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 ◇◇◇  四人家族の家庭にしては広々とした幅広いダイニングテーブルは、親戚筋や両親の仕事仲間、道場の門下生を招くこともあってか6人分の食事など余裕で置ける。  時刻は既に七時になろうとしていた。白いテーブルクロスが目を引くダイニングテーブルには、人数分のキッチンラグが向かい合わせに三枚並び、中央には必要最低限の調味料が置かれ、出来たての食事が寸分違わず配置される。 「おっほ〜う。美味そうじゃ〜ん」  子供のようにパタパタと篤と共に駆けて行った泰は、付け合せのトマトを我先にと摘んでは、口に放り込んだ。 「きーさーらーぎー」 「うぐ、いったぁ……」  軽く泰の頭を小突いた秀吉は酷く呆れ果てた表情をしている。 「篤の教育上悪いから立って食うんじゃねぇって何度言ったら分かるんだよ」 「ほらほら、腹が減ったら(いくさ)は出来ぬっていうじゃん」 「お前は一体どんだけ食えば満腹になんだよ」 「こし餡の饅頭(まんじゅう)とつぶ餡の饅頭合わせて一ヶ月分くらい?」 「……一ヶ月分が分かんねぇわ。聞いただけで胃がムカムカすんなぁ」  自由奔放な気儘(きまま)っぷりは常人なら振り回されがちだが、日常的な普遍性のある会話に変えて目の前で繰り返させられる。どことなく恋人のような近距離さがあるせいか、秀吉と泰の二人には不名誉な噂ばかり尾ひれを付けているのが事実だった。 「千絵ちゃんが勘違いするのも分かるかもなぁ……。これで付き合ってないんだもんね、松村君と泰ちゃんって」  詩音はどこか釈然としない様子だが、甘い雰囲気になる気配は全くないから納得する。 「松村にも好みはあるからな。如月はこう見えて彼氏持ち」 「いや、それは言っちゃいけないぜぇ、お宮さん。私には彼氏なんてもんは居ませんって。あれはただのヤリ目目的の息をするだけでダイオキシンを撒き散らす汚水(おすい)垂れ流しクズ野郎……いっだぁ!」 「今から食事という時に下品極まりない言動を連々と並べ立てるな、なのです」 「……脛は、脛だけはやめてけろぉ……」  容赦の欠片もない脛蹴りを良太郎にお見舞いされ、訪れた激痛に泰は堪らず蹲った。  幸い篤はこの場から離れていたお陰か教育上悪い下品な単語を覚えずに済んだらしい。秀吉の叱責はなかった。 「それって彼氏じゃないんじゃ……?」 「面白半分に後先考えずに軽い返事をした如月が悪いんだけどな。あれは相当な下衆(ゲス)だよ。別れたつもりが悪質なストーカーに成り果てた会話不能の宇宙人に進化したんだよ、これが」 「怖い! 楽しそうに話す内容じゃなくない!?」  傑作と言わんばかりに愉快さを隠しもせず笑いながら語る昴の姿に、言い知れない恐怖を詩音は覚える。比較的常識人だと思っていたが、階段で話した後から少しずつ砕け始めているらしい。秀吉達は慣れた様子で軽く流していた。 「どれだけ締め上げても立ち上がってくるんだよ。真性のマゾかと思ったな」 「宮盾氏相手に生まれたての子鹿みたいに震えながら負け犬根性で無様に吠え散らかすんですよ」 「やらかした回数は三回だったか? 宮盾は容赦ねぇからなぁ」 「そん時の動画と写真なら携帯にあるんだけど、にっしー見る?」 「……ごめん。なんか勇気いるかも」  節々と感じさせる恐恐とした本性は凶悪性を帯びており、改めて四人組がこれまで藤咲市内を震源地に起こしてきた伝説を思い返した。  ……キィ君が知ったらややこしくなるかも。  自分を過剰に心配してくる希壱の顔を思い浮かべながら、詩音は苦し紛れに呟いた。  ……四人と仲良くなれたらいいんだけどな。  口にはせずとも中々厄介な問題に、詩音は初めて頭痛を覚えた。 「常識ってなんだっけ」 「常識は知ってるからこそ非常識が出来る。これが俺達の信条だな」 「僕を含めないで欲しいのですが……」  じとりと昴を睨みつける良太郎は、観念したかのように溜息混じりに軽く流し、手早く配膳を済ませようと一人動いていた。  溌剌とした篤の声が玄関口から響き渡ってくる。それを合図に掛け時計をちらりと見た秀吉は、悩ましさを隠しもせずにボソリと「早いな」と呟く。 「(ひで)く〜ん。ただいまぁ。ママ、お腹空いたよ〜……」  フォーマルなジャケットを脱ぎ捨てながら、甘え腐った口調を崩さずに、小綺麗な顔立ちの美女がリビングに入ってきた。理知的な眼鏡とはアンバランスなふやけた空気感が妙に場からは浮いていた。  どこかで見た記憶のある女性だ。詩音はどかりとソファに飛び込んだ女性を凝視しながら、思い出したように声を上げた。 「テレビの人だ……!」 「ん? おやおや? 秀君の新しいお友達かな?」  ズレた眼鏡を上に上げて定位置に着かせながら、惚けた調子で女性――松村成実は詩音に気付く。  歴史評論家とも呼ばれる彼女は普段は有名大学にて教授を務めており、実際は滅多にメディア露出はしないが、クイズ番組の解説や歴史ミステリー特番などと限定された番組に多く出ており、個性的なキャラクターとは真逆な美貌で巷では有名人だ。  テレビの人と無意識に口走ってしまったが、気にも留めない成実はにへらと子供じみた笑みを浮かべ、ひらひらと両手を振った。 「うちのお兄ちゃんがいつもお世話になってま〜す。今後とも松村家をご贔屓(ひいき)に〜」 「……テレビで見るよりも緩いね」  年相応には見えない幼稚(ようち)な表情と纏う空気感に詩音はたじろいだ。昴と良太郎、泰は慣れているせいか妙に優しい笑みで「相手にしたら負けだぞ」と無言の圧力を詩音に掛けている。 「ひーでーくーん。今日のご飯ってハンバーグ?」  おもむろに身に着けていたブラウスやストッキングなどを脱ぎ散らかし、素足を投げ出しながらごろごろと絨毯の上に転がりながら、偶然側に居た三毛猫の鈴鹿御前(すずかごぜん)に顔を押し付けて、体臭を嗅ぎつつ柔らかな猫毛に気持ち良さげに吐息を漏らす。  つい先程までは躾られたように利口だった猫の組織は、淀殿を筆頭に巨悪な敵を前にした戦士のように激しく威嚇(いかく)をしている。鈴鹿御前は生贄(いけにえ)となったのだ。そう言わずにして成実という女性は、あまりにも怠惰(たいだ)性分(しょうぶん)が逸脱していた。  昴と良太郎、泰は既にテーブルに着いており、篤も遅れてやって来ては泰の隣に座った。  昴は真ん中の椅子を引き、詩音に座るよう促した。 「西園。気にしたら負けだぞ。気にしないで食べるが吉だ」 「で、でも……」 「特大の雷が落ちるのは目前だってことだよ」  稀に見る呆れ顔の昴は立ち尽くしたまま無言の秀吉をちらりと流し見て、詩音に座るよう再度促すように椅子の背を叩いた。  詩音はおずおずと席に着き、居心地悪そうに俯く。 「では、皆様お手を合わせてくだされ!」  明るい篤の掛け声に従うよう手を合わせる。 「いただきます!」 「「「いただきまーす」」」 「い、いただきます」  久しく誰かと食卓を囲むことも減っていたせいか、多勢での賑わった声に詩音は若干気圧されたが、周りに気を留めることもせずに食べ始めた昴達の姿に少しだけ緊張が解れる。  詩音がようやく安らげた矢先だった。成実が帰宅したのと同時に導火線は着火されていたのが遂に()ぜる。 「おーふーくーろー……」  普段の温厚さからは聞いたこともない低く唸るような地を這う怒声が、秀吉の口から絞り出される。思わずヒクリと詩音の肩は跳ねた。  ……え、なんかヤバいみたいなんだけど。  噴火寸前の山は一瞬静かな気配を醸すこともある。それは激しい怒りを一度仕舞込み、軽い安堵を覚えさせる為の常套(じょうとう)手段だ。  ――それが今起きようとしていた。 「何度言わせたら分かんだよ、こんの大馬鹿はぁ! 客が居る前で、しかも飯の時にゴロゴロしてんじゃねぇ!」  家全体に響き渡る怒声は激しい憤怒を帯び、一瞬沈黙が訪れる。  昴達の箸は僅かに止まり、篤は冷や汗を若干かいていた。  秀吉による説教の時間が始まりを告げる。そうなれば外野の声は聞こえない。 「成実さんも懲りないよな」 「母上はそういう御方故、治る物は治りませぬ」 「聞いていた帰宅時間と異なったのが大きいのでしょう。連絡するよりも先に空腹が勝ったのでしょうね」 「成実さんもそうだけどさぁ、まっつんも飽きないよねー。まあ、導火線が短いから仕方ないっかぁ」  慣れているのが丸分かりな反応に詩音はちらりと昴達を一瞥してから、成実を振り返った。  外見だけなら最上、中身は最下。美女であることに変わりがない人妻だ。 「宮盾君と椙野君は動揺しなかったの?」 「俺の幼馴染が異性だから別になんともない」 「(はるか)お姉ちゃんが下着のままで彷徨(うろつ)く人なので、特には」 「……なんか、ごめん」 「今の発言で『DTが無闇やたらに発情及び女ならば見境なく欲情している』という偏見が西園にあるのがよーく分かった」 「腕のいい医者を知っているので、今すぐにでもその股にぶら下がった中古品の去勢手術が出来ますよ」 「だから、ごめんってば!」  目が笑っていない昴と良太郎の脅迫紛いな物騒発言に玉のあたりが縮こまった気がした。詩音は無意識に口走る物ではないと、女友達以外で初めて感じる危機感に少しだけ緊張とはまた違う感情に口角が上がった。

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