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月曜日は憂鬱 な気分に陥 りがちとは言い得て正解だと、昼休みだというのに仙崎 から押し付けられた数学ノートの回収に小テストの回収から諸々 降り掛かってきた災厄 に、呑気に船を漕いでいた昴は自分自身を殴り倒したい気持ちで一杯だった。
本日の天気は快晴。雲の流れはなだらかで、心地良さが返って腹立たしい。
何故か快適である筈の昼休みは、押しかけてきた詩音の女友達である千絵 と芽衣 に押し切られる形で屋上となり、やや肩身の狭い思いをしている秀吉と良太郎の顔が目に浮かぶ。
詩音は知り合いからの電話で若干遅れると言っていた。昴は職員室にある仙崎のデスクに、回収したノートと小テストを置いて、足早 に退室した。
屋上へ行こうと歩を進めた昴だったが、何故か階段の段差に座る栞にぎろりと睨まれた。
「あれ、木梨?」
「何よ。あたしで文句あんの?」
「ああ、いや。元気そうだな、って」
元から華やかな外見の清楚 ギャルは、薄化粧でも綺麗なのに変わりない。相変わらずの強気な態度に昴は安心を覚え、口許を緩めて微かに笑った。
「あれから、どうだったんだ? 昨日話くらいはあったんだろ?」
「神無月の人達は理性的でまともだったわ。お兄ちゃんのこれまでの足取りから、家族も知らない診断書の存在も、全部一から丁寧に教えてくれたの」
「……そうか。親御さんはどうだった?」
「頭の螺子 は何本かまたイカれたんじゃないの。いい気味だって初めて思ったわ」
自信ありげに高慢に笑う姿が様になっていた。見た目によく見合った強き心の持ち主である栞のこれからに、何の支障もないようだ、と昴は笑いを堪えるのに必死だった。
「あたしね、家を出ることにしたの」
「一人暮らしか?」
「うんん。千絵に相談したら一緒に暮らそうって。千絵んちは今はお姉さんと二人でマンション暮らしで、両親は海外に居るから、部屋は有り余ってるみたいなの」
友人に恵まれたことが幸いだったのかもしれない。栞は嬉しそうに話ながら、立ち上がって階段を上り始めた。
「お兄ちゃんの魂は空には還れないけど、手元には残るの。心象風景 を映した魂魄の殻、って天パは言ってたっけ」
「……確か、心殻 だっけ。月銀 さんから教えて貰った」
どこで生成されたかは教えられなかったが。
昴は昨日に再び開かれた月銀の授業を思い出し、遺骨の代わりなのだろうと解釈していた。間違いないと分かったのは栞の口ぶりのせいかもしれない。
屋上に辿り着く扉を目前にして、栞は振り返る。
「これからよろしくね」
「……ん?」
「それで、あのチビの連絡先をあたしに教えなさいよ。これからもっともっとアンタ達にしつこく関わってくんだから。友達は多い方が楽しいんだし」
爆弾とまではいかないが、突然の介入宣言に昴の思考は停止した。
栞は可笑しそうに吹き出して、くすくすと笑いながら屋上の扉を開き、中で待っている千絵達を茶化しながら、秀吉にしがみついて怯えている良太郎の近くに一定の距離を置きながら腰をおろし、穴が開く程見詰め始めた。
昴は何も言わずに素通りし、秀吉に預けていた購買で購入したパンとカフェオレを受け取り、フェンスに背中を預けるよう腰を落ち着かせた。
「なあ、宮盾。この状況はなんだ?」
「女子からの集団リンチじゃないか」
「あー、成程な。だからいい匂いしかねぇんだな。新手の試練だな、うん」
「ヘタレが黙れ」
「リノアのフローラルフレグランスの香りがする」
「……洗剤の種類が細かいな、おい」
普段ならあり得ない光景に冷静さを欠いている秀吉の頭を軽くど突き、ガクブル状態の良太郎がしがみついてきたから、呆気なく栞に明け渡した。
「ひぇぇぇ! この人でなしぃぃぃぃ!」
「ねえ、チビ。さっさと連絡先教えなさいよ。取って食いやしないから」
「ふぅぅぅ! うぅぅぅ!」
「え、何それ。威嚇 のつもり? くっっっそ可愛いな」
眼鏡で隠れては居るが、恐怖心で涙目になっている良太郎は新手 の肉食獣に襲われる寸前だ。
欲望を隠しもせずに迫っている栞の迫力に負けている良太郎を愉快そうに眺めながら、隣で千絵に押され気味の秀吉の姿すら滑稽 に思えた。
「ごめーん。皆お待たせ〜」
「あ、詩音君! ……と瑞希 先輩」
「足りないのは女性らしさだけではなかったみたいだね、紫ちゃん」
詩音と共に現れた瑞希の登場により、紫の可愛らしい顔は悪鬼 すらも恐れる凶悪な歪められ方をしていた。
肝心な所で鈍い詩音は手招きしている芽衣の元へ弁当と手作りのマドレーヌを両手に、嬉々とした表情で女子力トークを始め出した。
個々で好き勝手している空間は、一気に騒がしくなった。これまでならそうはならなかった居心地の良さが、賑やかさが加わって悪くはないと思えた。
……もうそろそろ、だな。
カウントする間もなく勢いよく扉が開かれた。
「はぃよーっす! 主役は遅れて登場じゃー!」
染色された派手なオレンジ髪を後ろに留め、パイナップルの葉のような特徴的な髪型が目を引き、更に目立つのが学校指定のブレザーではない赤いスカジャン。まるでヤンキーのような出で立ちの少女――如月泰は、元気溌剌 とした突き抜けるテンションで現れ、さも当たり前のように昴は陽気に手を挙げた。
「サボってた分のペナルティは終わったのか?」
「ばっちし! 適当に書いて終わったから最短記録更新したから!」
「……おい、椙野から借りたノート一式無駄死に終わらすなよ」
「いや、ほら、取り敢えずもうサボらないし。ティーチャーも多目に見るって言ってたし」
「ならいいか」
突然現れた泰に驚きを隠せない詩音達だったが、秀吉や良太郎は慣れているせいか特に驚きもしない。
泰は秀吉の近くを陣取り、預けていた月花堂 の紙袋に入った饅頭 の山を貪り食い始める。
千絵は唐突の乱入者に涙を滲ませながら茫然としていた。
「饅頭食べる?」
「うぇ!? な、ななな……!?」
「食べないの? ならおっぱい揉ませてー」
「は、はいぃ!?」
直接的なセクハラ発言を堂々とされて千絵は気が動転し、混乱しきっている。饅頭を食べるか揉まれるかの二択を迫られる千絵が見ていられなくなった秀吉は、セクハラ親父のように鼻息を荒くしている泰の頭をぺちりと叩き、暴走を止めた。
「悪いな、国平 。こいつは基本こんな感じなんだわ。悪気はないが、邪な気持ちはある奴だから無視か殴るかのどっちかすれば収まるから」
「いやいや、邪な気持ちは私は一つもないよ。強いて言えば欲望に忠実なだけさ……!」
「じゃかぁしい。全然決まってないんだよ。ほら、口の周りに付いた餡こを拭け」
常に持ち歩いてるウェットティッシュを懐から取り出した秀吉は、慣れた様子で幼子にするように泰の口元を拭う。
同世代の同級生の筈が親子に見えた。千絵以外の誰もがそう思っていたが、何かを勘違いしたままの千絵は顔を赤くしたり青くしたりと忙しない。
「や、ややや! やっぱり付き合ってるんだぁ!」
「はあ? 誰が、誰と?」
「猿と如月さん!」
「え、何それ。初耳なんですけどー。私ら付き合ってないよ? 私からすればまっつんはお母さんな存在だと思ってるし」
根も葉もない噂に翻弄されていた千絵は簡単に事実を告げられ、反応に追い付けずに石像のように硬直していた。
側で聞いていた昴はカフェオレを啜りながら、晴天に見下されたまま静かに独りごちる。
「ここは動物園かよ」
どこもかしこも騒がしく、一気に増えた人口密度に昴は平和は存在しなかったと、誰にも構われない疎外感に寂しさが木枯らしのように心が寒々と吹き荒んでいた。
月曜日は憂鬱だ。昴は直近で経験したことのない体験に、これから生じる変化の前触れに無意識に笑みが浮かぶ。
漠然とした先々の未来を見据えても掴めない正解に翻弄 されるだけの人生とは異なる、新たな世界が色づく様に、昴は胸踊らせた。
――普 通 の人 間 として生きていられるこの時間を、純粋に噛み締めて。
歌うたいの合成獣 ――【完結】
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