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8※微グロ
◇◇◇
礼拝堂に集 う信仰者達の殆どが藤咲市の人間で埋め尽くされつつある。定年退職を迎えた壮年の男性や旦那を亡くした未亡人 、離婚した男性や女性、精神疾患を患 う若者や新社会人など、様々な事情を抱えた人間が通例と言わんばかりに目立っていた。
子供の相手をシスターに押し付け、司教が語る説法に耳を傾ける矮小 な人間の群れが、がめつく縋る様に滑稽 さを感じさせる。
骨付きのフライドチキンを齧 りながら、入口付近で聖堂を見ていた紅 は、退屈さに眠気が降り掛かってきたのをいい事に、惰眠 を貪 ろうと日陰 を探すべく目を凝 らしていた。
だが、唐突に信者達のボルテージが急上昇した。紅は熱狂ぶりに身を跳ねさせ、そろりと礼拝堂を振り返った。
「……あ。クリちゃんか」
一介の神父でしかないクリストファーはその容姿から人々に神格化 され、信奉者が後を絶たないでいる。
ある人は明るい未来を導く先導者、ある人は幸運を齎す天の使い、またある人は生神 と口にしては、悦 に浸るのだ。
いとも容易く騙されている彼等を滑稽な傀儡 と言わずとして、何と称せばいいのか。紅は肉が削がれた骨を強靭 な顎 で噛み砕きながら、馬鹿馬鹿しさに嘲笑った。
縋って生きなければならない力なき脆弱性に、長らく生きた紅からすれば、下等 さに見下 すしか出来なかった。
昨夜帰宅しなかったクリストファーと会えたのは物の数分だった。勝手に一人で苛ついている紅は臍 を曲げたまま、怠惰 に過ごしている。
日陰になる大きな木の下に腰を降ろし、仰向けに寝転んだ。退屈凌 ぎにもならない。クリストファーに構って貰えないのがストレスだった。
木の上に見知った魂の匂いがした。赤いチャイナ服を身に纏い、若さ故の瑞々しさが眩しい。リャンファだ。紅に気付いたリャンファは蝙蝠 のように逆さまになり、顔を覗かせてきた。
「あ、糞犬」
「乳臭い小娘が。何の用や。俺は暇やないで」
「何苛々してんの? 生理?」
「そないな中坊の餓鬼みたいなへったくそなボケ噛ますなや」
男性体だから生殖能力はあっても生理や排卵は存在しない。紅は女らしさの欠片もないリャンファが心底嫌いだ。
それでいて、クリストファーに何も言わずとも構って貰えているのが、より一層嫌味に思えて仕方がなかった。
不貞寝 をしようと片腕を枕にしたが、邪魔するように目の前にリャンファが、さも当然のように紅の顔を覗き見ている。
「ねえ。どうしてクリス君なの」
「あぁ? 何がや」
「魂が美味しいから? だから糞犬はクリス君に依存してるの?」
指摘とまでは行かない素朴な疑問を投げ掛けられ、紅は口を閉ざした。魂の味は極上な物なのは確かだが、だからといって紅がクリストファーに固執 する理由にはならない。だからこそリャンファの質問には直ぐに答えることが出来なかった。
……依存とか。
否定しようにも口に出来ずに黙る自身の意志に、紅自ら悶々とした。
「……知らん。俺は寝るから、話しかけんなや」
「クリス君が好きなの?」
「……黙りぃ。眠いっていっとるやろうが」
元殺し屋の前で無防備を晒す羽目になるが、紅は宣言通りに寝息を立てながら眠りについた。
◇◇◇
――遡ること二年近く前の春。
それは木々に桃色の花弁を咲かせた桜が風に煽られ、季節外れの吹雪を散らせていた季節だった。
上質な魂の香りに満ちた街を転々とし、生活を繰り返していた中で降り掛かったのが、腕の立つ浄化屋による肉体と魂魄の損壊 によって重症を負った。
意識を朦朧 とさせたまま彷徨っている中を、高価なスーツに身を包んだ、歳の割に容姿が整った中年男性に拾われ、見ず知らずの部屋に放り込まれた後の記憶が事切れたように遮断されていた。
目が覚めた頃には全身の怪我が綺麗に治癒され、数多の人間の肉塊 が転がっていた。腹が満たされており、意識とは関係なしに与えられた生餌 を無我夢中で貪っていたらしい。
贄 となった人間達を喰らったことにより、魂魄を形成する組織――フラグメントの大部分が修復され、細かな箇所に違和感だけが残っているが、意識と共に全身を通る神経に問題はなかった。
血の臭気が充満する独房のような部屋に、一際豪奢 な神父服を纏った中年男性が、部下らしき人間を連れて現れた。
……神さんの匂いはせぇへんな。
新手のコスプレかと勘違いしていたが、それを遮るように男は口を開いた。
「腹は満たされたか。魂喰い 」
「せやな。腹ん中はもう寂しゅうないし。どこの者 か知らんが、恩に切るわ。ごっつぉさん」
深紅の双眸が悪戯めかしに輝く。名も知らぬ人間に救われたとはいえ、こちらも自身の名が無い名無しだ。所在不明の人外を匿 った挙げ句、殺しに加担した異常な男を視界に入れたまま、ゆらりと立ち上がった。
「なんや。今も昔も人の子っちゅうのは頭がイカれた阿呆が多いんやな」
永い時の中を生きてきたが、如何 せん記憶は曖昧で、コマ撮りしたような不可解な映像が雑音混じりの霞 かかったモーションで繰り返される。
達観した口ぶりで戯言を言えば、配下の人間が手にしていた紙袋を男は投げ付けてきた。
受け取ると、その中には衣服が入っていた。白を基調とした変わったデザインのそれを手に取り、細かな細工に感嘆の声を上げた。
「紅」
「あぁ? なんやそれ。俺の名前か?」
「着替えを終えてから外に出ろ。お前に会わせたい人間が居る」
「人間て。どれもこれも同じようなもんやん」
「会えば分かる」
有無を言わせずに名も知らない人間に命令紛いなことを言われ、勝手に名前を付けられたのも癪に障る。
魂喰い 特有の血の眼で『紅』。至極簡単に付けられたと悪態と共に着替えながら、紅は面倒臭げに溜息をついた。
会わせたい人間。人間に種類が存在するとは思えず、平等な餌としてでしか見ていなかった紅は、男の後ろをついて歩くや否や、眩しい日の光に目を細める。どうやら地下に放り込まれていたらしい。高台に聳 え立つ聖堂は細かな装飾が施された美しい外観で、どこか寂れた空気を漂わせていた。
……神さんは居らんな。
神の存在は無いに等しい。加護が薄れた都市に豪勢 な聖堂は不釣り合いだと紅は吐き捨てる。
入口付近に誰かが居る。黒い神父服に身を包んだ、緩やかな波を描くプラチナブロンドの長髪を水色のリボンで一つに結わえた青年だ。
紅の鼓動が激しさを増していく。初めて感じた魂以外の感動と興奮。既視感 の中で紅は、天使と見紛うような青年と出会った。
「私の義理の息子だ。クリストファー、彼の世話を頼んでもいいか」
「はい。承 りました」
線の細い微笑を向けられ、紅は無意識に口走った。
「なんや、偉く勿体ないな。そないな愛想笑い浮かべんくても、お前は綺麗やで」
ステンドグラスに描かれた赤子を抱く女性を指差しながら、紅は屈託 のない笑顔をクリストファーに向けた。
「ほんまもんの天使やと思ったわ。まあ、天使なんざそう簡単に現れんけどな」
無邪気に言ってしまったことを後悔するのは大人だけだ。紅は悪気もなければ素直に言った一言に、黙っていたクリストファーは言葉を震わせた。
「……ワタシは綺麗なんかじゃない」
玉のような涙が雨露 みたいにぽろぽろと落ちる。クリストファーの涙は美しかったと思う。それは他者からすれば、誰もが思う月並の感想だった。
だからこそ、彼が『寂しい人間』だと紅は感じていた。
……泣き顔はもう懲り懲りや。
あの一回だけ。その瞬間だけ垣間見えた溢れ出た感情を、一生大事にしないといけない物だと、紅は夢の中で何度も繰り返し決意する。
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