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 茂みの中から脱した昴は羽織に付いた木の葉や蜘蛛(くも)の巣などを叩き落としている最中、降り掛かった気怠さに身体は唐突に鉛のような重たさが、心身共に蓄積した疲労感によってゆらりと傾いた。  倒れるのを覚悟をしていた矢先に、嗅ぎ慣れた煙草の匂いに包まれた。 「よく頑張ったな」 「……ははっ。思ってたよりキッツいなぁ、この仕事」  翔馬に受け止められたせいか倒れ伏すことがなかったのは幸いだった。優しく頭を撫でられ、不慣れな接され方に昴は居心地の悪さから翔馬の手を躱し、噴水の傍らに座している詩音と栞の元へ歩みを進めた。 「西園」 「……っ。ごめ、俺何も出来なかった……」  スーツの上着を掛けられていた詩音は涙を零し、深々と俯いていた。  昴は栞を見て、互いに苦笑を浮かべる。 「アンタね、何白けること言ってんのよ。宮盾がお兄ちゃんを相手してる間も、詩音は穢れからあたしのことをずっと守っててくれたじゃない」 「西園が隙を作ってくれなきゃ俺は押されたままだったしな」  昴が弘を相手にしている間、気を失っていても尚、詩音は無意識の内に栞を穢れから身を守る術を発動していた。目覚めた頃には翔馬が来ており、昴が弘を侵していた虚戯を滅した後だったことも相まってか、意識がない状態だったことを詩音は気にしている。  励ましの言葉を互いに掛けたが、詩音は唇を尖らせたままぷるぷると震え、ぐしゃぐしゃに泣きじゃくりながら昴の首に鋭い一撃を与える。 「ぐえ……」 「ふぇぇぇん! だってだって、俺格好悪い所ばっかでぇ! 怖くて怖くてビビっちゃってたしぃ!」  盛大に声を張り上げて泣き喚く詩音は力任せに昴の首を腕で絞め付ける。何度やられても慣れない暴挙に、やはり昴は引き剥がす気が起きなかった。 「おい、詩音。昴を絞め殺す気か?」 「ううっ……ひっく、ふぇっふ」 「折角の(ツラ)が台無しだな。男ならさっさと泣きやめ。泣いてる方が格好悪いぞ」  翔馬に優しく(なだ)められて、ようやく落ち着いた詩音は泣き疲れてへとへとになったらしく、軽々と背中に背負わされた。  既に寝息を立てて眠りこけ始めた詩音に翔馬は安堵し、平然としている昴を一瞥した。 「ドラ猫はさっさと帰ったんだな」 「特に何も言わずに居なくなったよ。気配なしだったから確実だな」 「……ったく、彼奴は良くも悪くも時定の影響を受けてるからな。あそこの連中は本当にいけ好かねぇ」  嫌味を込めて吐き捨てる翔馬の姿はいつになく不快感を顕にしていた。 「昴には悪いんだが、今日は栞んちに泊まれ」 「は、はあ!? ちょっと、あたし聞いてないんだけど!」 「俺がここに来る前に神無月(かなづき)から連絡があった。お前の親父さん、社会復帰出来るみたいだぞ」  初めて聞かされた話に栞は言葉を失い、茫然としていた。 「えーと……かなづき? って何?」 「国家警察組織の中にある浄化屋関連の仕事を取り扱う人間が集まった部署だ。お前がよく知る親友の父親がそこを束ねてる主任だよ」  さらりと暴露(ばくろ)された内容に昴は強過ぎる衝撃のせいで反応が遅れる。  ……マジかよ。  昴に浄化屋になるよう仕向けた人間の顔を思い出し、湧き上がる怒りを(かて)にして、容易く拳で銅像を粉砕(ふんさい)した。 「……あんの野郎。ハンバーグで誤魔化そうもんなら、今すぐぶっ殺す」  悪びれもしない顔をしている秀吉の悪どい性格に、改めて思い知らされる。  (ただ)ちに挽肉(ミンチ)にしなければならない相手だ。並々ならぬ憤怒の炎を燃やし、昴は自身が粉砕した銅像を更に粉々にして八つ当たりをしていた。 「間近で見るとヤベェな……」 「笑えないわよ、これ……」  夜空に木霊する耳を塞ぎたくなるような破壊音が、ただただ虚しく響いていた。  ◇◇◇ 「ミッチ。進捗(しんちょく)はどうかにゃ?」 『言われた通りに捕まえた。今から(とも)さんと事務所(ウチ)に戻る』  タクシー代わりに利用している乗用車の後部座席で虎太郎はパソコンを弄りながら、器用に携帯電話片手に通話をしている。通話相手は鳴鴉(なきがらす)に所属する弟分の一人だ。  上機嫌に会話を進めながら、あっさりと通話を終わらせた虎太郎は、買い物から戻ってきた二人の友人が助手席、後部座席と乗り込み、渡された大手飲料メーカーが作るコーラフロートのキャップを開ける。 「ったく、ドラ……。お前なぁ、いい加減タクシー代わりに使うなって言ったろうが」 「まあまあ、落ち着きなよ。キンちゃん。ドラちゃんだってお仕事終わったばかりなんだし」 「いやいや、待て待て。ミカさんよ、それはおかしいわ。俺と金蔵(きんぞう)も地方ロケから営業、番組収録諸々終えてんのよ?」 「えー? 僕もきちんと仕事やってきたよ?」 「内容は聞かんからな」  右下に泣き黒子(ぼくろ)がある美形の男性は、運転席に座る厳つい顔立ちの男性にばっさりと斬り捨てられ、ニヤついた軽いノリで「えー」と落胆した。  助手席に座る鷲鼻の男性は呆れから深々と溜め息を吐き出し、ノンカフェインのコーヒーの缶を開け、パソコンを弄る虎太郎に目を向けた。 「なあ、ドラ。今日の生配信は偉く長かったのは何か理由があるのか?」 「面白くなかった? 浄化屋の癖にグーパンやら踵落としやら。大先輩の僕からして見れば規格外過ぎてさー。コメ欄も大盛況だったしー」 「嗜好を変え過ぎるのは良くないんじゃないのかー? 偉大なるキジトラ様にしちゃあ、無駄にギャグだったぞ」  的確に指摘されるのも無理はない。凛太郎も含めた彼等達とは人生の半分を優に越えている長い付き合いだ。虎太郎は図星を突かれたせいで黙り込み、ボンネットの上を仰ぎ見た。 「ドラちゃんは楽しくなっちゃっただけだったりして……なんてね」 「本業の血が騒いだってか? 良かったじゃねぇか。退屈しなさそうで」 「厄介ごとの一つや二つ歓迎するっていうのも一興(いっきょう)だろ?」  勝手気儘に話が進んでいる友人達に対し、虎太郎は明らかに機嫌が悪くなっていた。全てお見通しだったのだろう。余計な詮索はせずに話を進められたのが、簡潔的に終わらせられた気もした。  温いコーラフロートを煽りながら、後ろから運転席を蹴り上げた。 「ジロー君。僕はまだ仕事中なんだからさー、さっさと事務所まで送ってってよー」 「へいへい。分かってっから、それ以上蹴るんじゃねぇぞ」  動き出す車体に身を委ねながら、優しさから掛けられたブランケットの温もりに疲れた身体を休ませるよう目を瞑り、虎太郎は少しの時間だけ眠りについた。

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