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 ◇◇◇  閲覧(えつらん)を阻止されたサイトで記憶しているのは開けた公共施設であること。市内にある公園や広場をノートに地区別で書き記しながら、昴は授業中だろうと黙々と作業に徹していた。  ……隣町近くの公園は。  確かテレビでもよく映し出される公園だ。夏場になれば、噴水で水浴びをする子供達が映し出され、かき氷やクレープなどの移動販売がある。 「……あそこか」  合成獣(キメラ)の出没場所を割り出せた瞬間、勢いよく扉が開かれた。  気の小さい日本史の教師は突如として授業を破壊されて怯えから縮こまっていた。現れた人物にクラス全体はざわつきながら注目し、釣られて昴も視線を向け、驚きに声を上げた。 「き、木梨……?」 「し、詩音と宮盾に用があるんだけど、(ツラ)貸しなさい」  古臭いヤンキー漫画にでも出てきそうな台詞だが、恥を捨ててまで栞は二人の名前を呼んだ。察したのは緊急を有することだけだ。詩音は何なのか既に悟っているらしく、普段ののほほんとした表情を捨て去り、真剣な眼差しをして立ち上がった。  昴も立ち上がり、行こうと歩みを進めた時、笑いながら手を振る秀吉が視界に入った。  ……本当に性格悪いな。  悪態をつきながらも昴は教室を出て、厄介事の到来に暫し頭痛を覚えていた。  だが、もしも秀吉から教えられた『歌うたいの合成獣(キメラ)』が関わっているならば、浄化屋の仕事になるのは間違いなかった。  そうでなければ詩音は呼ばれない。嫌な予感だけを感じつつも、昴は栞の後ろをついて歩きながら屋上へ続く階段を上がった。  軋む音を立てながら扉が開かれ、風のない外気が(ほお)に纏わりついてくる。心地良い気温だが、風は少しくらい欲しい物だ。昴は緊張している詩音を見て、やはり嫌な予感しか来なかった。 「……アンタ達に頼みがあるの。聞いてくれるよね」 「取り敢えず、拒否権はないみたいだな」 「仕方ないじゃない。今は御手洗先輩は居ないし、頼れるのは詩音とそのオマケしか居ないのよ」 「……オマケ扱いは酷いな」  釈然(しゃくぜん)としない昴だが、それ以上突っ込む必要がないと口を(つぐ)んだ。  ……それよりも。  詩音が自棄に大人しいことに無意識に緊張せざる終えない。いつもならテンションよく発言をする筈だ。しかしながら、今の詩音は緊張や動揺、恐怖で渦巻いた麻痺感情を抱えているように思えた。 「お兄ちゃんから電話が来たの。浄化屋を連れて来てくれたら、あたしと会ってくれるみたいで」 「お兄さん? 浄化屋が居ないと駄目な事情って……」  理由を分かっていない昴に補足説明をするよう、詩音は固く重たい口を開いた。 「栞ちゃんのお兄さんは虚戯感染者だからだよ。漆蟲よりも質の悪い、人間を破壊する生きた生物兵器だと思って」  詩音にとっては酷く身近な存在でありながら、関わりがない昴にとって次元が異なる領域だ。感染者という言葉から、ウイルスのような物を昴は想像した。 「虚戯は人的災害を巻き起こす瘴気(しょうき)を持っていて、一度魂魄に寄生すると肉体的にも精神的にも崩壊するんだ」 「それは、引き剥がせないのか?」  些細な疑問に詩音は首を横に振った。 「無理だよ。虚戯はただの穢れを生産するような漆蟲とは違うんだ。魂魄を食い物にして身体を肥大化させて、寄生した人間を怪物に変える。魂魄は絶対に救えない。輪廻転生(りんねてんせい)()さえ潜れないんだよ」  考え方を甘くしていた。瑞希の時のように引き剥がせるのではないかと考えていたのも甘さを象徴とし、魂魄の絶対的死が存在することが現実に変えた。  ……木梨はそれでも会いたいのか。  浄化屋を忌み嫌っている素振りは度々見受けられる。睨まれたくらいの些細な話だ。 「木梨は浄化屋が嫌いなんじゃないか」 「……そりゃあね。これまでの生活を無茶苦茶にしてくれたから、恨みくらいあって当たり前じゃない」 「お兄さんに害はない。そう考えてるんだな」  昴の一言に、先程まで冷静だった栞の顔がくしゃりと歪んだ。泣き出しそうな、溢れ出る怒りを滲ませながら、栞は耐えるように顰めている。 「だって、訳分かんないままお父さんはお兄ちゃんに襲われるし、お兄ちゃんは泣きながら逃げるし。タイミング見計らったみたいに舎棺(しゃかん)から浄化屋が来るし……もう、訳分かんないでしょ。一般人の浄化屋案件だから大金振り込まれた挙げ句、生活全部が台無しになった」  父親は瘴気に当てられ療養を余儀(よぎ)なくされ、母親は気を病んだ。ことあるごとに兄の名を呼ぶ母親の姿に孤独を抱えてきた栞は、誰よりも慕っていた兄の豹変(ひょうへん)に誰よりも傷付いていた。  しかし、疑問視するべき点があることを栞は気付いていた。 「あの天パも詩音も知らないようなことがあるのは知ってる。お兄ちゃんに何が起きたのか、あたしは何がなんでも知りたいのよ」  迷いを捨て去るのは人間からすれば簡単な話ではない。暗雲(あんうん)のカーテンコールが兄との別離(べつり)によって告げられたのなら、少しずつ大人へと成長する栞は新たな分岐点への選択をしなければならなかった。  意思が脆弱(ぜいじゃく)な少女ではないと昴は栞と出会った時から薄々察していた。 「だけど、俺は虚戯と戦ったことなんてないよ。精々、栞ちゃんを守ることしか出来ないかもしれないよ?」 「あたしはそれで構わないけどね。バーサーカーがどうにかしてくれるでしょ。強いらしいし」  バーサーカーネタを持ち込まれたせいで昴は忽ち苦い表情に変え、天を仰いだ。 「あー……。取り敢えず死んだな」  詳細な情報もなく、唐突に訪れたイベントに、昴は微妙な空気が流れる中、心なしか気分は重くなっていた。 「助かる確証がないなら、どうやり合えばいいんだ?」 「それよりも先に峰玉(ほうぎょく)で案件の着任手続きしないと駄目だよ。翔さんには俺から電話するから、少しの間だけ待ってて」  スラックスのポケットに仕舞っていた携帯電話を取り出し、詩音は屋上から出ていった。やはり表情はどことなく重苦しい。事情が沢山ありそうだと昴は思いながら、給水塔の方へ向かった。  梯子(はしご)を上り、一人で涼んでいる最中、栞が昴を追うように顔を覗かせた。 「詩音のこと、詮索しないんだ」 「人には話したくない事情は沢山ある物だろ。詮索したらしたで、直ぐに警戒されたら本末転倒(ほんまつてんとう)だ」  何も言わず昴の隣に腰をおろした栞は、独り言のように呟いた。 「夢に見るんだって。自分を(かば)ったお母さんの体温と、泣きながら謝られたこと。お父さんの罵声(ばせい)(みにく)い怪物になるお母さんが白い服を着た大人達に拘束された瞬間。ぶつ切りみたいに繰り返されるって言ってた」  寝覚めが悪い夢の中で繰り返される悲劇を、栞は(うれ)いることも、同情することもなく、淡々と話していた。  孤独は独り歩きしては乖離する。本人の意思とは関係なく、孤独は必ず独立した存在として人影の中で深淵(しんえん)から手を伸ばしているのだろう。  栞はただ前だけを見据える昴に対して、素朴(そぼく)な疑問をぶつけた。 「アンタは引き受けてもいいの。下手したら人殺しと何ら変わりはないのよ」  怪物を人間と呼ぶか否か。栞にとって弘は唯一無二の兄妹で、たった一人の兄だ。怪物を人間と呼べないかもしれない。葛藤(かっとう)の中で栞が口にした疑問を、昴は息をするように答えた。 「――人を殺した感覚は知ってる」  手の平にこびりついた粘り気のある血が今でも洗い流せずにいた。意識の中の更に奥深く根を張った、獰猛性(どうもうせい)を帯びた生物の鼓動を、何故か知っている気がする。  ……あの時。  真冬に涙ながらに止められた雪が降る季節の中で、快楽とは言い難い凶暴性が牙を剥いたあの日、昴は確かに『人間』を殺した。 「冗談でしょ?」 「そうだな。冗談、だな」  はぐらかしたのは栞の方だ。底知れぬ恐怖が息を潜めようとも、信頼を寄せねばならない相手であることに変わりはない。栞の動揺が伝わるのを、心なしか昴は安堵(あんど)していた。

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