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◇◇◇
散漫 とした部屋は、足場の踏み場がなくなる量の菓子のゴミや飲み干したペットボトル、脱ぎ捨てられたままの制服や箪笥 に入れられず積まれた洗濯物が倒壊した、世辞にも綺麗とは言い難 い惨状 が広がっている。
引きこもりを開始したのは火曜日からだ。珍しく早々 と籠もっていたせいか、そろそろ外の空気を吸いたくもなる。
少女は染色された派手なオレンジの頭をがしがしと掻きながら、消費した電子マネーカードをゴミ箱に捨てた。
夢中になっているソーシャルゲームのイベントは完走済み。目当てのガチャ産のキャラクターは入手し、イベント配布キャラクターは完凸。今回は運が良かったのか、散財 し尽くさなかったのは幸いだった。
少女はノートパソコンを起動し、とあるサイトへアクセスする。複合型情報掲示版サイトの表顔『野良猫新報』だ。スキャンダルだらけの案件は殆どがレーティング指定され、生々しい動画や音声で満たされている。
サイトの管理人であるキジトラは信者が多い。顔が見えない匿名掲示版は文章で溢れ返る。侮蔑 、落胆 、呆然、愕然 、様々な感情が入り乱れる炎上の仕方は、性根 が腐ったキジトラの趣味嗜好なのだろう。
「後少しで八時かー」
少女はキジトラが管理する裏顔のサイト『極楽浄土』をウィンドウから開き、新しく立ち上がったカウントダウンに口元を緩めた。
だが、それを狙ったように携帯電話が鳴り響いた。
少女は締まらない笑みを浮かべたまま通話アイコンをタップし、電話に出た。
「やっほー。まっつん」
『如月 、お前は相変わらず能天気だな』
神出鬼没で謎多いと勝手に決め付けられる昴達の唯一の女友達――如月泰 は、呑気に朗 らかな笑い声を上げながら、同じ部活に所属し、珍妙なポジションに居る秀吉の憎まれ口を軽くあしらった。
カウントダウンが刻々と迫るパソコンの画面を見ながら、泰は特徴的な笑い声混じりの浮 ついた口調で喋り出す。
「ねぇねぇ、まっつん。私さぁ、これからサボるのやめるわー」
『いきなりどうした……頭でも沸いたか?』
「そぉんな訳ないじゃーん。心境の変化って奴? ほらほら、お宮がおもっしろーいことになってんでしょー?」
『出歯亀根性 はご顕在 なようで』
呆れ果てた友人の声は聞き慣れているせいか安心してしまう。泰にとって飽きないネタが転がっている友人の存在は貴重で希少な物だ。だからこそ泰は刻まれていく数字をカウントしながら、更に繋げた。
「あのさ、まっつん。まっつんは浄化屋嫌いでしょ? なんでお宮が浄化屋になるように仕向けたの?」
『目的の為なら手段は選ばないのが普通だろ。使える物は使わなきゃ損だ』
「情報を集める為って奴でしょ。本当、まっつんって性格悪いよねー」
嫌味で返せば、無言の肯定 に泰は満足した。
出来過ぎた男の大穴は埋まらない欠点だ。完璧な人間は存在しないのが世の理 とするなら、残るのは人工知能やAI、計算し尽くしたロボットだけ。勝手な想像を創造し、泰は無限に満たされる欲求の水槽に浸っていた。
「まっつんの目的って何?」
『いつか知れるだろ』
闇雲 にして簡単にはぐらかす癖に、泰は携帯電話を握る手に力が籠もった。やるせなさは大きい。底無し沼のように表面だけは覗けても、肝心な中身は見えないからだ。
……普通の枠から外れた人間、か。
泰は湧き上がる怒りを抑え込み、普段と変わらない調子で話題を変えた。
「日曜さぁ、白玉ぜんざい作ってくんない?」
『ぜんざいかよ……。材料はそっちが負担してくれるんだろうな?』
「あっはっはっは! 私を誰だと思ってんのぉ。昨日の内に父ちゃん達に言ったから大丈夫大丈夫!」
『……掃除込みにそれはねぇよ。取り敢えず早めに行くようにするわ』
面倒な頼みも拒まない性格に逆立っていた泰の気が紛れた。
再びパソコンの画面に視線を戻し、開始を告げようとしている生配信の映像に、泰は笑みをより一層深々と刻んだ。
「電話、ありがとうね。じゃあ、まっつん。私はお宮の活躍を目に焼き付けます」
『お前も大概性格悪いな。お前は夜更かししないでちゃんと寝ろよ。湯冷めはしないようにな』
「まっつんは私の母ちゃんか! 母ちゃんだけど!」
『じゃあ、切るぞ』
通話が切られ、虚しく鳴り響く電子音に泰は擽 ったさに小さく笑い、配信が始まった中継映像から繰り広げられる昴の雄姿 を高揚感 の中で見入っていた。
……ギノさんも見てるんだろうな。
「お宮は絶対に負けないよ」
馬鹿馬鹿しいコメント欄は爆発的に沸騰していた。泰はそれらを眺めながら、絶対的な期待と信頼、希望を画面越しに映る昴に向けていた。
◇◇◇
生身の人間との殴り合いは経験していたが、空想上の幻獣と戦う日が来るとは、アルバイト生活を満喫していた頃は全く予想していなかった。
圧縮された風を纏わせる合成獣 が一度咆哮する毎に、鉄製のハンマーが振り翳 されたような衝撃が生じる。コンクリートのタイルが風圧で捲り上がり、大地は抉られて隆起 した。
風力の鎧に阻まれ、近付くのが困難なせいか躱すので精一杯だ。
……どうすればいい。
昴が出来るのは近接攻撃のみだ。結界で囲うことも、飛び道具で動きを封じる術 もない。だからこそ手先でしか操れないナイフのデメリットは、限りなく短いリーチの補正が効かない状況に陥っていた。
《ォォォォ――ッ!》
「くっ……そ」
近付けさせまいとする姿は自己防衛意識の強さが伺える。昴は躱すだけで手一杯のせいか、中々一撃を食らわすことが敵わない。
だが、防戦一方の矢先に一筋の光が差した。
合成獣 の周囲を歪曲 した空間が四方に現れ、楔 の付いた鎖が一斉に伸び、暴風を纏う巨躯 へ絡みつきながら肉体を締め付ける。
「……っは。確かにこれは一人じゃキツいかな」
「西園!」
苦し紛れに詩音は呟きながらも、いつぞやの鎖で合成獣 の行動を封じる。ただでさえ結界も展開し続けている中の後方支援だ。
昴は自身の不甲斐なさに舌打ちをし、長くは持たない拘束時間が解けるまでの間で左足をバネにして踏み込み、軽々と合成獣 の頭上へ跳んだ。
右の踵 を合成獣 の眉間 に振り落とし、更にナイフで左眼を斬りつけた。
《グォォォ!》
「くそ。見た目よりも刃が通らない」
脆 く散った鎖の破片 は粒子になって消えた。昴は隙を作ってくれた詩音に感謝しつつ、着地と同時に顎へ強烈な回し蹴りを食らわし、怯 んだ間に詩音を一瞥 した。
「し、詩音! な、何よこれ……」
「……は、はっ……」
詩音の心臓部付近から黒い瘴気が漏れ出ていた。普通の人間である栞ですら視認 出来る高濃度の穢れた瘴気に、身体の異変を来した詩音は苦しげに息を繰り返している。
「……ははっ。当てられたのかな」
結界が弱まりつつある。詩音はそれでも役目を果たそうと結界を維持し続けた。
詩音が展開した結界術は上級者でなければ扱えない代物。穢れを一切寄せ付けずに浄化もする。それを展開せざる終えなかった理由は詩音自身にあった。
昴は翔馬に渡された札を思い出し、社を真似て札を詩音に向かって投げた。
「西園! 助けられたお礼だ!」
札を受け取った詩音は、見慣れた字体で術式を書かれていることに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、俯き加減に小さく頷いた。
「……ごめんね」
穢れに反応した札が眩い光を放ちながら、詩音の身体に入り込む。青褪めていた顔色は血色が良くなったが、それと同時に詩音が展開した結界術は強制終了され、後ろに倒れ込む身体を栞は支えた。
「木梨! 今の内にお前のお兄さんに文句をぶつけろ!」
「いきなり何言って……」
いつにない昴の大声に栞は戸惑いがちに反応した。
先程まで手間取っていた合成獣 の攻撃を繰り出される前に蹴りだけで食い止めている昴は、気持ちを吐き出せずに日々を過ごしてきた栞の背中を押す。
「文句一つに付きデカい一発ぶつけてやるって言ってるんだよ。腹の中にある物のありったけの全部を吐き出せ!」
「――ッ!」
日和 る自分の背中を力強く叩かれる。昴は機会をくれた。もしもこの先、後悔を残したまま生きれば呪いになる。それは目の前で怪物に成り果てた実兄のように、醜い本能を剥き出しにするしか方法を取れなくなるからだ。
いつからだろうと栞は築いてきた過去を思い返す。パズルのピースを組み合わせながら、足りない何かをただ掘り起こし、噛み締めた唇を開いた。
「……いつもそうじゃない。お兄ちゃんはさ、あたしと違ってお父さん達に期待されてた癖に直ぐに逃げて逃げて、逃げて……。あたしにばかり面倒な役割押し付けてた癖に、どの面下げてあたしを呼んだのよ、こんの馬鹿ヘタレ野郎!」
栞の叫びと共に昴は素手で合成獣 を、弘を殴り飛ばした。人間の力とは異なる強烈な一撃に肉体は宙を僅かに飛び、背後にあった銅像に打ち付けられる。
激しい破砕音に昴は驚きもせず合成獣 を追い詰めるように前に立ちはだかり、栞の声を待った。
「いっつもいっつも何考えてるのか分かんない顔ばっかりしてる癖に、都合がいい時ばかりあたしに貢 ぐなシスコン馬鹿兄貴!」
《グゥ――!?》
「彼女作るのはいいんだけどさ、どんだけ女をたらし込んでんだよ! ってか、男もかよ! アンタが居なくなってからぞろぞろ押しかけてきてウザかったわ! 糞兄貴諸共空気読め!」
《ギャウン――!!》
二発目、三発目と食らいながら合成獣 は栞の不満たっぷりの文句に押されている。最後でなければ言えなかった言葉を吐き出しながら、次第に栞は笑っていた。無意識に込み上げてきた涙が頬を伝い、栞は最初で最後の不満を叫んだ。
「っでも、あたしはそんなお兄ちゃんが好きだった。お兄ちゃんが何かしら抱えてたのは本当は少しだけ気付いてた。お兄ちゃんがあたしのことをどう思ってたっていい」
「それでもあたしは、今でもずっと、これから先も、お兄ちゃんのことを好きで居続けるから――!」
恥ずかしげもなく曝 け出した本心の叫びを昴は聞き届け、最後の一発を合成獣 に叩き込んだ。
先程よりも強烈な一撃を受けたキメラは耐え切れずに森林へ足を引き摺りながら吹き飛び、容赦なく木々を薙 ぎ倒していく。
昴は振り返り、栞に笑みを向けた。
「ナイス、ブラコン宣言。じゃあ、俺はダメンズなシスコン兄貴を懲らしめて来るよ」
「ブラコン言うな、このゴリラバーサーカー!」
嫌味にもならない不名誉な呼び名を感じながら、昴は深く生い茂った木々の檻へ走り出した。
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