8 / 32
堕天使の選択2
「意外と、気が強いんですね」
追ってきた国崎の声を無視して、歩く。しかし、声は止まらない。
「まあ、貴方が見た目通りに地味で大人しかったら、あんなに恋愛遍歴を重ねる訳がないですよね」
……もう少しで駅だ。駅に着いたら、終わる。
心の中で、月也は呪文のようにそう繰り返した。だが、続けられた言葉に彼の足は止まってしまった。
「そうやって、あの子を騙すんですか?」
騙すつもりなんてない。海棠を好きだという気持ちも、守りたいと思う気持ちも本物だ。
けれどそう言い返せないのは、先程の自分の行動のせいだ。あんな自分は知らない。従順な訳ではないが、あんな風に怒りに任せて他人を叩くなんて。
(あの人達みたいに)
……醜く顔を歪めて自分を打つ、あの人達みたいに。
「王様の耳はロバの耳って、知ってますか?」
月也を我に返したのは、そんな国崎の言葉だった。知ってはいる。だが何故、ここで出てくるかが判らない。
そんな彼に、いつものように淡々と国崎が話の先を続ける。
「私が、佐倉さんから頼まれた事は二つ……一つは、彼を貴方に渡す事。そして、もう一つは貴方の事です」
「俺の?」
「友達になってやってくれ、と言われました」
子供じゃあるまいし――咄嗟にそう思ったが、やはり声にはならない。
代わりに、月也が聞いたのは別の事だった。
「……それは、仕事なんですよね?」
「はい。そうです」
「仕事なら、『友達』に叩かれても?」
「良いんじゃないですか? 漫画なんかだと、喧嘩して友情を確かめますし……私は、どちらかと言えばMですしね」
人を食ったような返事と、妙なカミングアウトに呆然する。それから、月也は何かを考えるかのように俯いた。
「……橘さん?」
「国崎さん……すみません。下の名前は何でしたっけ?」
そこで一旦、言葉を切って、月也は相手を見返した。
「……友達の名前を知らないなんて、変ですから」
仕事なら、何の遠慮もいらない。それならばこちらも、相手を利用するのみだ。
綺麗な海棠を守る為に、人を打つような醜い自分は切り捨てて、この男に渡してしまえばいい。
彼の言葉に、国崎が微笑む。
それから薄い唇を開き、低いが不思議と通る声で自分の名前を紡いだ。
「京です。国崎京 」
※
マンションに帰り、鍵を開けて中に入ったところで――月也は、大きく目を見張った。
「……カイ?」
彼の姿に一瞬、タオルケットの下の顔を嬉しそうに綻ばせたが、少年はすぐにその表情を曇らせた。
何処か怯えた眼差しで月也を見上げて、おずおずと尋ねてくる。
「ごめんなさい……約束破って……」
今にも泣きそうに(実際、泣けるかどうかは知らないし泣かせるつもりはないが)顔を歪めるのに、月也は無言で身を屈めた。
それから腕を伸ばし、海棠の身体をタオルケットごと抱きしめた。
「……月也?」
「良いんだ……待っててくれたんだよな?」
言いながら、布越しに海棠の頭を優しく撫でてやる。安心させるように――自分に、言い聞かせるように。
(……大丈夫)
この胸にあるのは、海棠に対する愛しさだけだ。月也はこの少年を守る事が出来る。
そう思っていた月也は、だから、気付かなかった――腕の中の海棠が、途方に暮れたように眼差しを揺らしていた事を。
……愛すればいい、優しくすればいいと月也は思っていた。
そうしていれば良いのだと、信じていたのだ。
ともだちにシェアしよう!