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四時限目の授業を乗り越え、午前中の大半をサボりに費やしたのが仇 となったのか、同罪である筈の詩音と良太郎を除いて、担任である仙崎 に目の敵 とされている昴と秀吉、泰は、堅苦しく面倒な説教をくどくど連々と鋭利な飛礫 を無情に当てられ続けた小時間を先程職員室で終えたばかりだ。
関節を回して凝り固まった神経を呼び覚ます。小気味よく音が鳴り、じんわりとした微熱が滞る。
「あぁー……。貴重な昼休みを奪いやがって、あの陰険眼鏡」
「なんっで、いっつもいっつも私らばっかなのかねぇ!」
「俺はお前らと違ってテストの成績はいい筈なんだけどな」
「「日頃の行いが悪いからだろ 」」
さも当然と言い切る秀吉と泰の白けた眼差しに昴はぐっと言葉を飲み込んだ。言い返せないのも事実だ。無性に羞耻心が迫り上がってきたせいで黙りこくった。
飲料水を買う為に一階の自動販売機へ向かった手前、偶然なのか一人の少女が甘えたな猫撫で声で秀吉の名を呼びながら駆け寄ってきた。
「せんぱ〜い! 秀吉せんぱ〜い!」
「茅ヶ崎 」
艶のある茶髪のショートカットに黄色いカチューシャが印象的な一年生――茅ヶ崎寿々子 は野球部マネージャーであり、秀吉と泰の実質的な後輩に当たる少女だ。
「秀吉せんぱーい。今日は部活来ますかぁ?」
「あ、悪ぃ。今日は行かねぇや。放課後に練習メニュー渡すから、そこんところごめんな」
「えぇ〜! またですかぁ? もう、いい加減真面目に参加しないとぉ、部長が鬼さんになっちゃいますからねぇ?」
甘ったるい猫撫で声と合わせて身振り手振りにオーバーリアクションを交え、寿々子は熱の入ったアプローチの大きさが伺えた。
昴や泰は眼中にないらしく、恐ろしい温度差の違いを外野から眺める様子から、茶番に無理矢理付き合わされているのが否めなかった。
異性のぶりっ子は可愛いと思う。
だが、あざとさに置ける本質の明け透けさは、度が過ぎる程引いてしまう物だ。
寿々子の場合はまさにそれだ。その場合『ぶりっ子属性B型』としよう。純粋に異性へモテる作法を心得た『ぶりっ子属性A型』ならば、類まれなる手管で状況に応じた彼氏を配下に置く才能に恵まれ、反対に寿々子のような『ぶりっ子属性B型』は異性にはモテるが極端に同性に嫌われるタイプだった。
……露骨なんだよなぁ。
ハートがびたびたと飛び散る好きアピールに対しても、冷静な通常運転に高低差の激しさが際立ち、見ている側からすればシュールな光景だ。昴は泰と視線を交わし、そそくさと秀吉を置いて下の階に降りていった。
生徒が利用する昇降口と職員玄関の境目に並ぶ三台の自動販売機の内、端側にあるパックジュース専用の機械からカフェオレを購入する昴は、隣で備わったバリエーションに対して睨み合いを繰り広げる泰の気迫に呆れ返った。
「甘酒とお汁粉で迷ってるのか?」
「それもそうなんだけどさぁ……新商品入ってんのよ、これが」
「ああ、なる」
「ねぇ、お宮ー。ホットマスカットジンジャーエールとぷるるん強炭酸かぼすゼリーならどっちー?」
「間を取ってナタデココ入りのカルポス」
「ざんねーん! カルポスは品切れだぜ! なのでホットマスカットちゃんえぃらっしゃ〜い!」
異様な名称の飲料水が選択され、否応なく落下した。プラスチックから見える液体は半透明に偏りがちだが、生姜と思しい物質がさしずめスノードームのように浮遊と沈殿 を繰り返して舞っていた。
昴は再び自動販売機に硬貨を入れ、紙パックの緑茶を選択し、詩音と良太郎に心配されながら若干窶 れ気味の秀吉がひらりと手を挙げる。
「悪ぃ悪ぃ……。遅くなった」
「要領悪い所が出てるぞ、禿 」
緑茶を受け取った秀吉は言い返せない事実に言い淀 む。昴と泰のじとりと暗を含んだ酷な視線に冷や汗が一気に噴き出し、無謀にも秀吉は自分よりも背の低い詩音を盾にし出す。
「禿てねぇし、これ坊主だし」
「うっわ、隠れ切れてないわー。デカい図体で何やってんの、うっわぁ」
「ガチでドン引いてんじゃねぇ!」
集中砲火を浴びせられようとしている秀吉に対し、良太郎は侮蔑 の眼差しを向けつつコーヒー買い、困惑気味の詩音に労 いを込めてイチゴミルクを手渡した。
「西園氏。このヘタレの相手をした所で無駄な時間を食うだけなので、優しさは不要なのですよ」
「前々から気になってたんだけど、なんで松村君のことをヘタレって呼んでるの?」
「見た目に似合わず度胸無しなんですよ、この男は」
秀吉の脛 を蹴り上げながら、良太郎のほとほとに呆れ返った声が無情に響く。昴と泰も同様の表情を浮かべて頷き、揃って昇降口に歩みを進めた。
「口八丁手八丁、とは言うけど、まあその通りっちゃその通り」
「口は達者で人の懐に直ぐに入り込めるからコミュニティは広い癖に、手に負えない場合は既に作ってた逃げ道を活用する」
「ただし、異性に迫られると途端に日和 るんですよ。逃げ道作ろうにも自分じゃ作れず、昨年に色々ありましたから」
グサグサと容赦ない攻撃に秀吉は珍しく言い負かされている。先程の寿々子に対してもそうだが、千絵も含めて異性に対する応対の仕方が良くも悪くも下手だ。昔から染み付いた性 なのか、どうでもいいような内容でも話を聞く癖が抜け切れず、余計な問題を抱えがちだった。
器用貧乏とでも言えるのかもしれない。昴は内心で独り言ち、重量を伴った溜め息を吐き出した。
カフェオレにストローを差し、吸い上げながら歩調を緩めて秀吉達と若干の距離を開けて歩く昴は、人気のない屋外に漂う静けさに、久しく貪っていなかった平穏な時間の流れが身に沁 みた。
運動部に追い掛けられることもなくなり、無益な喧嘩を売られることもない。詩音と関わるようになってからパタリとなくなったような気がした。未だに物珍しそうな眼差しは校舎に入れば無作法に注がれ、マイナスの感情に分類されがちな視線の数々が刺々 しい。
変わった点はそれだけだった。昴は普遍 的にもなれない、だとしても相変わらず普通の枠組みから離れがちな生活環境に、どうしようもなく満ち足りた思いを募らせていた。
……何も変わらない、か。
変化は些細なことでしかない。昴は自己完結の元でプラスにもマイナスにも傾倒 し難 い現状を甘んじて受け入れた。
「でぇりゃあぁぁぁ! その首貰ったぁぁぁぁ――!!」
聞き慣れない瑞々しい少年の甲高い声が上空から降り落とされ、小さな影がコンクリートに淡く映し出された。
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