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第一章:蒼銀の魂魄

 世間では藤の見頃を迎えた五月某日。早咲きの藤が咲き誇る藤代高等学校(ふじしろこうとうがっこう)は、一時(いっとき)の大型連休が明けても華やかに枝垂(しだ)れていた。  春の暖かさが全身に染み渡る心地よい季節を迎えようにも、平穏(へいおん)とは程遠い喧騒(けんそう)が、安住(あんじゅう)の時間を引き裂く地獄の昼休みと変貌(へんぼう)を遂げていた。  二学年が過ごす校舎三階。生徒達の談笑を容易く消し去る怒声(どせい)混じりの熱烈アプローチが木霊(こだま)している。  サバンナの僻地(へきち)に放り込まれた人間の気持ちを覚えながら、二年生であることを伺える赤色のネクタイを結ぶ黒髪の男子生徒は、背後から多勢で迫り来る運動部から逃げていた。  四時限目の授業が終わるのと同時に運動部部長と副部長が道場破りの(ごと)く現れ、友人が作ったルートを元に走り出す。去年から始まった異種格闘技戦だ。野球部からの追手は友人の働きかけによってなくなったが、日増(ひま)しに人数が増えている気がしてならなかった。 「待てやゴルァァ! 宮盾(みやたて)ェ!」 「柔道部に入らねぇと殺すぞオラァ!」 「ちょ、もう(おど)しの域じゃないですかぁ!」  この世界に平凡な人生はなかった。少年――宮盾(すばる)は、外見だけなら人畜無害(じんちくむがい)そうでも、根っからのトラブル体質だった。外見とはいえ顔面偏差値のみで、体付きはがっしりとした厚い筋肉で覆われている。  体格だけで運動部に追われるなら誇らしい筈だ。  しかし、昴が運動部に追われることになった切欠(きっかけ)は、今思い返せば黒歴史として差し替えをしたい。  周りからの視線を気にも止めず、昴は東口の階段に向かって走り出す。鬼のような形相で迫り来る運動部の軍勢は昴の脚力に追いつかないらしく、距離は大きく開いていた。  階段が見えたのと同時に、昴は段差を下る訳でもなく器用に手摺りに足を乗せ、飛び出した。  遅れてきた運動部の群れは言葉を無くして軽やかに下に降りていく姿を見ていることだろう。内心で乾いた笑みを漏らしながら昴は一階の踊り場を着地点に定めた。  昴が着地をする寸前、視界に女子に囲まれながら歩いている少年と視線がかち合った。 「うわぁ!?」  上から落ちてきた昴を見て、少年は驚愕(きょうがく)し、尻餅をついた。  綺麗に着地を出来た昴だが、冷や汗が滝のように流れ、上から注がれる無数の鋭い視線を浴びながら、顔を上げられずに居た。 「……ちょっと。黙ってないで言うことくらいあるんじゃないの」 「……すみません。バッファローの群れから逃げてきました」 「ボケなのかマジなのか分からないんだけど」  恐る恐る顔を上げると、飛び込んでくるのは目に見えて分かるキラキラのエフェクトを(まと)う集団だった。(とげ)のある言い方をしている少女は華やかな外見が特徴的な今風の清楚(せいそ)ギャル。昴の目の前に率先して立っているせいか、(ひざまず)いた状態の昴が顔を上げると、立派に(はぐく)まれた胸にしか目線が行かなかった。 「絶景……」 「は、はあ!?」  思わず漏らしてしまった本音に昴は慌てて口を隠した。高校二年生になっても彼女はおろか童貞を卒業出来ていない昴からすれば、外見の好みは異なっても、清楚ギャルの胸はご馳走そのものだ。  だが、如何(いかん)せん無意識に飛び出した本音はお世辞にも綺麗な物ではなかった。昴はわざとらしくへらへらとした愛想(あいそ)笑いを浮かべ、後ろに後退った。  ハーレムの中心に居た少年が昴を見ていた。誰もが見てもイケメンなクラスメイトであることに気付き、昴は顔面を蒼白(そうはく)にした。  ただならぬ微妙な空気を変える声が割って入ってくる。 「おーっと。ごめんなぁ、西園(にしぞの)。うちの宮盾が敵対勢力に追われてただけだから、こればかりは全く悪気はないんだよ」  背が高くガタイのいい坊主頭の少年――松村(まつむら)秀吉(ひでよし)が、からからと豪快(ごうかい)笑いながら現れる。後ろには小柄で華奢(きゃしゃ)体躯(たいく)の、瓶底眼鏡を掛けた少年――椙野(すぎの)良太郎(りょうたろう)がひょっこりと顔を出して、静かに会釈(えしゃく)をした。  秀吉は親しげに『西園』と呼んだ少年の前に歩み寄っては、スラックスのポケットに入れていた小さな箱を手渡した。 「これに免じて、うちの宮盾の非礼を許してくれよ」 「べ、別に俺は怒ってないよ……?」 「なら、安心した。まあ、これは俺からの餞別(せんべつ)だからな。取り敢えず受け取れよ」  手渡された小さな箱を見た瞬間、突然子供のように目を輝かせる。隣に寄り添うように立っていたゆるふわ系美少女は「詩音(しおん)君?」と不思議そうに名前を呼んだ。 「わぁー! コスモレンジャーだ、コスモレンジャー! ありがとう、松村君!」  イケメン顔から似合わない単語に昴と良太郎は拍子抜けした表情を互いに浮かべ、小声で話し合った。 「……なあ、なんかの間違いじゃないよな」 「……松村氏の見立てだから間違いではないのです」 「……はは。だよな」  小柄な体躯に見合ったショタ声が耳を(くすぐ)る度に昴はむず(がゆ)い気持ちを幾度となく抱く。二人の友人が現れたことは不思議なことではないにしろ、詩音達の注目が秀吉に移ったことに安心し、良太郎と共にそそくさと退場した。

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