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 週休二日制の仕事が丁度いいとよく聞く。しかしながら、無言の圧力から手渡されたシフト表は世辞も必要のない、穴だらけでずさんな行き当たりばったり仕様だった。  浄化屋の基本業務は本部に当たる舎棺(しゃかん)から送られてきた書類を扱うデスクワークと、前以(まえもっ)てコンタクトを取ったクライアントとの会議や護衛。  または直接的な金銭の授受(じゅじゅ)が発生する一般人からの依頼の完遂(かんすい)護符(ごふ)などの作成、虚霊(きょれい)掃討(そうとう)を主体とした巡回や、(ほころ)びと呼ばれた(ひずみ)の修復などと多岐に渡る。  だが、実際の所峰玉(ほうぎょく)という事務所に使える人材は少ないらしい。デスクワークはアルバイトでしかない紫が事務仕事と並行(へいこう)しており、事実上まともに業務を(とどこお)りなく進めているのは翔馬以外の少ないメンバーだけだった。 「……翔さんって、仕事しないのか?」 「暇さえあれば競馬場か競艇場に居るわよ。たまに雀荘とパチンコ」 「いやいやいや……! 気の所為(せい)かな、まともじゃないよね!? え、何これ……ただの全面ブラックじゃねぇか……」  肝心の所長たる翔馬は両耳を両手で塞ぎながら、見るからに子供じみた抵抗をしている。みっちりと詰め込まれた赤い印に眩暈(めまい)がした。  昴は初めて峰玉に来た当初を思い出し、栞が言っていた単語の数々に納得していた。 「仕事が出来なくても出世出来るのは世も末だな」 「時間外手当分ならいくらでも出してるからいいだろうが。事務所出勤じゃなくても仕事して貰うのが峰玉の業務体制だ」 「色々と悪質だわ」  行き当たりばったりな仕組みに昴は呆れることしか出来なかった。  就職先を見誤った気持ちで満たされていたが、金銭面で困らない収入ならまだ続けてみようと思った。  ……後で求人情報誌でも貰いに行こう。  昴は一抹(いちまつ)の不安を覚えながら、シフト表を鞄に仕舞った。 「まあ、仕事が出来ないっていうか人間性の問題よね。いつだっけ、支援者を増やす為に資産家に交渉しなきゃいけない件でやからしたの」 「ああ、あれだね。ホテル王を怒らせた失態の話。確か、間中(まなか)グループのお偉いさん全員敵に回したんだよね」 「ま、間中グループ!?」  笑い話である筈が昴には笑えないネタに聞こえ、過剰なリアクションを取ってしまった。間中と言えば志郎(しろう)だ。昴は嫌な予感が的中していた。 「翔さん。一昨日喧嘩してたよな、金髪のヤンキーと」 「ああ、したな。あの煩い犬っころみたいな……」 「あの人さ、間中の三男坊だよ」 「……マジ?」 「マジ」  好き勝手が許されてる末っ子が志郎であることはグラスホッパーの内部で有名な話だ。ファミリーレストランの厨房スタッフを任されている金持ち子息は珍しいのかもしれない。 「間中さんの家族は皆末っ子に甘いからさ、たまにバイト先に高級車で二人のお兄さんがよく来てたっけ」 「……なんか、キモいな」 「今の仕事やる前は専門学校で調理師の資格取った後に、両親とお兄さんから貰ったお金で素敵な無職ライフを送ってたらしいし」 「あー……」  ボンクラ息子と美佳子(みかこ)に呼ばれては()き使われているのが記憶に新しい。拾い癖のある美佳子のことだ。根は悪くないが、本日も罵詈雑言(ばりぞうごん)が飛び交う職場風景を思い浮かべてしまった。  瑞希は鼻で笑い、納得したように首を縦に振った。 「そういうことがあったなら、間中グループは浄化屋に絶対的な融資はしないということだね」 「ぐっ。クソが、腹立つから依頼来ても断るしか……」 「あー、いやいや。三男坊の間中さんを懐柔(かいじゅう)すれば攻略は簡単だと思うよ。椙野(すぎの)の家と変わらない体質してるし」  末っ子に甘い姿勢は瓜二つ。肝心の末っ子は性格に難ありだが、良太郎(りょうたろう)よりも単純思考の持ち主だから楽な部類に入る。  だが、翔馬は『椙野』という名字に眉根を寄せ、忌々しげに舌打ちをした。  それよりも昴の興味は手鞠(てまり)を抱き締めている詩音に向いた。  手鞠の表情は心ここにあらずといった虚ろな物となっており、(かす)かだが詩音の心臓部付近、魂魄(こんぱく)があるとされる場所から、光を纏った繊維状(せんいじょう)の光源が手鞠から出ているように見える。  紫や栞、瑞希ですら気付いていないらしく、一見すると幼子(おさなご)をあやしているようにしか見えないのだ。 「昴。話がある」 「え? ああ、分かった」  何も持たずに立ち上がった翔馬に促される形で事務所を出た昴は、立て付けの悪い扉の不気味な音を背後で感じ、一階のガレージへ降りる彼の背中を追った。  会話が聞こえない頑丈(がんじょう)なコンクリートの天井が影を作る。ひんやりとした空気に肌寒さが勝ったが、冷静に翔馬は口を開いた。 「なあ、昴。お前は何も聞かないんだな」 「その質問じゃ、一体何に対してか分からないよ」 「詩音のことも手鞠のことも、浄化屋のことも。あまり知りたがっていないように見えた。ただそれだけだ」  些細な疑問だが、昴にとって些細な疑問ではなかった。率直に話す義理もなく、諦めた空気を漂わす翔馬に対し、昴は短い溜め息を吐き出した。 「西園には()()()()ってしないよな」 「……家族の、っていう意味か?」 「まあ、簡単に言えば。でも、西園は両親の愛情をしっかり受けてた時期があったと思う。それだけが(みょう)だと思った」  無償の愛は存在するか昴にとって未知の領域だが、周囲の人間から得た情報を統合して学んだ知識は通用するかもしれない。なけなしの自信を昴は馬鹿らしいと流そうとしたが、肯定の意思を示すように翔馬は黙り込んでいた。 「そう、だな。詩音は愛情を感じてたんだよな」  後悔に(さいな)まれた大人の背中は、酷く頼りなさげで貧相に見える。それ故に昴は危うさに胸の奥がざわついていた。 「これだけは言っておくけど、俺は西園に何があったかは今直ぐに知りたい訳じゃないし、過去の西園に興味はないよ」  好奇心だけで踏み入れれば引き戻れなくなる。流れる波に逆らわずに身を任せれば、いつしか核心的な部分に触れられると昴は信じていた。 「それに、俺は浄化屋に来たことは今更後悔なんかしてない。今思えば布石(ふせき)だったんだと思うしさ。藤咲(ふじさき)市に来たことも全部」 「お前は本当に可愛くない餓鬼だな」  憎まれ口を叩きながらも、落ち着いてきた翔馬は胸ポケットに仕舞っていた煙草とライターを取り出し、慣れた様子で火をつけた。 「もしもの話だ。見知った人間、例えば友達や(した)しい先輩とするか。人間としてのあるべき本能と理性が崩壊したら、お前はその姿を見てどう思う」 「直接的に見ないとその時の状況じゃなきゃ判断は出来ないよ。ただ、もしも引き返せない場所まで落ちたら、俺は相手の手を引っ張るかな。力ずくにでも引き戻すかもしれないし、ある程度の距離で満足するかもしれない」  暗い穴蔵(あなぐら)のようなガレージが死地なら、昴だったら安らげる場所まで無言で相手の腕を引っ張ると思う。  光を仰ぎ見れる空の真下に連れて行くことしか出来ない。昴は過小評価をしていた。 「なあ、昴。お前には『帰りたい場所』ってあるか」 「はは……。酷い質問だな、それ」  昴は乾いた笑い声を漏らし、顔を右手で覆った。  ……帰る場所か。  伽藍堂(がらんどう)な家に戻る気はない。人の匂いがしない、無機質な機械が(うごめ)く音と化学薬品の刺激臭に満ちた空間はまさしく(おり)のようだった。  昴は要らない記憶を思い出し、無意味な笑いが込み上げてきた。 「俺はきっと、探してる途中なのかもな」  唯一無二の存在だった真冬(まふゆ)の人生を台無しにした。罪の(かせ)は目に見えなくとも骨ごと軋むくらい重たい。一生囚われ続ける過去の呪縛に、昴は苦しみ喘ぐだけだ。 「なら、お前が望む居場所を俺が作ってやろうか?」  自信家で傲慢(ごうまん)さが板についた翔馬に言われた希望は、儚く脆い願望と差異はない。(まさ)しく虚像(きょぞう)だ。くっきりとした濃淡(のうたん)で形作る表裏一体の矛盾を突き付けられ、黒と白の境界線が綺麗な直線を足元に描いていた。  縋りたい手は直ぐ側にある。  しかし、昴は手を伸ばさなかった。 「もう少しだけ、知りたい世界を知れたら考えるよ」  ――まだ早いよ。  姿の見えない影が制止を掛ける。差し出された手を取る選択肢は選ぶにはまだ早かった。  警戒心に近いのかもしれない。昴は一人ごちて、不安定な境界線を超えるのを躊躇(ためら)った。

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