは若干遅いけどね」  周囲に無関心そうな反応はここ数日の間で目につく程分かりやすかった。有名人に含まれる紫すら知らなかったらしい。掴み所のなさから、信用するに(あたい)する人間かは判断がつかない。  ……ただ、お兄ちゃんは浄化屋を望んでる。  携帯電話を見下ろしながら、何度見ても通話履歴に残る弘の存在に、栞は解消出来ない(しこり)があることに苛立ちを覚えた。 「ん〜。よく寝たぁ」  爽快感が訪れるまでの倦怠感(けんたいかん)に瑞希は(ひた)りながら、(みだ)らに乱れた制服の格好で司書室から出てきた。ブラウスの釦は三つも開き、リボンすらない。若人(わこうど)にしては育った胸に花織は女子力高めの悲鳴を上げながら、颯爽(さっそう)と本棚の(とりで)へ消えていった。  外見だけなら憧れてしまう大和撫子(やまとなでしこ)ぶりだが、その実、栞は彼女のことが苦手だ。瑞希は普通の人間でありながら、中身が黒々(くろぐろ)としており、腹の内に大蛇(オロチ)を飼っている。はっきり言って瑞希は性悪だ。  無意識に身構えてしまったが、瑞希は栞の警戒心すら無視して、目の前に座る。濡れたような黒曜石(こくようせき)の眼差しが、栞を絡め取るよう舐めあげられた。 「やあ、栞ちゃん。何か困り事かな」 「……なんでもないわよ」 「携帯ばかり見て、まるで誰かからの連絡を待っているみたいだね。彼氏かな?」 「んな訳あるか! 彼氏なんか出来たことないから!」 「ごめんね、そうだったね。栞ちゃんはショタコンだっけ」 「違うから!」  小さい男の子が好きなだけで、幼い子供には興味がない。線引(せんびき)曖昧(あいまい)だと芽衣には突っ込まれたが、ショタコンだと小馬鹿にされると腹は立つ。  だが、瑞希は飄々(ひょうひょう)とした態度を崩さなかった。 「まあ、大方分かるよ。お兄さんが切欠じゃないのかな。堅物(かたぶつ)な君がもだもだしてるのはらしくないからね」 「……うっさい」 「それに、浄化屋案件だ。連れて行くなら迷わずしー君と昴君を選ぶだろう。そこが君にとっての大きな悩みどころさ」  核心を突かれて栞は口籠(くちごも)りながら黙り込んでしまう。あからさまな図星だ。特に難しいと判断してしまうのが詩音であることも、白百合会(しらゆりかい)に所属している瑞希ならば手に取るように分かってしまうだろう。 「ふむ。取り敢えずしー君は戦えないね。いや、圧倒的に不利さ」 「……当たり前じゃない。だって、詩音のお母さんは虚戯感染者だから……」 「なら、昴君を使えばいいじゃないか。簡単な話だろう。彼は強者(つわもの)だ。悩む必要はないと私は思うよ」  簡単な話だと瑞希は割り切った。既に分割されている問題処理に、苛立ちが何故か湧いてこなかった。普段なら噛み付いているのに、あっさりとした瑞希の発言はあまりにも的を射ていた。 「今日は一日中晴れるそうだね。雲一つない快晴だ。今夜はよく星が見えそうだよ」  透き通った声で紡がれる戯言(ざれごと)に、暗い陰を落としていた栞の表情は(たちま)ちハッと光が差した。  ……なんでお兄ちゃんが今日を選んだんだろ。  栞は立ち上がり、窓辺へと足を進める。  よく晴れた空。雲一つない空。栞は頭の中で瑞希が口にしたことを反芻し、窓を開け放った。  純度の高い外気が図書室に入り込んでくる。風で運ばれた訳ではない、溢れた新鮮な空気に、無風に近い外は心地良い気温で活動がしやすそうだ。 「明日は晴れのち曇りだったかな。星を見るなら今夜は絶好の機会だね。湿度も高くないし、条件はいいんじゃないかな?」 「何で、何で……」 「噂くらいは耳にしておいた方がいいよ」  無関心では済まされない事態が起きている。栞は固唾(かたず)を飲み込み、冷静にあしらう瑞希に一瞥(いちべつ)され、迷いを払拭(ふっしょく)したように頷いた。 「なんか、よく分かんないけど……ありがとう、瑞希先輩」  ただの戯言を信じるのも一興(いっきょう)だ。栞は図書室であろうと構わずに駆け足で廊下へ出ていき、取り残された瑞希は静かに溜息を吐き出した。 「……昴君は分かりやすい男だ。だからだろうね。彼が浄化屋へ行くよう仕向けたのも、本当におっかない男だと思うよ」  自分への興味を逸し、不自然さを跡形なく消した昴の親友の存在を危惧(きぐ)しつつも、瑞希は携帯電話で休学中の友人にメッセージを送る。 「私へのラブコールだよ。御手洗(みたらい)も歓喜するだろうね。人ならざる好敵手(こうてきしゅ)がこちら側の陣営に足を踏み入れたのだから」  ブラウスの釦を留めながら、緑のリボンを付け、アルコールに酔い()れたような声音で一人で語らう。  それを本棚越しで聞いていた花織は呟いた。 「あれを中二病っていうんだよね……」  不躾に口から出たツイートを拡散する手立てもなく、花織は我が物顔で図書室を無償のカプセルホテル並に使う瑞希に呆れから来た愚痴(ぐち)をたらたら零していた。

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