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◇◇◇
商店街を抜けて通い慣れた住宅地を進むこと十五分弱。赤い夕焼け空は紺碧 に染まり、金色の輝きを次第に闇へと移り変え、ビニール袋に入った日用品や食料品が入ったエコバッグを抱えながら、昴達は秀吉の自宅に足を運んだ。
庭付きの二階建てだけなら存外変わった点はない。簡易的に作られたテニスのコートや、出したまま放置されたテニスボールが庭に置かれたプランターの隅に転がっている。
秀吉が玄関を開いた瞬間、どたどたと忙 しない足音が近付いてきた。
「ただいまー」
「あーにじゃー! お帰りなさいませー!」
温度差の激しい溌剌 とした少女の声が響き渡った。詩音はぱちくりと瞬きを繰り返したまま、首を傾げる。
「あ、兄者……?」
一風変わった呼び名に驚きを隠せなかったが、ひょっこりと顔を覗かせる愛らしい顔立ちの少女は物珍しげに詩音を凝視した。
「その後ろに居る殿方はどちら様ですか?」
「顔だけならいい王子様だよ。興味あんのはいいけどさっさと中に入れろ」
「ふぉぉぉ! 昴殿! 昴殿ではありませぬかぁ!」
「……拳骨するぞ。いい加減玄関塞いでんじゃねぇ」
低く唸るように一喝すれば、少女は天真爛漫を絵に描いた上機嫌さを崩さずに、秀吉が持っているエコバッグを受け取り、抱えながら再びドタドタと走り去っていった。
秀吉は溜め息一つつき、来客用のスリッパを四人分出して苦笑を見せる。
「騒がしい妹でごめんなー。遠慮しないであがっていってく……」
「おっ邪魔しまーす!」
「プリン食おうぜ、プリン」
「僕は生クリームがあるのが」
秀吉が言い切る前に我先にと昴達はスリッパを履いた途端に遠慮の欠片 もなくすっ飛んで行った。
呆気にとられた詩音は不躾極まりない態度の昴達の変化に理解が追い付かなかった。
「なあ、西園」
「は、はい!」
「お前は彼奴等を見習うなよ。いいな」
有無を言わさず圧力のかかった秀吉の表情は、あまりにもどす黒く染まっていた。恐ろしさに詩音は首が折れんばかりに頷き、そろりと静かな声で「お邪魔しまーす」と口にしながら中に入った。
リビングに足を踏み入れてから感じたのは、七匹に及ぶ猫の楽園だった。猫の玩具だけでも種類は豊富で、キャットタワーやらクッション素材のベッドなどそこだけが綺麗に成り立って存在していた。
既にキッチンの冷蔵庫や戸棚を漁っていた昴達は各々と菓子をローテーブルに広げ、五人分のグラスに烏龍茶を注いでいる。用意周到というより秀吉の家に置いてある、ありとあらゆる物を熟知していることからなる勝手さだ。
……ただ、まあ。
買い物の品々は既に片付いているのも入り浸りが慣れたせいか、秀吉が激昂 することはなかったらしい。
「ヌァーゴ」
「うわっ」
詩音の足元に擦り寄って来たのは毛足の長い肥満体型の猫だった。可愛げの欠片もない高飛車そうな目付きをしており、悠然とした態度の大きさが伺えた。
「その子は淀殿 なのです。松村氏のお宅では首領 を張っている年長者のお姫様ですよ」
「そうなんだ……」
ソファに座ったのと同時に良太郎の側にわらわらと猫が集まり、淀殿以外は媚 び諂 い、猫撫で声で甘えている。態度の変化に驚くのも疲れ、でっぷりと肥えた体型が目立つ淀殿に促される形で詩音はクッションに座り、ずっしりとした重みが膝に伸し掛かられながら触り心地のいい毛を撫でた。
「おおっ。これ、まだ観てなかった映画じゃん!」
「あー、これか。色々あって映画館じゃ観れなかったよなぁ」
「濡れ場がエロいって評判はいいしねー。いやぁ、やっぱ時代物は濡れ場ないと駄目っしょ」
「殺陣 も悪くないだろ。今時のは変にカメラ寄せたり、余計な演出で誤魔化したり」
「よっしゃ。んじゃ、早速鑑賞しましょうかね」
最近リリースしたばかりのDVDを早々とデッキに挿入し、昴と泰は揃いも揃って正座をしながらテレビ画面を食い入るように見ている。開封済みなことから既に家主は映画を見たことだろう。
詩音はぼんやりとそう思っていたが、背後から突き刺す殺気に似た視線に背筋がひやりと凍った。
「椙野ー。飯作んの手伝ってくんねぇかー」
「手が離せないので無理なのです」
「猫じゃらしを持つ手を離せば済む話だろうが」
「……はーい」
落胆 しきった態度すらも顕著 に力関係を表しているようだ。良太郎は渋る素振りを見せつつも、容易く降参して秀吉の待つキッチンに向かっていった。
猫は多くとも、清掃の行き届いたリビングは至って綺麗だ。自由気儘な猫とはよく言うが、躾でもされているかのように猫達は揃ってリビングにしか居らず、キッチンに行くことはしない。珍しい光景に思えたが、言い難い力量差でも出来ているのかもしれない。
注がれた烏龍茶に口を付け、詩音は猫よりも自由奔放極まりない昴達を眺めながら、慣れない他人の家に若干、否、かなりそわそわと安定しない浮ついた気持ちを抱いていた。
だが、それすらも打破 しようとする視線が注がれる。暇を持て余した猫ではなく、先程の少女の視線だった。
詩音はゆっくりと視線が向けられる方向を向き、うずうずと落ち着かないのか、目を爛々と輝かせるポニーテールの少女と目が合った。可愛らしい顔立ちは例えるなら女児向けアニメのヒロインさながらだ。
「えーと……は、はじめまして?」
「お初にお目にかかります!」
嬉々 と顔を輝かせながら、少女は詩音と向かい合うように正座をし、床に三指 をつけて頭 を垂れる。綺麗な所作とまでは行かないが、それは彼女から発せられる元気溌剌な眩しい輝きが成した物だ。
詩音も真似るようにお辞儀をしたが、彼女はポニーテールを激しく揺らして頭を上げる。その様子は暴れ馬を彷彿とさせた。有り余った張りのある覇気に心なしか詩音は怖じ気づいていた。
「私立鷹ノ嶺 学園中等部二年一組在籍! 硬式テニス部に所属しております! 松村篤 と申します! 以後、お見知り置きを!」
「は、はい! お、俺は西園詩音です! えと、お兄さんのクラスメイトで、が、学校では大変お世話になっております!」
釣られる形で声を張り上げてしまい、言い終えて詩音の顔は熱を帯びる。羞耻心とは遅れてやってくるものらしい。火照 る頬を両手で押さえながら、煌々 と眩しい篤を恐る恐る見る。
……って、あれ?
「鷹ノ嶺って、一流アスリートばかりが出てる名門中の名門じゃ……?」
「左様です! お父上がかつて通っていた学園に私も幼少の頃から現在に至るまで鍛錬を怠 らず、且 つ武士道の精神の基でご学友と切磋琢磨しながら生活しております!」
輝きを増す篤の溌剌とした覇気に、無意識に詩音は後退りし、淀殿の嘲り笑うような視線を浴びる。
「あれ? じゃあ、お兄さんは……」
料理に励む大きな背中を見て、何故秀吉が近場の、それも目立った要素もない公立の高校に通っているのか不思議でしかない。彼は野球部のエースと表向きではなっているが、実際は監督やコーチすら懐柔 した実質的な指導者だ。
緩慢な動作で振り向いた泰は、茶化 すように笑いを含んだ表情を浮かべている。
「あー。言ってなかったっけ。まっつんね、中等部までそこに通ってたけど、藤代 の特待生にスカウトされたのを切欠で外部入学したんよー」
「え……初耳だよ、それ」
「因みにお宮とギノさんも特待生ねー」
あっさりと常識論のように明かした泰は、再度テレビ画面に向き直り、映画の内容に集中し出した。
藤代高校には特待生制度という物が存在している。表向きでは明かされない、言わば都市伝説のような噂話だ。事実、特待生に選ばれた生徒は学校関係者でも理事長と校長しか知らない、極々一部の人間にしか情報の共有がされない。
特待生制度は謂わばスカウト。秀吉のように一貫校からの引き抜きを可能とし、契約書という名の紙切れ一枚による交渉で済む。それを行い、取り仕切るのが理事長である黒石 桂樹 だ。
……ただ、あれだな。
昴達が泰に対して気を許していることは理解出来た。詩音は未だに見えない関連性が何なのか、辿り着くには時間がもう少しだけ欲しいと思った。
「兄者が昴殿や良太郎殿、泰殿以外を招かれるとは。いやはや、詩音殿には敬意を払わねばなりませぬ」
「珍しいって、他の人とか呼ばないの? 友達多いのに?」
「兄者は真に認めたお人以外は招かないんです。兄者は思慮 深く、用心深い人柄故に、自らが招待した害の無い人間のみ快く迎え入れるんですよ」
先程までの明朗さは息を潜め、真剣めいた面持ちの篤は、いとも容易く交友関係の広さを否定し、言い難そうに口をもごつかせたかと思えば、いそいそと立ち上がって昴の隣に移動した。
表面的には人気者らしく振る舞っているだけなのだろう。実情はあまりにもシビアだ。詩音は膝元で高慢に尻尾を揺らす淀殿の腹肉を触りながら、揺蕩 う孤独の瘴気 に親近感を覚えずには居られなかった。
……もしかすると。
辿り着いた解答は正しいのか。答え合わせをするようにも、口にしてしまえば終わりを迎えそうだと詩音はそっと目を閉じた。
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