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 ◇◇◇  社に送られ、昴が事務所を寝落ちした手鞠と共に去った時、翔馬の機嫌は(すこぶ)る良かった。  詩音は家庭部で作ったキャロットケーキを、来客用スペースで紫と食しながら、上機嫌な翔馬を不思議そうに見ている。 「ねえ、翔さん。あんなに乗り気じゃなかったのに、いきなりどうしたの?」 「あー。まあ、あれだよ。運命の女神が俺に微笑んだんだよ」 「よく分かんないけど、翔さんが気持ち悪いのだけは分かったよ」 「……おい」  詩音の父親代わりをしてきただけに、いざ冷たく返されると、打たれ弱いメンタルが豆腐のように原型知らずに崩れてしまう。寂しさだけが積りに積もった。  紫は学校では聞けなかった疑問を口にした。 「ねえ、詩音君。どうして昴君だったの?」 「一番読めそうな魂の奔流(ほんりゅう)を感じたからかな。生身でも強いし」  詩音は翔馬と違って魂を視認出来ない。  しかし、視認は出来なくとも、魂の気の流れを読む才に()け、若年ながらも確立された地位を約束されている。  紫は渋い声で「そうだけど」と苦々しそうにしていた。  だが、翔馬は詩音を評価する。 「詩音。お前は正しい判断をしたんだよ。あれはいい掘り出し物だ。狸爺(たぬきジジイ)も腰を抜かす逸材(いつざい)だな」 「う〜ん。でも、舎棺(しゃかん)に伝えないままで大丈夫かな? 一般人からの浄化屋申請の手続き踏まないままだし……」 「時定(ときさだ)には言ってあるからいいんだよ」 「あ〜。おじさんになら大丈夫だね〜」  呑気に納得している詩音に癒やされている紫だが、やはりどこか()に落ちない様子で翔馬に視線を移す。翔馬は紫の眼差しを無視し、サイコロを掌中(しょうちゅう)で転がすのに夢中だ。 「私は魂についてよく分かりません。どうして昴君の魂を気に入ったんですか?」 「分からないなら分からないままでいい。紫、お前はただの手代だ。余計な口出しはするなよ」  興味が湧いたのは未知なる魂魄の香りだ。  翔馬にとって、新しい手駒が陣営に飛び込んできたような物に過ぎないマスの進み方だ。芯の通った昴の眼差しは、あまりにも真っ直ぐで、直情的な精神の強さが、燃焼出来ずに燻っていた興奮の炎を激しく灯す。  ……手鞠が惹かれた魂だ。  引き当てたのは中立を保つジョーカーだろう。善と悪の顔を持つジョーカーが手札に加われば、この先々有利を得られるからだ。 「詩音。昴ならいい友達になれるんじゃないか」 「そ、そうだといいな……」  期待と不安を膨らませる詩音の姿は初々しさで満たされている。翔馬はいい機会だと独りごち、コーヒーを啜った。 「あ、でも宮盾君の友達も面白い人が多くてねー」 「くくっ。詩音、どんな奴が居るのか教えろ」  何気なく聞けば、詩音はスラックスからコスモレンジャーに出てくる合体ロボのフィギュアを見せて来た。 「今日ね、松村君から……」 「は? 松村……?」 「うん! 野球部のエースで、筆記試験が全く駄目な実技王って呼ばれてる大きい男の子の――」  ……何の因果(いんが)だよ。  翔馬は聞きたくもなかった名前に頭を抱えた。彼の父親経由で知り合った『異質』な息子の存在に、激しい胃もたれ感に見舞われる。  ……『異質』が『異質』を引き寄せたか。  磁石のように引き寄せられたのは――翔馬自身もだ。  手鞠が気に入った魂を持つ昴を、余裕を持て(はや)すと過信していた翔馬のプライドがズタズタに引き裂く。何故か引き裂かれたプライドから生まれたのはかぐや姫――否、熱砂のような熱い欲望だった。 「うわぁ……翔さんが気持ち悪いんだけど……」 「詩音君、もう駄目だよ……。この人は手遅れだよ……」  夜が更ける中、翔馬の煮え滾った鍋を彷彿とさせる断続的に響く低い笑い声が事務所の中を満たしていた。  ◇◇◇  花の蜜のように甘いファンシーなフレグランスが車内の中に充満している。苦手な香りに昴は酔いそうになり、空気を吸い込もうと窓を開けた。  後部座席で眠る手鞠は、間抜け顔の熊のぬいぐるみを手放さずに抱いている。可愛らしい寝顔に益々人間臭さを感じなくなった。まるで西洋の絵画(かいが)に出てきそうな妖精か、はたまた神書(しんしょ)に描かれた天使か。どちらでも頷けてしまうのは、少々彼女に対して失礼な気がしてしまう。  社に事務所へと続く道を教えられながらアパートに送られることになり、昴は居心地の悪さを感じ始めていた。 「雲上さんは……」 「社」 「社さんはどうして浄化屋になったんですか?」 「家柄の関係だよ。本来なら姉がやる筈だったんだけど、生まれつき身体が弱いからさ。私が代わりに雲上家の看板背負ってるだけ」  呆れ混じりに質問に答えた社は、反対に昴に質問で返した。 「あんたはどうして承諾(しょうだく)したんだい?」 「救いたい子を救う為、ですかね」 「女?」 「はは、そうですね。たった一人の幼馴染です。俺は彼女に救われた。だから、今度は俺が彼女を救いたいんです」  我ながら真っ当な理由を並べていると思う。三つの願いが本当に叶えられるなら、昴が真っ先に出てくるのは真冬以外考えられなかった。  だが、昴は本心を口にした。 「俺は、自分の力で願いを叶えるつもりです。願いを叶える為なら、浄化屋で得られる知識は全部利用しようかと思っていて」 「なんか、餓鬼らしくないねぇ」 「あはは……。俺の友達もそんな感じなんですよね」  周囲に溶け込もうにも溶け込めない異端さを社に指摘された気がした。三人の友人も変わり者でまかり通れる。昴は癖で御守をシャツの上から触りながら、妙に落ち着いている精神に悔しさに似た渋い感情を感じていた。 「まだまだ遊びたい盛りだったろう?」 「あー……。別に問題はないと思うんですよね……」 「んん? なんか、色々と読めないね」 「俺もそう思いますよ。きっと、彼奴等は俺が浄化屋みたいな良く分からない職種についたら腹抱えて笑うだろうし」  気持ちと共に表情が明るくなり、彼等を信頼しきっている自分に何故か呆れてしまった。  社は昴の話を聞くや、声を上げて笑った。 「ははは! いいねぇ、若いねぇ!」 「さっき言ってたのとなんか違う……」 「そこに詩音も混ぜておくれよ。いい刺激になるんじゃないか? 童貞」 「童貞呼びはやめてくださいよ……!」  分かりやすく見下されている気がする。昴は大声のせいで手鞠が目を覚まさないか心配になり、後部座席を振り返るが、すっかり夢の世界へと飛び立っており、一向に起きる気配はなかった。  昴は安堵し、再び御守を確認するよう触れ、手放さない為に握り締めた。  ◇◇◇  体温の低下により、春と言えど底冷えするような寒さが夜風と共に極寒の地に放り出され、広大(こうだい)雪上(せつじょう)を歩いている錯覚に少女は陥っていた。  全身を覆う鱗に似た結晶が体内の柔らかな肉に刺激を与える度に、少女は痛みに呻き声を上げる。  痛みを(こら)えながら、少女――麻生真冬は、開け放った窓から覗く、空の上で蒼く輝く星に手を伸ばした。 「……昴。ごめんね」  ――会いたい。  最後の日に強がらなければ良かった。真冬は積もる後悔を抱えながら、寂しさに胸の辺りが痛いくらい締め付けられた。  温かな涙が流れ落ちる。温度を感じれたのは久し振りかもしれない。立つのも困難になり始め、真冬は膝から崩れ落ち、朽ちた百合の花が生けられたままの花瓶を霞んだ視界の中で捉えた。  永遠に美しかったら百合も笑えていただろうか。真冬は孤独の中で(もだ)える心臓を押さえ、溢れ出る涙が決壊し、ダムの奔流のように意識的に止められなくなる。 「駄目じゃないか。勝手に抜いちゃ駄目だと僕は再三言ったよ」  軽薄(けいはく)な笑みを貼り付けた、若年の研究医が泣きじゃくる真冬に歩み寄ってきた。  腕を掴まれ、嫌悪感と恐怖に真冬は発狂しそうになる。 「いや……いやぁ……」 「綺麗な顔が台無しだ。涙が収まるまで、僕と一緒に居ようか」 「ひっ……」  ――嫌だ。  触れられた箇所から虫が這いずり回るような不快感が強まり、過呼吸に陥る。呼吸の仕方が分からない。目の前が暗くなり、真冬の思考は停止した。  まるで意思を持たない機械が稼働(かどう)を促す資源が尽き、それでも尚動き続けようとバグだらけのプログラムが開始を始める――。  愛おしい少年と同じ『――』になる為、真冬の意識は底が見えない深海に深々と落ちていった。

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