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 ◇◇◇  何度も同じ話が繰り広げられるホームルームの不審者情報に、答え辿り着くと面白味よりも危機感の方が圧倒的に増す。  合成獣(キメラ)とはいえ、その姿を直視した人間は老若男女問わずとして無傷の重症を負うのだから、被害者に出会ったことのない昴にとって抽象的なイメージしか想像つかない。  周囲に関心がないと聞こえは悪いが、案外有名な噂で出回っていたらしく、関わり持たずがこうも仇になるとは、我ながら悪癖と化した性格を終始呪った。  今朝方アクセスしたサイトの名前は『極楽浄土』と題されていた。レーティングだらけで覗くには気力がいるが、引きこもり中の泰ならば年齢を偽ってまでサイトに登録するだろう。  ……木梨のお兄さんか。  失踪(しっそう)した訳でもなければ、久しく会っていない同級生と会いに行っただけの数日間。当時中学二年生だった栞は、高卒で社会人一年目になったばかりの弘に対して、特にこれといって変わった変化はなかったと記憶していた。  虚戯についての情報量が足りない。基礎知識しか記されていない教本を見ても、何の役にも立たないと早々に匙を投げた。  ……猫の絵か。  スキャンダルばかり集めたゴシップ専門の情報サイトに、似たような猫のイラストが描かれていた記憶がある。  昴は深い溜息を吐き出し、珍しく機嫌のいい仙崎の顔を横目で見やる。機嫌がいいと気味が悪い物だ。普段の教師とはあるまじき姿は何処へ行ったのか、(いささ)か不気味さに気分が悪くなった。  ……確か、あまりいい噂なかったな。  仙崎には悪評がついて回る。赴任(ふにん)したのは今年からだが、様々な黒い噂が長い尾鰭(おひれ)を付けていた。  退屈極まりないホームルームが終わり、昴は携帯電話に明かりを付けた。泰から通知が来ている。恒例(こうれい)の爆死報告ではないらしく、どうやら日曜日に家に来いという内容だった。  ……日曜日か。  土曜日は浄化屋に入る前まで勤務していたファーストフード店に行く予定だったから、指定された日曜日は持て余す程の暇があった。  昴は迷わず了解の意思を伝え、SNSを閉じた。  だが、メールのアイコンが否応なしに視界に入り、真冬に送れないでいるメールがまだ未送信フォルダに入っていることが気になっていた。  病の進行速度からして、携帯電話一つ手に取れない激痛に見舞われているのは想像出来る。  ……だけどな。 「生きてる内なら送ればいいじゃないですか」 「どわぁ!?」  重く暗く悩んでいた所を、目の前にひょっこりと現れた良太郎が容易く一刀両断した。唐突さに昴は椅子から転げ落ちそうになるが、寸での所で抑え、相変わらずのマッシュルームヘッドに瓶底眼鏡は生意気さを隠しもしていない。 「ヘタレ」 「俺は違うからな」 「先手は早めに打つべし、なのです。大切な方なら尚更ですよ」  いつになく真面目腐った声は鋭さを帯びていた。昴の悩みは直ぐに解決出来る。だからこそ踏み止まるのはあまり良しとしない。  ……送れたら今更悩まないよ。 「……忘れようとしたらその分だけ辛いって分かってたんだけどな」 「忘れてないからなのでしょう。それに、朝からその辛気臭(しんきくさ)い顔はやめて貰いたいものなのです。見ている側も気が滅入(めい)るのですよ」  容赦のない小言が(つぶて)になって()り込んでくる。生意気だと思っても、実際問題つるんでる中では良太郎は弁舌(べんぜつ)だ。存外扱い難い性格も(まさ)っているのか、強く出ようとは思わなかった。  昴はそれでもメールを送信せず、さっさとブレザーの胸ポケットに仕舞った。 「()()づいたのですか」 「違う違う。まだ送らなくてもいいって思っただけだよ。検査で病室に居ないかもしれないし。なら夜の方がいいだろ?」 「宮盾氏がそれでいいなら僕は関係ないのです」  上から目線で簡単に手放した良太郎に苦笑を漏らし、ショルダーバッグを手に立ち上がろうと目で詩音を探したが、居る筈の席に姿はなかった。  詩音が居ないせいか勝手に出るにもそれは(しの)ばれる。昴はどうしようかと若干焦っていた中で、素知らぬ顔で紫を連れて教室に来た栞が怪訝(けげん)そうに眉根を寄せていた。  詩音が居ないことを知った紫はあからさまに落胆し、現時点で保存していた写真のフォルダ整理を始める。  ……顔はいいのにな。  昴だけでなく、良太郎や秀吉も思ったらしく、表情は明らかに引き気味だった。 「なあ、松村。西園はどこに行ったんだ?」 「仙崎に呼ばれたみたいだぜ。来週授業参観だかららしい」 「あー……。授業参観とか気にしてなかったな」 「篤の試合と被ったからお袋は来ねぇんだよな。すげぇラッキーだわ」  テニス部のエースは伊達じゃないらしい。泣く泣く断念した秀吉の母の顔が目に浮かぶようだ。  だが、そういった話題とは距離を置きたがる性格の良太郎が、昴を壁にして栞に怯えている。 「そこのちび。眼鏡外しなさいよ」 「い、嫌なのです」 「ねえ、こいつどうにかしてくんない? 筋肉ゴリラ」 「俺はゴリラじゃないからな」  筋肉質なのは認めるが、ゴリラと言われるのは千絵を含めて二度目だ。不名誉極まりない呼び方に異議(いぎ)を唱えようにも、高飛車の栞には効果はなかった。  溜息を一つで了承の意図を示し、昴はカーテンを防具にしている良太郎を容易く剥がし取り、栞に差し出した。 「う、裏切り者!」 「男を見せるのはいいことだろ? じゃあ、逝って来い」 「なんか嫌な字面が見えましたけど……!」  身長差だけなら理想のカップル並の小ささで、か弱い華奢(きゃしゃ)体躯(たいく)に暴れられても痛くも痒くもなかった。  うずうずしている栞は固唾を飲み込み、決死の覚悟で瓶底眼鏡に手を掛けた。 「やあ、後輩諸君。元気にしてるか……な……」  王子様然と優雅に教室に現れた瑞希の表情が見る見るの内に啞然(あぜん)の色に染まった。  教室全体がぴしゃりと固まる。普段から地味なルックスで隠されていた良太郎の素顔が晒されたせいだった。 「嘘でしょ……」  西口の駅前に飾られた人気ファッションブランド『メタモルフォシス』の広告は、知る人ぞ知る有名なスポットだ。人気ブランドの広告塔であり、モデルグループ『蝶々花伝(ちょうちょかでん)』のリーダー格『Zen』が目の前に居る。  長い睫毛(まつげ)に縁取られた丸みのある双眸に、鼻筋が通った、高過ぎず低過ぎない形のいい鼻梁(びりょう)、ぷっくりと膨れたリップ要らずの血色のいい口唇(こうしん)。瓶底眼鏡のオタク口調な優等生は、すっぴんでも顔が良過ぎる美少年顔だった。 「め、眼鏡! 返して欲しいのです!」  声変わりしてるのか定かではない甲高(かんだか)いショタ声が、焦りから上擦った声で自分よりも背の高い栞に懇願(こんがん)するように慌てていた。  眼鏡を外す間際から拘束を既に解いていた昴は、レベルの低い攻防戦を繰り広げている二人を眺めていた。 「わわ!」 「きゃ……っ!」  足が(もつ)れ合い、互いにバランスを崩した二人は床に重なるように倒れた。 「いったぁ……」  後頭部を打ち付けた栞は痛みに呻くが、肝心の良太郎の声はない。目の前にあるクッションが緩衝材(かんしょうざい)となり、傷一つなければ、痛みもあまりなかった。  しかし、そのクッションは栞の胸である点以外問題ばかりが浮き彫りになっていた。 「は、初おっぱい……だと?」 「自分からパフパフしに行っただと!?」  雷鳴(らいめい)(とどろ)く衝撃に打ちひしがれた昴と秀吉は、故意に良太郎に対して精神攻撃を繰り広げていた。 「取り敢えず証拠でも撮って如月に送るか」 「角度は大事だぞ。ほら、あのへんとか結構生々しい」  非人道的な晒し行為を平然と行っている二人を止める人間は居なかった。  味方は時として敵となる。RPGの鉄則だ。仲間の時は覚えていなかった技を使い、コンピューターのスムーズ(かつ)的確な動作に翻弄(ほんろう)され、負ければ前の街へ戻るの繰り返しだ。 「す、すみません……」 「……一片(いっぺん)の悔い無し」  添付写真の送信が済んだ頃には感涙(かんるい)している栞が、恍惚(こうこつ)そうに顔を赤らめている。反対に良太郎は、恥ずかしさよりも申し訳無さやら男としての最底辺さに泣きじゃくっていた。 「ただいまー……って、あれ。栞ちゃんも椙野君も何やってるの?」  微妙な雰囲気が漂う三組の教室に、事態を何も知らない詩音は誰も教えてくれないことにただただ気まずさが流れていた。

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