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審判の日2
父親の家については、親の会話から得た、断片的な知識しかない。
地方の旧家である事と、だからこそ閉鎖的だという事(その為、籍を汚すという理由で、月也は母方の姓を名乗っている)くらいだ。
「私の母は、貴方のお祖父さまの愛人だったんです。短い間の話ですから、向こうの家の方は誰も知らないですけどね」
そうして生まれた国崎は、祖父の知人だった弁護士に引き取られたと言う。
そちらで本当の子供のように育てられ、祖父とも数える程しか会っていないらしい。
「だから……佐倉さんからこの話を持ちかけられるまでは、貴方の事は知らなかったんです」
「香一郎さんから?」
ふと、引っかかった。確かに国崎は、香一郎に頼まれて月也の所に来たと言っていたが――今の口調だと、何だかそれだけではないような気がしたのだ。
微かに眉を顰めた月也に、国崎が答える。
「貴方は、まさに『月』だと……佐倉さんは、言ってました」
傷ついて、自分の殻に閉じこもっているからこそ、他者の力を借りなければ、その美しさを開花出来ない。だからこそ月也には、輝くべき光を与える『太陽』が必要なのだと。
「正直、私は貴方を『甥』だとは思えませんが……貴方に『太陽』が出来た時、逃げ出す前に気付かせる事くらいは出来ると思いました。だから、貴方に近付いたんです」
国崎の言葉に、月也は黙って頷くしかなかった。
確かに、自分も相手を伯父とは――肉親だとは思えない。しかし一方で、不思議と共感出来る部分がある事もまた、事実なのだ。
(理解出来ないって、思っていたけど……通じていると、思うくらいに)
勘違いだと自嘲する事も出来たが、その代わりに月也はある疑問を口にした。
「あなたが雇われたのは、俺との血縁関係があったからなんですか?」
その問いかけに返されたのは、口の端を上げた、少し意地の悪い微笑だった。
そして笑いながら、国崎は意外な答えを口にした。
「確かに、きっかけはそうでしたが……私と佐倉さんは、友達だったんですよ。いや、仲間と言った方がいいですかね?」
「……仲間?」
「だって、貴重じゃないですか……禁断の恋の悩みを、相談し合える存在は」
そう言って笑みを深める国崎に、思わず脱力する。それでは、先程の写真が――国崎の隣で笑っていたのが、その『禁断の恋』の相手なのか。
(そりゃあ、W禁断は御免だよな)
少々、ズレた感想を抱きながら、ため息をつき――我知らず、月也は頬を緩めた。
※
「っ!」
そんな月也の耳に、電話の着信音が届く――バックに飛びつくと、画面には海棠の名前が表示されていた。
慌てて、スマートフォンを手に取る。
そして耳に当てた途端、聞こえてきた声に月也は息を呑んだ。
「……ぅ……つ、き……」
苦しげに掠れた声は、彼の名を紡ごうとしたが、果たせなかった。
何かに叩きつけたような、耳障りな音。それから、電話は切れて――慌ててかけ直したが、繋がらなかった。無機質なアナウンス。多分、スマートフォンが壊れてしまったのだ。
「……っ」
月也の家には、電話がない。スマートフォンだけで十分だと思っていたが、おかげで今、家にかけて海棠の無事を確かめる事が出来ない。
(一体……何が)
「……戻りますか?」
かけられた静かな声で、我に返る。
そうだ、月也はあの少年から逃げ出して来たのだ。それなのに今更、どんな顔をして戻れと言うのだろうか。
(だけど……)
今の状態は、尋常ではない――そこまで考えて、月也は首を横に振った。
これでは、駄目だ。この答えでは、国崎は納得しない。そして何より、今までの偽りに気付いてしまった自分自身が。
焦る月也の記憶の中で――ふ、と澄んだ声が浮かんで、消える。
“海は、お月様が大好きなの……”
見上げてくる瞳。ただ一人、自分だけを映す眼差し。
「月は……海が、大好きなんです」
ぽつり、と言葉が零れた。
それを止めずに、むしろもっと溢れ出るように、月也は深く息を吸って吐き出した。
「月は海が好きだって言われましたけど、海から離れられないのは月の方なんです……だから、だから俺は……っ」
目を閉じて、我知らず自分を抱き締めながら――月也は、海棠の為だと嘯きながら隠していた想いを吐き出した。
今まで、誰かに側にいて欲しくて好きだという偽りを口にしていた、醜い自分。
それでいて失うのが怖くて、自然と距離を置いてしまっていた、弱い自分。
そんな自分が、海棠に抱き締められると――もっと欲しくなるのを無意識に制し、それでも離れたくないと思った。
今までの相手とは違い、海棠と離れない為に――月也は、保護者を演じていたのだ。
……ポンと、今度は肩を叩かれる。
それから、促されたように顔を上げた月也に、国崎は言った。
「タクシーを呼んであげますから」
戻りなさい、と――微笑に細められた双眸は、ただ一言「合格です」と告げていた。
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