51 / 84

 ◇◇◇  十人十色。それはどの物事に通じる口八丁と変わらない戯言に成りうる簡潔な言い訳で、使われる言霊(ことだま)用途(ようと)が様々な誤魔化し方の一つだ。  はぐらかすには丁度いい。それだけで使用するのは些か不名誉極まりないと翔馬は煙草を蒸しながら、無人の廃ビルにあるボロボロのベンチソファに重々と腰を置いていた。  廃ビル街を拠点に置いた理由は賃金(ちんぎん)の問題ではない。神の恩恵(おんけい)がない土地は、何かしら都合がいいのが本来の理由だ。  結果的に運が回ればいい。翔馬は問題が生じない流れに気分は上々だったのも束の間だ。急転直下とはこのことだろう。翔馬は事前に描いていた術式の上をよたよたと歩く手鞠を見詰め、携帯灰皿に吸い殻を押し付けた。  ……あの妖怪。 「余計なことばかりしやがって。俺はあの餓鬼が苦手なんだよ……」  時定(ときさだ)が拠点を置く鳴鴉(なきがらす)で、佳樹(けいじゅ)がした提案を一人思い出して、翔馬は苛立ちを抑えきれずにいた。  昴を特待生として招いたのは、佳樹の判断なことに狂いなき深層奥深くへ誘われつつある。宿命の糸筋から分岐した運命を握る権力を、半神半人(はんしんはんじん)の男は悠々とした姿勢を崩さずに、掌握(しょうあく)しようとしていた。  ……悪い算段じゃないのは分かる。  ――僕には強力な(コマ)があるからね。彼はとっておきの飛車(ひしゃ)さ。  余裕をこいている佳樹の顔を思い出して、苛立ちを抑え込もうと翔馬は瞼を閉じる。視界を遮り、雑念(ざつねん)を払おうとすれば、苛立っていたのが馬鹿らしくなった。  翔馬はようやく冷静になれたと安堵し、スーツの胸ポケットに仕舞っていた携帯電話を取り出した。  迷うことなく電話帳から彼の番号を選択し、無機質なコール音を鼓膜に浴びせた。 『何の用だ』 「相変わらず不貞腐れてんな。寝不足か? 久し振りなのにそれはねぇだろ。なあ、文秋」  通話相手は詩音の実父であり、三つ歳上の兄弟同然に育った浄化屋――西園文秋だ。  戦術師に置いて最高位に君臨する優秀な浄化屋でありながら、浅からぬ因縁が切っても切れない相手でもあった。 「なあ、文秋。また詩音に金振り込んでんのか」 『…………』 「もうやめてやれ。詩音は一度もお前から振り込まれた金には手を付けちゃいねぇよ」 『…………』 「やってることが矛盾(むじゅん)してるんだよ。詩音はな……」 『アレの父親ぶるのはやめろって何度言わせるんだよ』  負の感情が入り乱れる声に遮られ、翔馬は僅かに黙り込む。道具のように詩音を呼んだ文秋は悔しげに舌打ちをし、焦りからなのか呻き混じりに唸っていた。  翔馬は溜め息を一つつき、再び口を開いた。 「来週の土曜日に授業参観がある。お前が詩音の父親なら来れるだろ。来るなら俺に一言寄越せよ」 『……お前に何が分かる』 「うじうじ悩んでる卑屈眼鏡の丸まった背中しか見えねぇよ」 『馬鹿にしやがって……!』 「なら、お前が捨てた物が何なのかきちんと理解してから、俺に対する口ごたえくらいまともに聞いてやるよ」  翔馬は吐き捨てるように文秋を一喝し、無情に通話を切る。  感情的になってしまったのに大人げないと翔馬は項垂(うなだ)れた。他人の子供に情が移るのも人間の弱さだ。  同情や憐憫(れんびん)だけで解決出来る訳ではない。翔馬は難しさに叫び出しそうになっていた。  だが、翔馬の心情を知ってか知らずか、手鞠は曇りのない蒼玉(そうぎょく)双眸(そうぼう)で覗き込んできた。 「ショウ」 「……あー。悪い。顔、怖くなってたか?」 「ショウの顔、いつも凶悪」 「相変わらず(いたわ)りを知らねぇな」  饒舌(じょうぜつ)に毒を吐く手鞠の態度は相変わらずだ。強張っていた翔馬の表情は弛緩(しかん)し、緊張で肩が凝り固まっていたと知ると、簡単に解してしまう手鞠の存在は救いだった。  (すた)れた廃ビルに来客が訪れた知らせを告げる鈴が鳴り響いた。翔馬は薄汚れた扉を傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に蹴り破った()()を見ずに手を挙げ、ひらひらと振る。 「元気そうだな。引きこもりのドラ猫」 「だぁれが引きこもりだし。全くさー、無駄に仕事増やしてさー。僕は暇じゃないのにさー」  平均以下の小柄な体躯(たいく)に大きめのフード付きのトレーナー、大手スポーツメーカーのハーフパンツとスニーカー。外見だけなら中学生にも匹敵する瑞々しさが弾ける。  釣り上がった大きめの猫目が印象的な男は、ノートパソコンを叩きながら古びたデスクに腰を降ろして、わざとらしく大きな溜め息を幾度となくついた。 「スキャンダルばかりネタにして美味い飯食ってるんだから、こんくらい安い仕事だろうが」 「はぁー? だからって新人教育と子守は専門外なんですー」 「うっっっぜぇ」  悪意と嫌味の混合物が互いに衝突している。嫌悪感を丸出しにしてい三十路(みそじ)間近の童顔(どうがん)――虎太郎(こたろう)はぶつくさと幼稚な文句を垂れていた。  普段は膨大な情報を統合した独自のデータベースと巧妙(こうみょう)なプログラミング能力で作り上げた、人が入る隙のない狭苦しい部屋に、数多(あまた)のコンピューターと寝食を共にしている虎太郎は、プライベート以外で気安く外に出たがらない性分だ。時定が唯一自分の戸籍(こせき)に入れた人間であり、養子(ようし)ながらも事実上後継者とも言える人材に位置付けられている。  虎太郎は自身が運営する複合型情報掲示版サイトの開設者で管理人『キジトラ』だ。精魂(せいこん)腐った(ひね)くれ(もの)の虎太郎らしい内容ばかりで、開きたくもないと翔馬は目を逸らす。  ……こいつが居ないと仕事が出来ないからな。  翔馬は重たい腰を上げて、手鞠の手を引きながら、描いた術式の前に連れて行く。  手鞠の表情も真剣そのものだ。()ぎ澄まされた神経を維持しつつ、手鞠は術式の中心に描かれた円に両膝を付き、両手を組みながら祈るように歌い出した。 「始まりましたかにゃん」 「お前もとっとと意識切り離して先回りしろ。気が散る」 「はいはーい」  翔馬は何度目か分からない溜め息を吐き出し、気を取り直して詠唱(えいしょう)を始めた。  (まばゆ)い光は温かな天から溢れる零れ日。光芒(こうぼう)のような淡い光のカーテンが術式から伸び、激しいフラッシュの中で芽吹き出る。  ホログラムのような薄くも形状を記憶した純白の翼を背に生やした手鞠は歌を()め、術式の終結(しゅうけつ)を告げた。 「――繋がった」  開かれた蒼い双眸が見る世界は荒廃(こうはい)しきった廃墟(はいきょ)ではなかった。  白で埋め尽くされた膨大な無の世界に(そび)え立つ、金に染まった鐘に見下(みおろ)された清廉(せいれん)なる祭壇(さいだん)だった。

ともだちにシェアしよう!