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 詩音や栞の身の安全を優先して行動範囲を狭めるべく森林に合成獣(キメラ)を追いやった昴は、致命的な問題に直面した。  木々を容赦なく薙ぎ倒す合成獣(キメラ)の動作は単調になり、視界を遮るバリケードの檻を破壊するのに徹している。仕留めるには十分なフィールドは昴にとって得手(えて)だ。だからこそ、一番重要な問題の対処に経験不足が浮き彫りになっていた。 「……虚霊(きょれい)みたいに簡単に消える訳じゃないんだよな」  紙粘土を引き裂いた感触がした虚霊とは異なり、生物と変わりない血肉や骨で形成が成された虚戯は、まさしく独立した生命体そのもの。どれだけダメージを蓄積しようにも、断ち切れるのは筋肉の繊維だけだった。  引き受けたまでは良かったが、対処法を模索するだけで時間は無駄に浪費(ろうひ)する。  悪戦苦闘を強いられる昴を嘲笑(あざわら)うかのように、年若い青年の声が降ってきた。 「にゃっは。ナイスファイト〜。新進気鋭(しんしんきえい)のバーサーカー君」  不名誉な呼び名を口にした声の主は周囲を見渡そうにも、視線の先には人影が居ない。 「上だよ、上」 「なんっ! って……あれ、猫……?」  目鼻口は存在しない、立体的なホログラムで出来た猫はどこか見下すように昴を見詰めており、あからさまに鼻で笑った。  昴は身構えたが、猫から敵対心もなければのらりくらりと夜を徘徊(はいかい)する野良猫みたいに無防備だ。 「誰だ?」 「バーサーカー君にとっては大先輩の浄化屋だよー。でもって、君がよく知る友達のお兄さんの友達」 「あー、分かった。凛太郎(りんたろう)さんだろ?」  凛太郎の友達と聞いて腑に落ちるのも釈然としない。昴をバーサーカーと名付けたのは凛太郎であり、凛太郎の友人からもバーサーカーと呼び親しまれているのも現状だ。  ……どんな交友関係なんだよ。  昴は生粋(きっすい)のキチガイの顔を思い出し、重たい溜め息を吐き出した。  未だに名乗りもしない猫は容易く昴の肩に飛び乗り、愉快そうに笑っている。 「普通なら虚戯と戦う場合、結界術師か天律技師が必要になるんだよ。本当なら詩音君が補佐してくれると心強いんだけど、生憎彼は瘴気に当てられやすい性質でねー。それに明らかに余裕がない。まあ、結界術はそれ以外の動作が不可能になっちゃうんだけどね」 「いきなり来てべらべら喋られても困るんだけど、取り敢えずウザいな」 「にゃっは。まあまあ、いいじゃ〜ん? ほらほら、余所見してると襲ってくるよ〜」  猫に促されるまま合成獣(キメラ)が放つ暴風を躱しながら、容赦なく倒木する木々を容易く避ける昴は、標的になっていることを良い事に合成獣(キメラ)の注意をわざと音を鳴らしながら引きつけていた。  まんまと昴を追い掛ける合成獣(キメラ)から一定の距離を置きつつ、目先にある一際丈夫な木に忍者さながらの素早さで飛び上がった。 「ひゅーう。すっごい運動神経だねー。いやぁ、参った参ったー。これは僕には無理だよー」 「ウザいな」 「にゃっは。じゃあ、家庭教師の役割果たさせて貰おうかにゃ」  差詰(さしづ)め翔馬の差金(さしがね)だろう。昴は安易に想像が出来てしまい、取り敢えず木々の間を縫いながら移動した。 「戦術師が一人で虚戯を倒すのは可能か?」 「うん。可能の範疇(はんちゅう)」 「……ただ戦闘不能にするだけじゃ意味はないんだろ?」 「オフコース! それだけじゃあ解決しまっせぇーん!」  ハイテンションに語る姿はスピーカー越しに話しているようで落ち着かない。変わり者の愉快犯じみた道化(どうけ)だ。昴は嘘臭さが鼻につくと不快感を顕にした。  猫は余裕を持って語り出す。 「一人で虚戯を倒せるようになるまでの道程は険しいようで険しくない。簡単に言えば戦術師としてのセンスだよ。センスがなければ虚戯を滅するなんて無理な話」 「じゃあ、お前なら倒せるのか?」 「にゃっは。無理無理。だって、僕は戦闘向きじゃないからねー。倒せるのは詩音君の父親、西園文秋クラスの上位者くらいだよ」  詩音の父親の名が出たのは比較的驚きがなかった。詩音の両親が翔馬程ではなくとも上に立つ実力者なのだろうと、これまで聞いてきた話を総括した結果の想定内だ。  昴はセンスと簡単に言う猫をジト目で睨みつけ、わざとらしく溜め息を吐き出す。 「何さー。そこの文句ありげな生意気ボーイ、年長者を敬いなよー」 「声は若かろうと歳は凛太郎さんとあまり変わらない、三十路間近の独身男だろうな」 「うわ、僕の年齢当てやがった! まず独身は余計だ、バーカ!」 「凛太郎さんを親しげに呼んでる様子から予想しただけだ。大方、同じ学校の卒業生かまだ会ったことのない友人X。後者なら浄化屋として暗躍(あんやく)するには打って付けの立派な情報源だな」 「当たり過ぎ! え、そんな分かりやすい!?」 「大体は予測しやすいだけだ」  元より頭の回転は速い方だと自慢は出来る。近い予測を枝分かれしながら何通りにもなる予想図を作り、正答に最も相応しい項目が出来上がれば取捨選択すればいい。観察癖に考察癖が合わさったのが齎した使い物にならない産物だと、昴は生まれ持った性質を呪った。  騒がしかった猫は僅かな間だけ黙り込み、天を仰いだ。 「バーサーカー君は合成獣(キメラ)になった彼、木梨弘と会ったことがあるみたいだね」 「あるよ。中二の秋が終わる時期に、お兄さんと会った」 「怪物になる前の、人間であった彼はどんな人間だった」  ひょうきんな物言いを捨て去り、猫越しながらも鋭さを帯びて切り込んできた人間に凄まれた気がした。木々の間を縫って突き進んでいた昴は唐突に足を止め、困った顔を浮かべながら首の後ろを掻いた。 「今思えば、ただの変な人だったのかもしれない」  純粋に感想を吐き出すが、一日にしては長くとも、換算すれば僅かな時間を過ごしただけの関係性は決して頑丈な訳ではない。昴は一つ一つ順路を辿りながら記憶を掘り起こし、弘の印象を語った。 「第一印象は喜怒哀楽がはっきりとした表情豊かな余所者で、自分の話はしたがらない人だった。でも、妹のことは溺愛してて、それだけが未練かもしれないって言ってたな」 「ふぅん。じゃあ、その未練が災いを齎したって訳ね。この公園はきっと、彼にとっての望郷。そりゃあ匂うに決まってるね」  猫は周囲を見渡しながら、視界に映る榮の杜運動公園全体を覆う瘴気の檻を確認し、疲弊しきった溜め息をあからさまに吐き出した。 「未練は呪いの一種。あまりにも想いが強過ぎたから縛られたって訳か」 「けどさ、公園全体だったら無理があるんじゃないか。思い出の場所なら公園全体よりも、限られた場所だと思うんだけど」  昴の何気ない一言に猫は啞然とした。簡単な話でしかなかった解決策が真っ先に提示されたのだ。 「固有の場所を住処にする虚戯はレアケースだったから盲点だったよ……。そうか、なら瘴気が生み出されてる箇所が存在してる筈だ」 「レアケースって、最初からプラン無しか! え、色々考えちゃった俺の苦労を返せ!」 「ごっめーん。だってぇ、普通ならぁ、理性無くした暴れ狂うクリーチャーをボッコボコにするだけなんだもーん」 「うっっぜぇ」 「にゃっははは。まあまあ、いいじゃんいいじゃん。ほらほら、匂いが濃い所を僕が探すからさー。じゃ、出発ー」  調子を取り戻した猫に尻尾で肩を叩かれ、昴は先行きが不安だと落胆し、近付いてきた合成獣(キメラ)の気配を確認しつつ、再び動き出した。

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