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堕天使の選択2

「意外と、気が強いんですね」  追ってきた国崎の声を無視して、歩く。しかし、声は止まらない。 「まあ、貴方が見た目通りに地味で大人しかったら、あんなに恋愛遍歴を重ねる訳がないですよね」  ……もう少しで駅だ。駅に着いたら、終わる。  心の中で、月也は呪文のようにそう繰り返した。だが、続けられた言葉に彼の足は止まってしまった。 「そうやって、あの子を騙すんですか?」  騙すつもりなんてない。海棠を好きだという気持ちも、守りたいと思う気持ちも本物だ。  けれどそう言い返せないのは、先程の自分の行動のせいだ。あんな自分は知らない。従順な訳ではないが、あんな風に怒りに任せて他人を叩くなんて。 (あの人達みたいに)  ……醜く顔を歪めて自分を打つ、あの人達みたいに。 「王様の耳はロバの耳って、知ってますか?」  月也を我に返したのは、そんな国崎の言葉だった。知ってはいる。だが何故、ここで出てくるかが判らない。  そんな彼に、いつものように淡々と国崎が話の先を続ける。 「私が、佐倉さんから頼まれた事は二つ……一つは、彼を貴方に渡す事。そして、もう一つは貴方の事です」 「俺の?」 「友達になってやってくれ、と言われました」 子供じゃあるまいし――咄嗟にそう思ったが、やはり声にはならない。 代わりに、月也が聞いたのは別の事だった。 「……それは、仕事なんですよね?」 「はい。そうです」 「仕事なら、『友達』に叩かれても?」 「良いんじゃないですか? 漫画なんかだと、喧嘩して友情を確かめますし……私は、どちらかと言えばMですしね」  人を食ったような返事と、妙なカミングアウトに呆然する。それから、月也は何かを考えるかのように俯いた。 「……橘さん?」 「国崎さん……すみません。下の名前は何でしたっけ?」  そこで一旦、言葉を切って、月也は相手を見返した。 「……友達の名前を知らないなんて、変ですから」  仕事なら、何の遠慮もいらない。それならばこちらも、相手を利用するのみだ。  綺麗な海棠を守る為に、人を打つような醜い自分は切り捨てて、この男に渡してしまえばいい。  彼の言葉に、国崎が微笑む。  それから薄い唇を開き、低いが不思議と通る声で自分の名前を紡いだ。 「京です。国崎京(くにさききょう)」 ※  マンションに帰り、鍵を開けて中に入ったところで――月也は、大きく目を見張った。 「……カイ?」  彼の姿に一瞬、タオルケットの下の顔を嬉しそうに綻ばせたが、少年はすぐにその表情を曇らせた。  何処か怯えた眼差しで月也を見上げて、おずおずと尋ねてくる。 「ごめんなさい……約束破って……」  今にも泣きそうに(実際、泣けるかどうかは知らないし泣かせるつもりはないが)顔を歪めるのに、月也は無言で身を屈めた。  それから腕を伸ばし、海棠の身体をタオルケットごと抱きしめた。 「……月也?」 「良いんだ……待っててくれたんだよな?」  言いながら、布越しに海棠の頭を優しく撫でてやる。安心させるように――自分に、言い聞かせるように。 (……大丈夫)  この胸にあるのは、海棠に対する愛しさだけだ。月也はこの少年を守る事が出来る。  そう思っていた月也は、だから、気付かなかった――腕の中の海棠が、途方に暮れたように眼差しを揺らしていた事を。  ……愛すればいい、優しくすればいいと月也は思っていた。  そうしていれば良いのだと、信じていたのだ。

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