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 乾いた破砕(はさい)音と共に素手で握り潰された竹刀(しない)(たちま)木片(もくへん)と変わり、木っ端微塵となった残骸(ざんがい)がパラパラとコンクリートに落下した。  咄嗟(とっさ)()いていた左手で竹刀を砕いてしまったと、昴はゴミに成り果てた木片に申し訳無さを感じつつ、背後を振り返った。 「いっっ!」  派手に尻から着地をした小柄な男子生徒は、短い声で痛みに悲鳴を上げる。幼さが抜け切れない顔立ちをしていた。ネクタイの色は緑色で一年生であることが理解出来た。 「おーい、宮盾ー……って、誰だ? そのチビ」 「なんか竹刀振り落としてきたんだけど」 「だから咄嗟に手が出たって訳ー? どーすんの、これ。事務室から箒とちりとり借りてくる?」 「取り敢えず彼を保健室に運んだ方がいいのでは?」  さも普通のように話を続けている昴達に詩音は唖然(あぜん)としていた。背後に注意とは一体どのような意味だったのだろう。奇襲すら意味を成さなかった一年生に同情を覚えた。 「な、ななな! なんなんスかぁ! 首を取れば(かしら)も喜んでくれる筈なのに、そんなの反則じゃないッスかぁ!」 「悪いな。俺の首を取りたかったら鉄骨で脳味噌を潰すくらいの勢いがないと無理だ」 「ヒィィィ! グロいッスよ! 無理です無理ですぅ!」  盛大に泣き喚きながら縮こまる下級生の少年は、小動物を彷彿とさせる可愛らしい外見に似合わない逆立てた髪の毛が、まるで不良被れの小学生さながらだ。苛める気は起きないが、どうにも理由がありそうだった。  地べたに尻餅をついたままの少年に敵意がないことを示そうと、昴は手を差し出した。 「立てそうか? ほら、掴まれ」 「ゔぅぅ〜……」  号泣していたせいか鼻頭も真っ赤になり、おずおずと怯えた様子を崩さないまま昴の手を取り、軽々と立ち上がらせられた。  身長は想像通りに小柄だった。良太郎よりも少し低いのかもしれない。しゃくり上げながら止まらない涙の海に早々と溺れていた。 「彼のクラスは一年四組で、空手部所属の新入生ですよ。名前は豆塚(まめづか)柴吉(しばきち)」 「おー。説明ありがとうありがとう」 「ぅえ!? な、ななな! なんで知ってるんすかぁ!」  良太郎の情報は頼りになる。ほんの僅かな情報を口にした良太郎にすら少年――柴吉は激しく喫驚(きっきょう)し、更に二乗して怯え震え出した。  詩音はぽかんと間抜けに口を半開きにして立ち尽くし、泰の肩を叩いた。 「ねえ、泰ちゃん。椙野君ってあの子と知り合い……じゃないんだよね?」 「ん? ……ああ! そっか、にっしーは知らないんだったねー」  分かっていた風に詩音が流されていたことに、泰は今更気付いたのか、さらりと理由を口にした。 「ギノさんはね、全校生徒の名前と顔、在籍してるクラスと所属している部活動その他諸々記憶してるんだよ。教師陣も含めてねー。記憶力が滅茶苦茶良過ぎるんだよ、これが」  全校生徒の顔と名前を頭の中に入れる記憶力は相当な容量を使う。ましてや軽々と、さも当然のように語る泰の口ぶりからして、詩音を除いた四人にとって常識の範疇(はんちゅう)だった。  記憶力にもいくつか区分することは可能だが、恐ろしいことに平然としている昴達に対する規格外さが浮き彫りになるだけだ。詩音はリアクションすることも出来ずに固唾(かたず)を飲み込んだ。 「縮めると豆柴だな」 「ネタキャラみてぇな名前だな」 「てかさ、豆柴ってギノさんよりちっちゃくない?」  身長は160㎝の小柄で華奢な体躯の良太郎と比べても分かるように、僅かながら柴吉の方が数㎝程低い。不名誉(ふめいよ)極まりない発言を挟みつつ、良太郎の頭と柴吉の頭に両手を置きながら高さを確かめる泰は、ちらりと昴に視線を投げる。 「で、豆柴は俺に何の用なんだ?」 「ま、豆柴って言わないで欲しいッス!」 「豆柴は豆柴でいいだろ。面倒くさいから手短に頼む」  怯えがちに恐怖心から逆らうことすら叶わず、昴達から漂う得体の知れなさに柴吉は涙を浮かべたまま腰が引けていた。 「あの……そのう……」 「俺は別にお前を虐めたい訳じゃないから、そんなに怯えなくてもいいだろ?」  出来るだけ優しく諭すように言えば、意を決したのか、柴吉は眉をきっと釣り上げ、背伸びをしながら胸を張った。 「じ、自分! 頭の舎弟なんす!」 「頭……って誰だ?」 「み、御手洗(みたらい)番長ッス!」 「あー……。なんとなく分かったわ」  先程の良太郎の情報からして、柴吉が空手部に所属していることから、幽霊部員であるが希壱(きいち)も空手部に所属し、それらを踏まえた結果で目の前の彼が不良被れになったことを納得する。  希壱は現在休学という名目上で浄化屋の仕事をしている。  番長不在とはいえ藤代高校に在籍する素行(そこう)の悪い生徒は息を潜めつつあったが、平穏な日常は真当(まっとう)を取り戻すことはおろか、生まれたての子鹿のように震えている小動物が刺客(しかく)となったのだ。昴は拳を握る必要性が皆無な柴吉の姿勢に従って、敵意よりも怯えが勝っている姿に肩を竦めて笑った。 「俺を倒すには死んでからやり直した方が手っ取り早いぞ」 「死ん……!? そ、そんなことしなくたって、首を取って見せるッスよ! か、覚悟……」  間抜けな腹の虫が鳴き出した。意気込んで宣言をした柴吉の固い意思を無視する素直な空腹の音に、最初から最後まで締まりのない醜態を晒してしまったと、火が出る程に顔を真っ赤にし、自然と黙り込んでしまった。  微妙な空気が流れる中、泰は気休め程度に柴吉の肩を叩き、優しい笑顔を携えて自動販売機で購入した『ホットマスカットジンジャーエール』を手渡した。 「ほら、飲みな。坊主。なーんにも恥ずかしがるこたぁねぇ。男っちゅうのはそうやってデカくなるもんでさぁ」 「何キャラだよ、腐れパインヘッド」 「うっさい、腐れハゲ」  泰と秀吉は互いに程度の低い口論を交えながら、柴吉を慰めているらしい。見目だけならいい泰の柔らかな笑みに負けた柴吉は、優しさの産物と捉えてジュースを受け取り、迷わずキャップを開けた。  ――物の数十秒後。強烈かつ独特な味わいのジュースは見るも無残(むざん)吐瀉物(としゃぶつ)として地面に散り、小さな柴吉の身体は犯行後の事件現場に置き去りにされた被害者の亡骸(なきから)のように倒れていた。

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