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第六章:恵まれた景色

 生を与えられたならば、どのような形であれど、栄養を取り込んで生き長らえなければならない義務を固定付けされている。  口から摂取し、咀嚼(そしゃく)を繰り返す。  作業でしかない動作を何回も繰り返し、表記が知れている栄養素が決まった食料を消化吸収させ、血肉に変えて生への(かて)として維持される。  成長とは()える為の物だ。用意された食事は決まった規則で回り続けている。  しかし、それが異なる物だと知った。幼かった少年には理由が分かるまで時間が掛かったまま、時の流れの中で変化した感覚に疑問ばかりを覚えた。  実家で差し出される食事は決まった時間に、寸分も狂わずに部屋の前に置かれ、家族の団欒(だんらん)などなかった。味については覚えていない。味覚がなかった訳ではないのに、美味しさどころか不味さすら感じなかった。  だが、幼馴染の家で出された食事は時間は(まば)らでも、決まって家族が食卓に集まり、どうでもいい世間話やらで賑わっていた。食べ進めようにも、安酒を傾ける幼馴染の父親が悪酔いしながら絡んでくる度に、不思議と心地良かった。  今でも思い出せる。幼馴染の母親が作った料理の味は美味かった。特にハンバーグが気に入りで、幼馴染に招待される度にこっそりと話せば、気が付けば赤の他人でしかない少年が決まって幼馴染の家でご馳走になる日は、ハンバーグが当たり前になっていた。  詳しく分からないまま、その歓喜について遠く離れた地で出会った少年に話した時、馬鹿にもしないで優しく教えてくれた。 「それはな、宮盾(みやたて)。お前自身が純粋に楽しかったからだよ。一人飯は不味くて当たり前だ。味がしなかったっていうのは、不味かったで片付けていいんだよ」  出会ってから一週間と二日弱。幼馴染にしか心を許せなかった少年は、生まれて初めて自身を覆う薄く硬い殻の鎧に亀裂が走った瞬間だった。  些細(ささい)な話題の振り方に反応した数時間前の自身を呪う。  ――(いな)。  幼馴染以外で感じた安らぎに、今までで一番心地良かったのが、悔しさで呪っただけに過ぎない少年の心に、多大な変化を(もたら)したことを。  差し込んだ光の糸に手を伸ばし、引いてくれる存在が現れたことを、一生涯悔いることのない幸せな誤算(ごさん)であったことを、生まれて初めて知ったのだから――。  第六章――『恵まれた景色』  ◇◇◇  朝の情報番組では、発覚して日も経たない政治家のスキャンダルを昼夜問わずとして報道している。テレビ局側が用意したコメンテーターの批評家被れな発言が、視聴者側からすれば目に余る物があった。  新聞紙から目を離し、情報番組に興味を移した翔馬(しょうま)は、鬱蒼(うっそう)と生い茂った天然パーマの頭を乱雑に掻き、つまらなそうに肩を落とした。 「この政治家、逮捕とか笑かすな。まあ、浄化屋の卵でしかない餓鬼に無理矢理色事(いろごと)の客商売やらせてたし、捕まっても悪かねぇか」 「浄化屋に関わりがある人なのか?」  (すばる)は茶碗片手に食事中だろうと構わず、翔馬の話す話題に興味が向いた。 「浄化屋を働かすには金が必要だろ? なら、その金を入れてくれる一般人はどれ程の資産があるか大体は想像がつく。その分資産家の望みも叶えなきゃなんなくてな……。ただの変態野郎だったんだよ、この(ジジィ)は」 「……あー。なんとなく想像はついた」  国が作った法に触れない浄化屋の体制に漬け込んだ、人道から外れた悪趣味な(たわむ)れごとだ。浄化屋の中には身寄りのない子供もいると聞いていたが、名目上で取り(つくろ)えば欲望の()(ぐち)に使いやすい。  あまりよくない報せだと昴は一つの情報として処理をした。  遅れて月銀(つきしろ)と共に居間へ来た手鞠(てまり)は、寝ぼけ(まなこ)のまま欠伸を一つし、顔を洗う猫のように目を擦る。 「おはよう、手鞠ちゃん。よく眠れたかな」 「……ん。寝過ぎた」  熊の大二郎(ダイジロー)を抱き抱え、翔馬の隣ではなく昴の隣りに寄り添うよう座り、再び(まぶた)を閉じて眠ろうとしていた。 「手鞠様、眠ってはいけませんよ。怠惰(たいだ)な生活は」 「ツキシロ、煩い」 「手鞠様ぁ〜!」  分かりやすく邪険に扱う手鞠の容赦のなさに月銀は泣き出した。大分このやり取りにも慣れつつあるが、幼女と人外の主従関係はギャップの方が遥かに大きい。 「なあ、昴。今日の夜予定ないよな。ないよな?」 「あ、悪い。俺、今日は松村(まつむら)()で約束してたことがあってさ、取り敢えず夕飯は要らないから」 「……拒否るの早いな」  (よこしま)な下心が見え見えな翔馬の誘いを真っ先に断り、夢と(うつつ)狭間(はざま)に揺れ動く手鞠を優しく長座布団の上に寝かせ、(から)になった食器を台所に運んだ。  グチグチと文句を垂れている翔馬を返り見、昴は首の後ろを掻きながら嘆息(たんそく)した。 「で、何の用だったんだ」 「外食の誘いだよ。月銀の微妙な飯ばかりじゃ満足しねぇだろ。だからたまには良い物を食わねぇと枯れるからな」 「あ、悪い。俺、どっちかというとファミレスか吉田家の方が嬉しい」 「……マジで拒否るの早いわ」  月銀の手料理は美味くもなく不味くもない、それといって普通とも言えない微妙な出来ばえだ。手鞠にすら相手にされず、主である翔馬にすら尽く玉砕(ぎょくさい)している月銀はみっともなく滝のような涙を流している。  昴は洗面所に行く前に、再度茶の間に顔を覗かす。  ……今までなら無い光景だな。  食卓を囲み、誰かと食事することが今まで有ったかと思えば無いとは言えなかった。  無いのは朝から人が居ることと、普通に他者と会話を交わせること。昴にとって有りもしなかった日常に、漠然(ばくぜん)とした感想しか出て来ない。  翔馬と目が合う。 「どうした、昴」 「あー、いや。なんでもないよ」  苦笑と共に芽生えた感情を保留するべく蓋し、昴は未だに残る居心地が悪いようなざわざわとした気持ちの逆撫でを内に抱えたまま、背を向けて洗面所に向かった。

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