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 ◇◇◇  表向きは国家公務員で警察関係の職業。変に重圧感ばかり掛けてくる特殊部隊『神無月』の主任とは名ばかりの肩書きだ。勝家は白昼堂々と行われていた尋問とは言い難い『拷問』の映像を見ながら、深々と刻まれた眉間の皺を一層濃くした。  残業代もない異常者専門の部署で、上に言いように扱われる日々を長く過ごして来た物だった。仮眠休憩で出払っている部下達が心なしか寂しいと思いながら、未完成のまま作成が進む資料に手を伸ばした。 「……涼宮境、か」  用心深く、疑り深い息子である秀吉があっさりと内側に入れた少年――宮盾昴が生まれた工業都市だ。工業都市となった歴史は浅く、今よりも昔は神々の為の街であり、信仰を忘れないように様々な文化が根付いている美しい都だった。  先日解決したばかりの案件の一つである『歌うたいの合成獣(キメラ)』事件では、関わっているであろう研究者が事切れたように語ったのは『涼宮境市』に置ける表面的な話題のみで、尻切れトンボのように簡単に切り捨てられた駒であることを理解する。  ……裏に居る人間までは不明、か。 「……あー。今日の夕飯はハンバーグだったんだがなぁ」  栄養が偏りがちな食事ばかりを口にする仕事だ。食卓に出される温かな料理が恋しくなっても仕方がない。勝家はデスクに置いている写真立てに目をやり、弱々しく溜め息と共に吐き出した。  家族写真といっても、四人で撮ったのは秀吉が小学六年生で篤が小学三年生の頃で最後だった。それ以降は久しく家族で撮る機会もなく、中々長期休暇の時間も取れなかった。  ……秀吉の卒業式まで落ち着けるといいんだがな。  雑念を振り払うべく勝家は再び鳴鴉から提供された映像と向き合おうとした時、マナーモードにしていた携帯電話が小刻みに震え出す。  表示されている名前を見た勝家は、非人道的な音声で満たされている映像を止め、デスクトップに背を向けた。 『あっはは〜。成実ちゃんで〜す!』 「はは……。偉く酔っ払ってるな……」  四つ歳下の嫁である成実は、浮ついて酔っ払った様子で電話を寄越してきては、おかしな鼻歌交じりの機嫌の良さを惜しげもなく通話越しで披露している。耳元が擽ったいと勝家は苦笑しながら、すっかりアルコールで出来上がっている成実に「どうかしたか?」と優しく声を掛けた。 『んっふふ〜。ちょ〜っとね、いいことがあって〜』 「いいこと?」 『秀君がね〜。また新しい友達連れてきてくれて〜』 「へぇ。珍しいな」 『でねでね〜。なーんかね、前よりもすっご〜くいい顔するようになってー! もう、成実ちゃん嬉しくて嬉しくて堪らなくてね、パパにご報告したくて〜!』  成実が上機嫌な理由を知り、勝家は思わず顔を綻ばせる。変わりつつある子供の良い変化に喜ばない親は居ない。話だけを聞き入れながら、喜ばしい変わり様に凝り固まっていた表情は和らぎ、眉間の皺が解れていた。 『ほんっと〜に。昴君に出会ってからだよね〜。このまま少しずつ秀君の周りに人の輪が出来ていくといいな〜』 「……そうだな。俺もそう思うよ」  変化の切欠を作ったのが宮盾昴という少年だった。それは勝家だけでなく、成実もよく分かっており、多大なる恩を感じている。昴本人に言ったことはなかったが、無意識下に置ける行いならば無理に言う必要はない。  勝家は他愛もない会話を成実と交わしながら、悪くない夜を迎えられたと内心で一人ごち、通話を終わらせた。  携帯電話をデスクに置くのと同時に、無糖の缶コーヒーが置かれた。 「主任。お疲れ様です。奥さんとお話されてたんですねー」 「梅澤(うめざわ)……」  へらりと薄っぺらい笑みを浮かべた部下の梅澤十郎太(じゅうろうた)は、明らかに茶化すような口振りで『奥さん』を強調した。  十郎太は二十代半ばの若手だが、新人の頃から神無月に配属されている。そのせいもあってか、変に懐かれては松村家の内部事情に嫌に詳しい。 「秀吉君からの電話だったら仕事のことは垂れ流しですもんねー」 「……言い方が汚いな」  引き気味の表情のままプルタブを開け、コーヒーに口を付けた勝家は、軽い笑顔が板に付いている十郎太の脛を軽く足で小突いた。 「あ、そーいえば。秀吉君には木梨弘の案件について根深い部分まで報告するんですか?」 「いや、しない。というよりかは、する必要性が皆無だ」  苦いコーヒーを啜りながら、淡々と十郎太の問いに答え、勝家は短い溜め息を漏らす。 「こっちがしなくとも、うちの長男は既に行動を開始してるからな」 「……え。まさか、また去年の再来ですか?」 「あれはあれで面白味があったろう。あそこまで無様をたった四人の子供の前で晒す大人達も中々いないしな」 「……あのぉ。悪魔を付け足した方がいいかと」  言い難そうに口淀みながらも十郎太は青褪めた表情でデフォルトになっている薄ら笑い顔で勝家の擁護し難い発言に注釈を入れる。  あの子供ありてこの親あり。十郎太は内心でそう呟き、機密書類ばかり書かれたファイルの中から、妙に薄い一冊を棚から取り出した。 「彼って、一体何者なんでしょうかねー」 「ドSド鬼畜ド畜生」 「……否定はしませーん」 「従順過ぎる豚には興味がないと言ってたな」 「打ち負かしたヤクザに言う台詞じゃないですよねー」 「元を付けろ」 「はっははー。そうですねー」  腹の立つ薄ら笑いを貼り付けたまま、十郎太は神無月で処理をした『ヤクザ潰し』の一つである『愉快痛快な狂想曲(カプリチオ)』を娯楽文化でも見るような姿勢で確認し、機嫌が良さそうに鼻歌を奏でていた。  ◇◇◇  生活が変わることは珍しい物ではなく、生きている中で必ずしも起きる事象だ。子供であるなら尚更だ。学校の違いだけでもそれが顕著に出てもおかしくはない。  ならば、今現在の生活はどうか。風呂上がりにふと思い立った疑問を空に投げ掛けたまま、昴は暗い廊下を一人歩いていた。  衣食住が確約されている恵まれ過ぎた居候先に不満が生まれるのはおかしいと思うべきか、と無駄にだだっ広い屋敷に暮らすには手に余る住人の数に不可解さが残っても致し方ない。とはいえ、それが全ての不満として成り立つことはなかった。  所詮は同居という形の居候だ。家主の意思に背いた詮索はしない。昴は一つ溜め息をつきながら、これまた広々とした庭が望める縁側に出た。 「……どこも広いな」  ポツリと呟きながら、そっと瞼を伏せる。開けた家屋でまだ良かった。昴は呼吸のし易い空間に安堵を覚えながら、小さく嘆息する。  ひたり、と昴の足が止まる。縁側に腰を落ち着かせた手鞠が視界に映り込み、優しく包み込むような繊細な声で歌を口ずさんでいた。  聞き慣れない言語で紡がれる歌だ。  だが、聞き慣れない言語でも昴は()()()()があった。 「……あ、れ?」  頬を伝う温かな涙がはらはらと無意識に落ちていく。胸に広がる懐かしさは優しく昴を宥めるようで、手鞠の口ずさむ歌声に魂魄があるとされる場所が熱く迸った。 「……スバル?」  立ち尽くしたまま泣き出した昴に気付いた手鞠は、歌うのを止めて駆け寄ってくる。精巧な人形のような容姿だが、昴の手に触れてきた彼女の小さな掌には確かな温もりがある。無表情なのは変わらないが、心なしか不安げに蒼い双眸を揺らしていた。 「……ごめん。ははっ、男の癖に格好悪いなぁ」 「……どこか、痛い?」 「……うんん。どこも痛くはないよ。ただ、なんだか寂しい気持ちになっただけなんだ」  無表情なのに感情が表に出辛い手鞠の出で立ちは、どことなく昔の自分のようだと昴は形容した。  か弱そうな握力だが、手鞠なりの強い力で昴の手を握り締め、きゅっと小さな唇を引き結ぶ。何かを言いたげな眼差しを向けられ、昴は流れた涙を拭いながら、優しく微笑み、手鞠を抱き上げた。 「手鞠ちゃんは俺に何か聞きたいことでもあるのかな」 「……ん」 「嫌いになったりしないから、なんでも聞いてもいいよ。手鞠ちゃんの言葉で、急がせたりしないから、ゆっくりお話を聞かせて欲しいな」  かつての自分に語り掛けられた言葉と同じ台詞が口をつき、怖がらせないようにと優しい声音で手鞠に語り掛けた。手鞠は小さく頷きながら、言葉を探すように口を何度も開閉させ、俯かせた顔を上げた。 「……スバルは、一緒に暮らすの嫌?」 「嫌じゃないよ。ただ、不慣れなことだからびっくりしてばかりかな」 「……スバルは、なんで鍛えてるの?」 「強くなりたいから、っていうのは建前かな。最初は幼馴染のお父さんの影響だったんだけど、今じゃそうやって自分を強く見せたいっていう見栄なのかもしれないね」  出来るだけ噛み砕きながら手鞠の質問に答える昴は、ふとあることを思い出した。  ……そういえば、まともに喋る機会ってなかったっけ。  帰宅した頃には既に就寝時間であり、朝ですら長い会話も交わせない。昴は今更ながらも手鞠と向き合う時間が出来たのだと、不思議な気持ちを感じていた。 「……スバルは、何が好き?」 「趣味のことかな? ……そうだなぁ。ゲームなら昔からよくやってたよ」 「青いポーチに入ってるの……?」 「ははっ。そう、それ」 「ツキシロ、なんか引いてた。なんで?」 「手鞠ちゃんには早過ぎる物ばかり入ってたんじゃないかな」  他人の趣味嗜好について(さと)く反応されるのは珍しくはない。月銀が目にした物は大方それに当て嵌まった代物ばかりだったのだろう。  昴は不思議そうに好奇心で目を輝かせる手鞠に対して、形が明確にならない程度に(ぼか)しながら質問に応え、寝室に繋がる障子を開けた。  寝室に着くや否や、電気も点いていない暗がりをおどろおどろしく染め上げる月銀が、恨めしげに手鞠を抱いている昴に対して憎悪の籠もった眼差しで待ち構えていた。  血涙すら垂れ流しそうな血走った双眸がギラギラとしており、昴は「うわぁ」と明らかに引いていた。 「何やってんの、月銀さん」 「ツキシロ、気持ち悪い」 「ぐぅっ」  痛恨の一撃でも受けたのか、手鞠の容赦ない一言に胸を貫かれた月銀は、酷く項垂れている。  度を超えたリアクションはいつものことだが、特に気にする素振りも見せないまま昴は月銀を無視して手鞠をゆっくりと降ろした。  無言で追っ払うような目で手鞠は見ており、更に追い打ちを掛けられたせいか、みっともなく悲涙を流して月銀は彼女の布団の側から退いた。  八つ当たりでもするが如く昴は月銀に睨まれたが、痛くも痒くもないといった反応に更に涙を飲む。 「む、無視とは一体どんなご身分でいらっしゃるおつもりですか」 「明日も学校だからそろそろ寝たい気分かな」 「な、なんなんですか! 最初の頃はそこまで噛み付きもしなかったでしょう!」 「いや、出会い頭に無駄な小言でネチネチ煩く唾吐きつけてきたのは月銀さんの方だろ?」 「な、なんて酷い言い草……!」  相手にされずに癇癪を起こした子供のように月銀は、急にフランクな饒舌さに様変わりした昴が気に食わないらしい。元より遠慮して口数を減らしていたのは昴自身のせいだが、特に問題もなかっただろうと自己完結に至る。  既に三人分の布団が川の字で敷かれているのに少しだけ慣れた気がする。昴は布団の上に腰を落ち着かせて、ふっと口許を緩めた。 「いつもありがとう。月銀さん」 「へぁ……!? な、なんなんですか、気持ち悪い!」  面食らった顔とはこのことか。唐突に感謝を述べられ月銀は喫驚し、みるみるの内に赤面させ、恥ずかしげに顔を隠した。 「……思ったよりも悪くない生活、なのかもしれないな」  ぼそりと昴はそう呟き、久方ぶりに感じた人間の気配がする生活にまんざらでもない様子だった。  不思議そうに布団から顔を覗かせて自分を見上げている手鞠に、優しく笑いかけて昴は「寝ようか」と語り掛けた。

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