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 ◇◇◇  他者から入り込めない世界が彼らにはあった。詳細を知らないまま、取り留めない疎外(そがい)感を若干残し、どうにも区切られた(へだ)たりの片鱗(へんりん)ばかり目に飛び込んでくる。  誠一に頼まれて授業に関連する手伝いをする羽目になった詩音は、文句を言いつつ段ボールの中身を開けては仕分けをする昴達を一瞥(いちべつ)した。  ……仲がいい、にしては。  節々にある違和感の正体は(はた)から見れば分からないのだろう。詩音は静かに誠一の側へ歩み寄り、声を潜めて話し掛けた。 「その、海堂先生はいつから宮盾君達と親しいんですか?」 「ん? いつからって……宮盾君がコンビニでアルバイトしていた頃だから、去年の八月のお盆辺りかな? そこからなんだかんだ彼らと関わり持っちゃってね」  嫌がる素振りもなく、妙に楽しげに語る誠一は、馬鹿にされてあたふたしていた姿から一転し、教師としてでなく、ヤンチャな弟妹(ていまい)を見守るような温かな眼差しを(たた)えていた。 「なんだろうね。純粋に目が離せないっていうか、放っておけないっていうか。あの子達は意外と繊細で、少しでも突けば割れちゃうような子達なんだよ」  子供特有の何かが欠損した、調和すらしない違和感を抱えながら、自由を求めて浮遊する風船に小さな刺激を与えたせいで破裂する。周囲は気にも留めないことが返って可笑しさを築き上げている様は、少しの異常性を指摘してしまう。  高校二年生。十分に青春を謳歌してもいい時期だ。誠一は(じゃれ)()う昴達を振り返り、寂しさの色を濃くし、悲しげな笑みを漏らした。 「良くも悪くも無関心なんだよなぁ。特に宮盾君って」 「あ、それ俺も思ってました。周りの環境に対して興味が薄いっていうか、目の前に誰かが来ない限り認識しないっていうか……」  一定のラインに足を踏み入れない限り、興味関心を向けない。それでいて癖なのか、内側に踏み込んできた他者を観察するような眼差し。詩音にも思い当たる節はいくつかあった。  ……距離とは違う。  睨む訳でもなく、ただ真直とじっと見詰められる。顔色、声色、癖の一つ一つを識別し、相手の情報を取り込む。機械的に識別されているようだと勘繰(かんぐ)ってしまった。 「でも、去年の今頃と比べたら大分マシになったのかな。西園君みたいな友達を作るのも珍しいし」 「え? そう、なんですか?」 「西園君は良くも悪くも目立ってたからねぇ。他人に興味が薄い宮盾君が唯一関わりなくても名前と顔を覚えてたんだし、それもあって心を開けたのかもしれないしね」  良くも悪くも目立っていた。その一言に詩音は不機嫌そうに唇を尖らせ、教師らしさの欠片もない誠一に対し、少なからず「ウザい」と感じていた。  ……でも、合ってるんだろうな。  浄化屋として昴をスカウトしたあの日は、確かに彼は詩音を認識していた。クラスメイトだからとは限らない。昴は未だにクラスメイトについて限りなく興味が薄いからだ。  間違えずに詩音の名を口にし、さも当たり前のように側に置いてくれている。謎多き同級生だが、不思議と居心地がいい。 「まあ、僕は他より少し親しいだけの関係だからさ、自惚(うぬぼ)れ易いんだ。あの子達は気を許してくれてる、だから何を言ったって構わないだろう。勘違いも(はなは)だしいよね」  教師と生徒の関係性にしては、奇妙な程に隔てる壁もなく接し、気が付けば特別なポジションに居るのかもしれない。都合のいい錯覚に甘んじ、今日の様にデリケートな所を誤って刺激する。誠一の横顔は、酷く後悔の念に囚われ続けているようだった。 「もしも、本当に嫌だったら宮盾君達は海堂先生のことなんか眼中にないと思いますよ。じゃなかったら、頼まれ事なんて引き受けないし。それって、海堂先生が信頼されてるからじゃないんですか?」 「そ、そうなのかな……?」 「きっとそうですよ」  他者に対する興味が希薄(きはく)にしては、彼らは誠一という人間に対して、はっきりと気を許しているかに見えた。目に見えて分かりやすい態度の変化に、噛み合わせは悪いようで互いに許し合っている故だろう。  詩音は羨ましいと口にはせずに感じながら、何やら隠れて作業に勤しんでいる昴達を不思議そうに眺めていた。 「せいいっちゃーん。見て見て、立ち上がれザンダム!」 「おおー。全部紙で出来てるのかぁ。すご……い、じゃないわ! え、ちょ、それ今日配布する筈のプリントじゃ!?」 「誤字脱字だらけだったので、お見苦しい物は人様に配れないでしょう」 「ディスり方が相変わらず辛辣だな!」  器用にプラモデル並のクオリティで組み立てられたSFロボットアニメの二足歩行型ロボットは、全て誠一が徹夜で作った学級便りだ。更に器用に武器も作られており、無駄な職人技が光っていた。  隣で勝手に誠一のノートパソコンを開いていた昴は、既に起動されたコピー機によって新たな学級便りを印刷している。 「海堂先生。取り敢えず修正分終わりました」 「ありがと……う……じゃねぇよ。これ俺が作ったのよりも見易いし分かりやすい……」 「手間賃(てまちん)くださいよー。オンブルのハンバーグプレート。メニューの中で一番値が張る奴で」 「カフェオレで勘弁してください……! 一週間分奢るから!」  (たくま)しい外見によらずコンピューターにも強いらしい。詩音はやり取りを眺めつつ、昴のポテンシャルの高さに驚いていた。  ……意外と装飾部分が細かいなぁ。  これで画力があれば向かう所敵なしだったのだろう。詩音はくすくすと笑みを零し、側で繰り広げられている傑作と成り果てている全て紙で出来たジオラマに思わず圧倒された。 「どうだ? バランス悪くないだろ?」 「資料も見ずにこのクオリティはヤベェっすね、まっつん先輩」 「宮盾氏がやったら山並み全てがウ○コになりますから、悪い所無しですよ」 「お宮が作るとザンダムがGになるからね、うん」 「宮盾に任せると武器がマツダ棒になるからな」 「本人前にしてディスり合戦するなよ。お前らの脳漿(のうしょう)ぶち撒けるぞ、おい」  昴の美術センスが皆無であることを弄り倒す秀吉達の素のリアクションに、当たり前のように対応し合う。入り込めない関係性が深いと詩音は寂しいと痛感しながら、仲のいい昴達と誠一の会話を直視しまいと背を向け、一人で黙々と空き箱を畳んだ。  ……時間、なのかな。  親しくなった時間、互いを知る時間。全てが浅いのだから自分が蚊帳の外になるのは分かっていた。  ……どうすればいいんだろ。  初めての友達に歓喜していた詩音にとって、他者との距離の詰め方が分からない。ぽっと出のせいで難しさしか感じなかった。切欠は狡いやり方だった。しつこくし過ぎたツケもいつか返ってくるのだろう。既に自己嫌悪の沼に片足を突っ込んでしまったと溜め息を溢した。 「西園ー」 「ひゃい!?」  気分が落ち込んでいた矢先に昴に名を呼ばれ、びくりと肩を跳ねさせながら詩音は驚きが勝って声がひっくり返った。  ……は、恥ずかしい。  目を丸くしたまま自分を凝視している昴の視線が羞耻心を刺激する。緊張も相俟って鼓動が激しい。困惑気味に挙動がおかしい詩音の姿に昴は笑いを(こら)えながら、優しい表情を浮かべていた。 「西園が良ければなんだけど、今晩松村んちで飯食わないか?」 「ふえ……?」 「そうそう、西園は猫大丈夫か? アレルギーとかない?」 「猫は好きだけど……」  突然の誘いに詩音は驚きですっかり固まっていた。どこに何が繋がって食事に直結したのか不明だ。  しかし、だからといって断る理由が見当たらないのも事実だった。翔馬の都合で浄化屋の仕事が休みになったのも確かであり、詩音にとっても好都合なお誘いだからだ。  ……誰かと食べれるのは久し振りだし。  直ぐに答えを出せずに固まる詩音に対して、嫌な顔をせずに昴は待っている。不慣れなことに戸惑ったまま、赤い顔を隠せない詩音は俯いた。 「……行ってもいいなら、行きたいです」 「ははっ。それが聞けて良かったな。松村に頼めば何でも作ってくれるから、今の内にオーダーした方がいいぞ」  我が物顔で得意気な昴の姿が可笑しさを倍増させる。側で恐ろしい笑みを(たずさ)える秀吉の怒りが離れていても伝わっていた。 「ようよう、穀潰(ごくつぶ)しの宮盾くーん? 俺にだって帰って直ぐに作れる物は限られてるって知ってるか?」 「デザートはババロアがいい」 「私はわらび餅の黒蜜がけ〜」 「僕はザッハトルテがいいです」 「作らねぇよ。ってか、クソチビは面倒な奴をオーダーすんじゃねぇ! 小時間で作れる訳ねぇだろうが!」  気の抜けた自由奔放さに、何となくだが彼等の関係性に法則性に似た、信頼から成り立つ繋がりの糸が絡まっている。詩音は思わず「容赦ないなぁ」と笑い混じりに呟き、やはり変わった関係だと改めて感じていた。 「じゃあじゃあ、俺はベイクドチーズケーキがいい!」 「西園ぉ! この馬鹿共に乗っかったら(ろく)なことが起きねぇぞ! お前の教育上悪いわ!」 「え〜。作ってよ〜」 「……明日な。明日家庭科室開けてくれたら作ってやるから。条件は材料用意するのは西園だからな」 「えへへ。やったー」  案外少しでも頼めば秀吉は簡単に折れるらしい。硬派な見た目によらず甘いギャップが激しい。 「ババロアは?」 「わらび餅は〜?」 「ザッハトルテは?」 「作らねぇよ。穀潰しのお前らは甘やかすのに(あたい)しねぇ」  ばっさりと昴達を切り捨てた秀吉に感服(かんぷく)する。慣れているのも逆に困るのだろう。詩音は見ているだけで飽きない彼等に、入り込めない世界があったという一意見を初めて否定した。  否、自己解釈を否定出来る距離感があった。ボーダーラインを勝手に作ったのは自分自身だ。  詩音は少しだけ近付けるのかもしれないと淡い期待を胸に抱き、傍らで微笑ましげに見守っている誠一に対する羨ましさや憧れは無意識の内に薄らいでいった。

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