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 ◇◇◇  平日の真昼に仕事もなく暇を持て余していた翔馬は、手鞠を連れて目的地もなくショッピングモールを歩いていた。  仕事がない日はスーツを脱ぎ、私服に着替えても尚周囲の視線が痛い。柄シャツが目立つのかとかなり気にしてはいるが、すっかり覚醒している手鞠から苦情もないのが救いだった。  手鞠の意識がガチャポンに向き、機嫌良く小走りで駆け出し、目を爛々(らんらん)と輝かせて指を指し示している。 「ん。ショウ、これしたい」 「あー? なんだこれ、かがみもちアニマルズ?」 「ん。五百円」 「……これだけで五百円って」  手を差し出して百円玉を催促してくる手鞠の眼差しに、翔馬は引き()った表情のまま可愛いのか気持ち悪いのか不明なキャラクターを一瞥する。日曜日に放送している変身ヒロインの方が安い。百円玉五枚の重さに翔馬は財布の紐を開ける気に起きなかった。  ……これの何に惹かれたんだ?  輝いていた眼差しがどんどん険悪な色を醸し出している。精巧な人形めいた容姿とは不釣り合いな程に手鞠は気が短い。渋っているのが丸分かりだったのか、牙を剥き出している子猫の幻影が見え隠れしていた。 「そこの餓鬼んちょ。要らねぇ奴だけど、これ貰ってくれるか?」 「くまのあけぼの……!」  どこかで見たような染められた金髪の長髪ヤンキーが、手鞠の目線に合うように低い姿勢で屈んで、優しい笑みを携えてガチャポンのカプセルを差し出している。  躊躇(ちゅうちょ)なくカプセルを貰った手鞠は、笑顔は表情に出ないが数倍増しで目が(きら)めいている。翔馬は自身の格好つかない無様さに、こちらを嘲り笑う志郎(しろう)の態度に苛立ちが生じていた。 「はっ。私服もヤクザみたいじゃねぇか」 「……うぜぇな。ってか、なんでいい歳こいてガチャガチャしてんだよ」 「姪っ子に強請(ねだ)られたからだよ。兄貴に頼むと買い占められるから嫌なんだと。まあ、三回やって目当てのキャラ出たから無駄じゃなかったがな」 「姪っ子居るのか」 「甥っ子も居るぞ。そっちは一歳、姪っ子は七歳な」  一人の叔父らしく子供の接し方は嫌いではないらしい。既に手鞠の心を掴み掛けている志郎は、ちゃっかり手を繋いでいた。 「どう見ても犯罪者が餓鬼を誘拐してるようにしか見えねぇよな」  あからさまに馬鹿にしてくる志郎の顔面を殴り倒したくなった。昴に一途らしい目の前の男が心底相性が悪いと思ったのは、しつこい粘着質系ビッチのような言い草のせいかもしれない。グラスホッパーで対面した日から嫌でも怒りが勝った。 「金持ちの癖にハイブランドで固めてないのが腹立つわ。ダセェ毛皮とか着ろよ。V系リスペクトか? 鎖ジャラジャラつけて犬でも散歩してんのかァ?」 「うっぜぇな、陰毛野郎。ダセェのはお前だよ、指名手配犯面が。幼女誘拐とか新手のロリコンか? 悪質なロリコンマスターか? 幼女にコスプレさせてうはうはしてんじゃねぇよ、ちん毛」 「誘拐してねぇから」  互いに睨み合い、牽制(けんせい)し合う翔馬と志郎を見上げていた手鞠は、呆れ返って冷めた眼差しを注いでいた。 「喧嘩してる場合じゃねぇな。陰毛野郎とチビ。昼飯まだなら、俺が奢るぜ」 「寿司か?」 「俺の行きつけに美味い定食屋があってよ。国産の豚で、いい餌、いい環境で育ったランク高いの仕入れてるから、脂身も甘いし肉が柔らけえ。カツと生姜焼きが一番だな」 「手鞠に昼間から脂物(あぶらもの)を食わせられるかよ」 「生物(なまもの)はいいのかよ」 「俺が食いたいだけだ」  (ことごと)く噛み合わず、相性の悪さを鏡に映したかのように確かめ合うだけだ。一触即発のピリついた険悪な二人のムードを黙って眺めていた手鞠はあからさまに溜め息をついた。 「お腹空いた」 「「…………」」  容赦なく空気を掻き消した手鞠の一言により、程度の低い(いが)み合いをしていた翔馬と志郎は黙りこくり、冷静になって自分達の大人気なさに恥が芽生え、強張り、ぎこちない会話をぽそぽそと交わして定食屋へ向かった。  昼時のサラリーマンやOLで賑わう定食屋はカウンター席も充実し、テーブル席や小上がりもあって好みに見合った座席選びが可能だ。店主は還暦を超えた渋めの男性で、無駄な飾り気のない小綺麗な店内に溶け込んでいる。  志郎に促される形で小上がりの席に座った翔馬と手鞠は、手渡されたお品書きを見て、着いて早々迷わず店員に注文した。 「取り敢えず生ビールで」 「真っ昼間から馬鹿か! 年端もねぇ餓鬼の前で教育上悪いわ!」 「チッ」  あっさりと却下されてしまい、見た目に似合わずモラルを気にする志郎を恨みがましく睨む。  歳は一回り離れた若造だ。育ちの良さが伝わり難い荒々しい威圧感がブルジョワさを消し去り、庶民に紛れてもおかしくはない佇まいに、存外やり難い。  翔馬はお冷をちびちび飲みながら、味気のない冷水に眉根を寄せる。 「宮盾と暮らしてるってマジなのか?」 「負け犬の遠吠えなら聞かねぇぞ」 「負けてねぇから」  昴のことになると噛み付いてくるのは美佳子に言われた通りの着火剤だ。半年にも満たない短い期間を同じ職場で過ごした仲にしては、自棄に粘着質な気がする。  喧嘩腰になってばかりなことに今更思い出した志郎は、額を手の平で覆いながら、自身に対して溜め息をつく。 「お前と喧嘩したい訳じゃなくてよ……。なんつうか、宮盾の奴はちゃんとやれてんのか?」 「何を?」 「住む場所が変わっても生活出来てるのかってことだよ」 「お前は実家のオカンか」  あからさまに引き気味の翔馬に突っ込まれ、志郎は羞耻から顔を真っ赤にし、噛み付くように「うるせぇ」と叫んだ。  翔馬は話を一度中断させ、店員を呼び、料理の注文をした。 「特上ロースカツ定食一つと、和風オムライス一つ」 「俺は生姜焼き定食」 「ついでに生ビー……」 「追加に烏龍茶。以上だ」  昼間からの飲酒は断固拒否する志郎によって再度阻まれ、便乗すら許されずに悔しさから歯軋りをする。  店員もあっさりと志郎の流れに乗っかり、厨房へと去っていった。 「昴が何してようがお前には関係ねぇだろ」 「……そうだけどな、彼奴のことだからお前らに対して遠慮してんじゃねぇかなって思っただけだ」  翔馬だけでなく手鞠すらも指して、志郎は想像でしかないのに知った風に昴について口にし、その姿に無性に翔馬自身の中で消化不良のようなモヤモヤとした感情が芽生えた。  ……腹立つな。  言われなくとも距離があることは知っている。それは手鞠や月銀すらも感じていただろう。だからこそ、出会って間もないいけ好かない相手に言われると癪に障る。 「言っとくけどな、俺の方が宮盾のことをよく知ってんだよ。伊達に半年近く一緒の職場で働いてねぇよ」  至極真っ当に、私情込み合った牽制を交えて志郎は口答えすら出来ない状況を翔馬に対して作る。  張り詰めた空気に耐えられない手鞠は、悲しげにぽつりと溢した。 「……スバル、一緒に暮らすの嫌?」 「…………」  手鞠が昴のことを気に入っているのは対面したその日から知っていた。それ故に昴の意見も聞かずに勝手に住まわせたのも、今更ながら傍若無人な振る舞いだった。  だが、志郎は首を横に振った。 「嬢ちゃん、その心配は要らねぇよ。宮盾は誰かと暮らすのが嫌な訳じゃねぇ。寧ろ嬉しい状況だろうな。きっと、口にはしなくても宮盾自身は嬢ちゃんのことを大事に思ってる筈だ」 「本当?」 「ああ。俺は嘘はつかねぇよ」  安心させるべくなのか、あまりにも優しい声音で手鞠に語り掛け、志郎は確信を持って言葉を選んでいる。  その姿が更に苛立ちを募らした。翔馬は運ばれて来た烏龍茶を煽り、力強くテーブルに叩き付けた。 「で、何が言いたいんだ?」 「忠告、みたいなのを言いたくてよ。美佳子にも天パに会ったら言っとけって煩くてなァ」  困り果てた様子でぶつぶつと文句を垂れ、意を決した志郎は深々と溜め息を吐き出した。 「宮盾には内側と外側を分ける悪癖がある。多分だが、お前らは内側に分けられてるんだろうな。分別して識別して、枠組みを作って整理するんだ。俺も内側だろうと美佳子にゃ言われたが、この分別癖がちと厄介な奴でよ」  注文した料理がテーブルに並び、志郎は箸を手に取り視線だけで翔馬と手鞠に食べるよう促した。  受け売りでしかない美佳子からの推測を述べる志郎は、翔馬の目からして存外悪い男ではないのかもしれない。昴のことになると目の色を変えるのは些か私情を持ち込み過ぎているだろうが、食えない美佳子の差し金だと思えば認めざる得なかった。 「なあ、なんで美佳子は昴を未だに雇う気で居るんだ?」 「彼奴はバイト兼用心棒だからだよ。腕っぷしが強ぇから、女の店員ばかり狙う悪質なセクハラ爺とか強盗、食い逃げとか諸々の下賤な奴らを懲らしめる役割がデカいからな」 「……未成年の餓鬼に何やらしてんだよ、あのクソ(アマ)」  接客業以外の余計な仕事内容に翔馬はすっかり冷え冷えと引いていた。美佳子の考え方は大概常人よりも斜め上に逸脱している。好ましくない部分よりかは反射的に本能が受け付けなかった。  ……まあ、俺も人の事は言えねぇけどな。  不味な話題に胃が凭れそうになったが、美味そうに頬張る手鞠の姿に一時の不快感は消え、改めて定食に箸をつけた。 「悔しいが、凄え美味ぇ……」 「何と戦ってる気で居たんだよ、クソ天パ」 「金持ちだからてっきりフォアグラとかフカヒレとか美味さがよく分かんねぇ物しか食ってねぇと」 「金持ちっつってもなァ……。実家が金あるだけで俺は普通に安価なチェーン店なり小汚い定食屋なりどこにでも行くぜ? まず、金持ちがそんなのばっかり食ってると思うなよ」  真っ当な正論に翔馬は敗北感しか感じていなかった。思わず押し黙り、既に気を許している手鞠のいつにない上機嫌ぶりに、一層深く志郎に対する苦手意識が刻み付けられた。 「宮盾はああ見えて正義感っつーのが根底にあるからな。まあ、ヤクザの抗争に巻き込まれて全員伸したのは有名な話だけどよ」 「一人でか?」 「いーや? いつもつるんでるダチと一緒にな。やれ拳銃の解体はするわ、醜態をネットで晒すわ、関節外されて戦闘不能になるわ、多勢がゴミのように一掃されるわ。酷え有様だったらしいぜ、笑えるレベルの」 「……どこでヤクザと繋がったんだよ」 「トラブルに巻き込まれ続けた時のフラグを回収した結果だとよ。全員ほぼ無傷でカッケェよな」  正当防衛の結果にしては暴力関係者の方々の被害が尋常でなかったのだろう。無傷で済んでいるのが異常性しか感じない。  だが、面白可笑しく笑っていた志郎は不意に憂いげに溜め息を漏らした。 「そんな奴にまた会えるとは思ってなかったんだよなァ。あの日よりも人間らしくなった。本当にそう思うよ」  憂鬱混じりに溢した思いの丈に、翔馬は咀嚼していた一切れのカツを飲み込み、口許を緩めて微苦笑を浮かべる。 「ヒロイン気取ってんじゃねぇよ、気持ち悪ぃ」 「あァ!?」  これまでは沈静化していた戦いの火蓋が再び切られる。幻聴でしかないゴングが鳴った。やはり翔馬と志郎は互いに思う。仲良くしたくない、と。 「大人気(おとなげ)ない」  ぎゃあぎゃあと声を上げて罵り合いを開始した二人に対してぽつりと手鞠は嫌味を零し、精神的な賠償金としてデザートを追加で頼んだ。

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