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 宿命は必然な結果、運命は偶然の結果。どちらにも左右されない産物を撒き散らす定められた分岐点は、全ての選択肢の中のルートを巡ろうとも必ず似たような終着地点に辿り着く。  ――だからこそ、これも決まったルートの一つに違いなかった。  やや遅れて昴が榮の杜運動公園に足を踏み入れた瞬間、まるで招待客を招き終えたように歌声はぴたりと止んだ。  詩音に制止された栞は、明らかに冷静さが欠如(けつじょ)している。間に合ったのかもしれないが、それよりも昴が気になったのは、公園全体を包み込む重苦しい圧迫感と、息が詰まるような重々しい目に見えない空間だった。  昴は二人の元に駆け寄り、周囲を警戒するように目線だけで辺りを見渡した。  暗闇の中で繁茂(はんも)した茂みを揺らす、乾いた音が虚しく響く。昴達の意識は一斉にそちらへ向いた。 「――栞」  濃紺色のウィンドブレーカーに身を包んだ青年――木梨弘は、噛み締めるように栞の名を丁寧に、()つ感慨深く呼び親しみ、フードを脱いで穏やかに微笑んだ。 「お兄ちゃん……?」 「栞。言われた通りに浄化屋を連れて来たんだな。偉いぞ」  優しく溶かすように栞を褒めつつ、言葉の一つ一つに不可解な陰が(もや)のように尾を引いている。  昴は感情が更に昂ぶろうとしている栞の前に立ち塞がり、詩音に目配せをした。  詩音は投げ掛けられたアイコンタクトに理解を示し、無言で頷いて指で印字を組み始める。 「栞ちゃん。落ち着いて聞いて」 「な、んで……。だって、お兄ちゃんがそこに……!」  涙声混じりに思いの丈を叫ぶ栞は詩音に訴えるが、曇りのない強い視線に口籠る。 「会えて嬉しいのは分かるよ。でも、それは君のお兄さんも一緒。だからこれ以上近くには行かせられない」  肌身を持って痛感した詩音だからこそ言える。詩音は迷いもなく本心から栞にぶつけた。 「苦しい時間は一生続く。それは栞ちゃんのお兄さんも同じだし、お兄さんはそれを栞ちゃんにさせたい訳じゃないんだよ」  真っ直ぐに伝えた言葉に栞は唇を真一文字に引き結び、ぐっと堪える。  冷静になったことを確認した詩音は、省略した詠唱(えいしょう)ながらも高等技術に位置する結界術を展開した。 「――天は地へ、地は天へ。人の子を守りし命を授かり(たも)う我が身へ、強固なる盾の力を宿せ」  円錐状に描かれた結界が栞の全身を簡単に覆い隠す。詩音は小声で「ごめんね」と栞に言い、表情を見せまいと背を向けながら、無言で見詰め合う昴と弘の成り行きを見守っていた。  いつか見た飄々としたにこやかな人間味のある笑顔に、昴の中で一生忘れることが出来ない記憶が蘇る。 「久し振りだなー。見ない内に立派になったな、少年」 「俺は再会なんかしたくなかったですよ、お兄さん」  財布の中身を空にしてまでプルタブを開ける練習に付き合ってくれた青年が、あの日から変わらない姿で目の前に居る。  待ちわびていたと言わんばかりの表情に、最初から昴が藤咲市に来ることを分かっていたかのような自然さだ。  何一つ変わらない。昴は揶揄(やゆ)するように弘に言えば、表情が少しずつ嘘臭さに染まり出した。 「俺の()()はもう終わった」 「それはお兄さんが俺に教えてくれた達成感とはまた違うじゃないですか」 「ははっ。そうだな、全く違うよ。会わない間の少年はあの日から変わったな」 「人間だから、成長する物は成長しますよ」  貼り付いていた弘の仮面が一枚ずつ剥がされては()がれていく。感情が抜け落ちた、虚無(きょむ)に満ちた表情が(あらわ)になり、栞は茫然(ぼうぜん)と人が変わったような弘を見て、言葉を失っていた。 「お兄ちゃん……よね? お兄ちゃんなんでしょ?」 「もう、擬態は終わったんだ。普通の人間から外れた俺は、もう周りの人間に溶け込む努力をする必要がなくなった」 「な、に言ってるの? あたしの知ってるお兄ちゃんはそんなこと……」  信じられない気持ちは期待を裏切るには十分な作用を引き起こす。  栞に残されたのは絶望の一端(いったん)。  目の前の兄は、記憶にある優しい兄の顔をしていなかった。人間味を削いだ人形のような、空虚(くうきょ)で伽藍堂な、形だけの入れ物だ。  突き付けられた真実が目先に迫っていることを、栞は目を閉じて、耳を塞ぎ、砕け散る思い出の断片(だんぺん)に縋った。  だが、弘は栞がそうなることを見越していたのだろう。微かに安堵を覚えた表情を浮かべている。 「最期を飾るには事足りる役者って奴だな、少年」 「冷静な所悪いんですが、息があがってますよ」 「もう身体は限界らしいからな。で、俺はこれで人間としての最期(さいご)になるんだ。冥土(めいど)土産(みやげ)に少年の名前を聞かせてくれ」  黒緑色(くろみどりいろ)腫瘍(しゅよう)が生き物のように蠢き、弘の顔を覆い隠そうと触手を伸ばしていく。笑いながら腫瘍の海に身を投じる弘を見据え、昴は右手に一振りのナイフを握り、答えた。 「宮盾昴だ。冥土の土産とか馬鹿らしい。アンタがやり遂げるべき課題は――」  黒い瘴気(しょうき)の波が高さを増しながら、弘の身体を包み込み、人間の形をしていた肉体が肥大化し、作り変えられる。 「アンタが拒んできた、アンタ自身に蹴りをつけることが先だ」  黒い瘴気の波が引いていく。現れたのは昴の身の丈を軽く超える、屈強な四肢を持った獅子のように雄々(おお)しい獣。獅子をベースに形作られた様々な動物の遺伝子を組み換えられた獣――合成獣(キメラ)だ。  牙を剥きながら地響きのような唸り声を上げる合成獣(キメラ)は、天を穿(うが)咆哮(ほうこう)を響き渡らせる。 《グォ――ッ》  選んだ選択肢は破滅への切符を握る。人間の皮を捨て、誰よりも愛した肉親に見せたのは醜い姿だった。  空気をビリビリと震わすプレッシャーに昴は圧倒される反面、胸の奥に(くすぶ)っていた火種(ひだね)が激しく点火される。 「宿命とか運命とか一番馬鹿らしい。結局、最後は全部同じだな」  自嘲(じちょう)混じりに吐き出せば、(しこ)りのように残っていた感情の一つが解消された気がした。  昴は深い溜め息を吐き出し、ナイフを構えて合成獣(キメラ)を、研ぎ澄まれた鋭利な眼差しで捉えた。  人殺しと同義になると栞は言った。規則やルールに縛られた固定概念は、人間を捨てた目の前の男には通用しない。  昴は固まった意志の(もと)に従い、先陣を切った。  変われなかった子供の我が儘を具現化しただけの、隠れんぼで見付けられることなく捻くれた人間の末路に手を貸す為に。

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