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大手ファミレスチェーン店『フォルティシモ』の姉妹店第一号店『グラスホッパー』は、誕生から日は浅くとも、客足は途絶えることを知らずに常に盛況 している。一号店といっても風変わりな女店長――筒地 美佳子 は、若年ながらも圧倒的なカリスマ性で周囲の人間から支持されているというのに、店舗を拡大する気が更々ない上司だ。
去年の秋頃に三ヶ月働いていたコンビニのアルバイトを理不尽な理由でクビにされ、途方 に暮れていた所を、偶然アルバイト募集のビラ配りをしていた同い年の少女――鈴崎 若葉 と出会ったのが切欠だった。
木枯 らしが吹き荒 ぶ寒空の下、白と黒を基調としたウェイトレス姿でビラ配りをしている若葉にちょっかいを掛けているチャラ男属性を有した不良を殴ったのが正しい始まりなことを、振り返る度に今に至るまで外れクジを引いた気分にもなった。
……今が正にそうだよ。
更衣室で着替えている最中に浴びせられる視線に、身を震えさせる悍 ましさと身の危険のダブルパンチが暴力的に当たり散らされる。
更衣室の奥に置かれたパイプ椅子で煙草を蒸 す金髪の男――間中志郎 は、舐めるように昴の身体を見ているのが、昴にとって胃の辺りがキリキリと痛くなってしまう原因だ。
かつては藤咲市を中心に名を馳せた不良チームの初代総長らしい。美佳子曰く、料理の腕だけならいいボンクラ息子だそうだ。外国にも進出しているホテルグループの会長を父に持ち、二人の兄が経営を支えているらしく、三兄弟の末っ子で、やりたい放題の人生を謳歌していた志郎は国内一の調理師専門学校を卒業した後、愉快痛快な無職生活を送っていたと聞いている。
友人達も含め、設定を盛り込み過ぎた人間に囲まれている現在進行形を打開 する方法は存在しない。
「あー。いつ見てもいい身体してんなぁ」
「うお!?」
背後に回っていた志郎の男らしい手が昴の腰を鷲掴みする。隆起 した筋肉のラインを確認するように指を滑 らせ、息が掛かる程の距離で近付き、厭 らしい吐息を吐き出す。
ただならぬ汗と共に全身が得体の知れない恐怖で震えた。覆い被さるように密着してくる志郎が獲物を見付けた獅子の眼差しを注ぎ、昴の耳元で囁く。
「なあ、宮盾ェ。さっさと食わせろよ」
「ど、どこを……」
「お前の童貞ちんぽ」
昴の股間を黒いスラックス越しに触りながら、アマチュアが描いたエロ同人みたいな台詞 を平気な顔をして吐く。誘っているのか、わざとらしく下半身を擦り付けてくる仕草 が強面の外見とミスマッチ過ぎて、早々に脳味噌のあらゆる回線が焼き切れ、ショートを起こす寸前に達していた。
「なぁ。お前さ、ああいう女なら抜けるのか?」
「な、何ですか急に……」
「この前駅近のレンタルショップでお前がダチと一緒にAV借りてる所見たんだよ。愛園 ミクルっていうのか。清楚ビッチだろ」
「俺の性癖をばら撒かないでくれません!?」
「『ミクルのミルク☆チャレンジ』シリーズ最新作の教師物だったな」
「あ――! やめてくれぇ――!」
悪びれもなく昴の性癖と下事情を暴露していく志郎は正に悪魔のような男だ。昴が好きなセクシー女優すら熟知している志郎の目の奥がギラギラと輝きを一層深く増していた。
「間中さんなら言い寄ってくる女性がごまんと居るじゃないですか」
「学生ん時ならセフレ侍 らせてチームの皆で乱交パーティーやったもんだよ」
「エロ同人みたいな展開要らないですからね!?」
「あー。懐かしかったな、あの頃は。あの時の俺は若かった」
「マジな話だった! マジでやってたよ、この人……!」
ドヤ顔で自慢出来るような内容ではない下品な思い出を語る志郎を、昴は無理矢理引き剥がす。自分より大きな相手だろうと、昴からすれば軽い物に感じる。簡単に引き剥がされたことに志郎は驚いているようだが、一瞬で興奮しきった顔に変え、舌なめずりをしていた。
志郎とは異なる熱視線とけたたましいシャッター音が荒れ狂った。昴は壁に身を隠しながらも隠れ切れていないツインテールの少女を発見した。
「立花 さん。何してるんだ……?」
「ふわわ! 見つかっちゃいましたぁ〜! スーさん先輩流石ですよ〜!」
ホイップクリームのようにふんわりとしたツインテールを跳ねさせながら、立花胡桃 は大きな目を輝かせ、弾んだ足取りで昴の元に駆け寄ってくる。
昴は白いワイシャツのボタンを留めながら、嬉々 とした表情で待っているチワワ を呆れたように見下ろした。
「いやぁ〜。やっぱりスーさん先輩×シロちゃん先輩のカップリングは流石 ですよぉ〜。今日もゴチになりました〜」
「……嫌々。消してくれよ」
「エロスな元ヤンシェフなんて美味し過ぎますよ〜! やはり、時代は体格差! 年下攻めなら尚至高! これをおかずに白米三合余裕です!」
「立花さんは少食だから三杯で十分じゃないかな……」
「うぐぐ! ピンポイントで弱点を突かないでくださいよ〜!」
目を潤ませながら一人騒がしい胡桃は、歳の割に育ちのいい胸を揺らしながらハムスターのように頬を膨らませている。良太郎と同様に棘がなければ丸すぎるせいで、全く恐ろしくなかった。
若葉の幼馴染に当たる胡桃は高校に進学したのと同時にグラスホッパーでアルバイトを始めた。とはいえ、若葉よりも先に胡桃と出会っていた昴からすれば、早過ぎた再会を四月に経験したばかりだった。
昴は腐敗しきった妄想を繰り広げている胡桃の顔色がいいことを知り、思わず笑みが溢れてしまった。
「立花さん。翼 君は元気?」
「元気があり余ってるくらいですよ〜。今じゃ道場に通うのが楽しくて堪らないみたいで。最初はヨシヨシ先輩宅にお世話になっちゃうのが申し訳なかったんですけど……」
苦笑しながらも姉の顔を覗かせ、胡桃は安堵しきっていた。
小学三年生の弟を母親代わりとして共に生活している胡桃の家庭事情について、第三者でしかない昴は詳しく知らない。世話焼きが働いた秀吉の計 らいで、彼の父親が開いている道場の門下生となり、無償で食事や居場所を立花姉弟に提供している。
経緯は稽古を見ていた翼を偶々昴が見つけ、逃げようとしていた翼を足止めした泰が秀吉の父親――勝家 の元に連行したような形だ。今でも思い出す度に胡桃の怒声は凄まじかったと思う。
胡桃は今更思い出したのか、声を上げた。
「わわ! 忘れてました〜!」
胡桃は冷や汗を流しながら、焦ったように激しい両足踏みを始める。
「店長が角生やして待ってますよ〜! 五秒で来なかったら減給って言ってましたぁ〜!」
「はあ!? あー、もう! それを早く言ってくれ……!」
「はひぃ! すみません〜! 今細川 さんが店長を宥 めてますからぁ〜!」
「細川じゃなくて太川 さんだからな!」
昴はネクタイを締めながら慌てて駆け出す。美佳子の機嫌は高低差が激しい。志郎の足止めのせいだと内心で悪態をつきながら、変化の兆しのなさに一滴の雨露が精神の水面に落ちる様を無意識に感じていた。
内に抱える空虚感が芽吹き始めたことに、昴は苦味が口内に広がるのを、少なからず自身の弱さと決め付けていた。
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