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 ◇◇◇  春の大型連休に合わせて『白菊(しらぎく)舎棺(しゃかん)』から直々に(くだ)った長期任務に着手し、現在に至るまで二週間近い時の流れを過ぎていた。  浄化屋の仕事は普通の人間では対処が出来ない代物(しろもの)ばかりだ。生者と死者の境界に立ち、還れぬ魂を天界に昇華させ、時に人間としての在り方を失った異形を滅し、後世を(まわ)(めぐ)らせる為の選定(リサイクル)をする。  現世(げんせ)と呼ばれたこの地には、(けが)れが蔓延(はびこ)った異界に通じる『(ほころ)び』が例年違わず生まれる。  それは大小様々でありながらも、限りない異分子として現世を侵食し、安穏(あんのん)(さまた)げるそれを塞ぐ『封禊(ふうけい)()』を調律師が行うのが主な役割だ。  綻びを修復する調律師は魂魄(こんぱく)目視(もくし)出来る人間しか出来ない、限定された職務であり、それを全うするには戦術師を同伴しなければならないのが義務付けられている。  綻びを認知する能力の強さは戦術師自体皆無に等しい。それを補うべくして天律技師が作ったデータベースに基づいて仕事を務めなければならない。  だが、翔馬が設立した峰玉(ほうぎょく)は舎棺との接触よりも濃密な関係を持つ浄化屋が存在する。鳴鴉だ。虎太郎が作る正確性の高いマップを支給されるデバイスにダウンロードし、並大抵の天律技師よりも遥かに技術力があった。  だからといって底の見えない鳴鴉の人間を皆信用出来るかと問われれば、有り得ないと断言する。  日が傾き出した夕暮れ時に、高台から望む景色の移り変わりを眺め、眩しい光を浴びてオレンジに発色する前髪をさっと屋根の影に隠した。  ベンチに仰向けで倒れ、希壱はタブレットをテーブルに手放す。見知らぬ土地だったなら肩の力は抜けたのだろう。否、そうとは限らない事態が外で起きているのが問題だった。  携帯電話から着信音が鳴り響く。初期設定から変えたが、既に端末に入っていた物静かな着信音に、不思議と静穏(せいおん)から一転した怒りが勝った。 「……朝倉(あさくら)ァ」 『ははっ。友の声を聞けて嬉しいだろう? 君が既読(きどく)だけ残して返信を寄越さないのがいけないんじゃないかな?』  中、高と嫌になる腐れ縁で繋がってしまったのが朝倉瑞希という少女との関係性を色濃くしている。飄々とした薄く軽い口ぶりに見え隠れした高慢で傲慢(ごうまん)な振る舞いに、早々(はやばや)と希壱の短い導火線に火が灯った。  元来恐恐(こわごわ)とした顔の造形がより深く醜悪(しゅうあく)に歪め、憤怒(ふんぬ)に任せて携帯電話を握る右手に力が込められる。  瑞希は一般人の中でも奇天烈な感性を持ち合わせている。枠組みは所詮()()()一般人でしかない。おかしな能力もなければ、魂魄からなる病が齎す『異常者』でもない、極めて普通の人間。それが(かえ)って面倒を感じさせていた。 「シィはどうなんだよ」 『すっかり()()四人組に懐いているようだよ。いやはや、これはこれで面白くはないかな』 「女の醜い部分が出せねぇからか」 『ははっ。御手洗、君も言うじゃないか。君はどうなんだい? 出張という名のデートは楽しんでるんだろう?』 「仕事だ仕事。こっちは仕事で来てるんだよ」 『相変わらず短気だね。スピーカー越しに怒気がびんびん伝わってくるよ』 「……チッ。このブス女が」  神経を逆撫でする嘲笑混じりの高圧的な男口調が怒りを益々(あお)り立てる。詩音の前では気味が悪い程に女を出しているが、実際はあまりにも下卑(げひ)た性格を露わにしているのが瑞希だ。  詩音の鈍感さには心配事しか生まれない。聞きたくもない話題すらも平気で話す瑞希には、嫌でも希壱の憤怒を買うのだ。  ……ただな。  詩音が昴を浄化屋に引き入れたのは翔馬から聞いている。その昴が希壱にとって問題視しなければならない男だった。  素行不良とまでは行かない。かといって派手な目立ち方をするような外見でもなければ、意外と静かに教室の隅に居てもおかしくはない存在感。それを壊したのは存在感に不釣り合いな衝撃だ。去年の新入生歓迎会での一件を経て、一気に有名になったのは記憶に新しい。  だが、それだけなら良かった。昴という男は常人では計り知れない膨大な『何か』を飼っている男だからだ。(すなわ)ちそれはひとえに『怪物』や『化け物』と呼ばれる存在。希壱はその内側に居る『何か』が暴発するのではないかと危惧(きぐ)していた。 『君は外見に見合わず繊細で几帳面な男だよね』 「……何だよ、いきなり。朝倉が言うとキメェな」 『シィ君のことを心配するのは分かるけれど、新しい世界に踏み出せる機会を第三者が奪うのは頂けない。ただでさえ、シィ君はご両親の件を抱えたままなんだよ。変化を望まないといけないのは……』 「ウゼェ。それ以上言うな」  瑞希の声を遮り、感情の(たかぶ)りを抑え込もうと希壱はくしゃりと自身の髪を掴んだ。  ……俺は何も出来なかった。  兄貴分を自負しておきながら、最悪な結果を後々になって知った絶望感。あの日はまだ子供だった。時間が解決するには耐え難い期間を孤独にさせてきた。  詩音を見る度に苦しくなり、希壱は逃げた。同じ感情を抱く氷室(ひむろ)と共に逃げた。出張という言い訳を使って、小狡い真似をしたのだ。それ故に瑞希の説教は弱者に成り果てた自身の心根(こころね)に堪える。 『……御手洗。君は昴君の存在に怯えているのかな』 「……ちげぇ」 『突然現れた強大な力に君の外面とは似合わず内面は青褪め、ガタガタと震え出し、軟弱な精神は(ひる)みきっているのさ。確かに彼はそんじょそこらの人間とは異なる。異常、というより存在自体が異質なのかも知れない。まあ、これはただの私の戯言(たわごと)だから聞き流してくれても構わないよ』  虚言(きょげん)を真に受ける程に瑞希の信憑性を帯びた推測は、嫌に希壱の神経を過敏に突き刺した。刺激性のある薬品にしてやられたような気分だ。  言い得て妙とはよく言える。希壱は言い返す気力もなく瑞希の愉快に浮ついた声音を黙って聞いていた。 「……シィは楽しそうに笑ってんのか」 『ははっ。応ともさ。今日は松村君のお宅でご馳走になるらしいよ。下校ついでに買い出し中の動画やら写真が送られてくるんだけれど、いやはやあそこまで懐くのも珍しい』 「語気が醜悪さを増してんぞ、ブス」 『デートが敵わない状況が出来た私の気持ちが君に分かるのかな? どうせ景観のいい別荘や高級ホテルのスウィートルーム、室内温泉完備の旅館にでも泊まってるんだろう? 取り敢えず死んでくれ。今すぐ腹上死……』  無情に通話を切り、意味深な声音で語っていた瑞希の真意がただの薄っぺらい八つ当たりに過ぎなかったのを、憤怒を超えて冷え冷えと冷静になった。  待受画面に映る峰玉のメンバーを見て、希壱は口元を微かに歪める。どこか笑っているようで、どこか泣き出しそうな、形容し難い複雑めいた感情を表に浮き出し、打ち消すように画面を暗くした。 「――イッちゃん。帰ろっか」  柔らかさから滲んだ繊細めいた声が掛けられ、ゆっくりと希壱は上体を起こし、ベンチから降りた。  浄化屋は世捨て人と言った人間も居る。事実上、境界線に立つとは正しくそれだった。目に見えない世界を真実とし、道を踏み外す。世の理から隔絶(かくぜつ)された世界に身を投じるのは総じて善悪の区別がない世界に降り立ったことも示唆(しさ)する。  ――自らを正義と(かか)げる化け物に変わりない。  日没まで残り時間も磨り減り、目に優しくない赤い閃光を焼き付け、希壱は迷い込んだ心を抱えたまま、普段通りの気難しそうに(しか)められた顔に戻した。

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