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だから、永遠 ~彼の秘密~
名前と年齢、それから北海道から来て、今はお婆さんと暮らしているという事。
私が、廉について知っている情報はそれだけで――だから当然、公園に姿を見せなくなった彼を見つけ出す事は出来ませんでした。
(自力では、やはり限界がありますね)
一応、仕事柄、警察や雑誌社に多少の伝手(つて)はあります。
それを使わなかったのは、あくまでも個人的な内容だったから――ではなく、潔癖な廉に嫌われそうだったからでした。
(ですが二日、経ちました)
桜が散ってしまったので、来なくなった。そう思おうともしました。
けれどあの日、廉が置いていった傘がある以上、私は諦めるつもりはありませんでした。
(今日、来なければ……あらゆる手段を、使い尽くしましょう)
そう心に決めて、私は公園に向かいました。
「……国崎さん、ですか?」
そんな私に声を掛け、会釈してきたのは一人の老婦人でした。
つい先程、その存在の事を考えていたせいもあるでしょう。
ですか小柄な老婦人を見て、すぐに廉の祖母ではないかと思ったのは――自分に向けられた目元や笑みが、彼によく似ていたからでした。
「……はい」
だから直ぐ様、私は頷きました。そして再び頭を下げてきた相手に、言いました。
「貴方は、れ……本郷君の、お祖母さまでしょうか。よければ座って、話しませんか?」
※
成宮初子 ――廉の母方の祖母だと名乗った老婦人と、近くのベンチに並んで腰を下ろして。
自分から誘っておきながら、私は何を話すべきかと悩みました。
(お孫さんは、どうなさったんですか?)
一番、聞きたい事ではありましたが、聞けなかったのは――廉本人ではなく、祖母の初子さんが来たという事で二つの可能性が考えられたからです。
(本人の意志で、来なくなったか……来たくても、来られない事情があるのか)
前者なら、むしろ望むところです。今、ここで老婦人から廉の居場所を聞き出して、こちらも気持ちのままに動くだけですから。
(しかし……後者となると)
周りの状況による結果だとすると、うかつに動けません。廉にどんな迷惑をかけるか、解らないからです。
「……その傘は、あの子のですよね?」
穏やかな問い掛けに対して、私は咄嗟に傘の柄を握る手に力を込めてしまいました。そして、そんな自分の反応に内心、舌打ちをしました。
(しまった……)
傘を返してしまっては、廉に会う口実が無くなります。たとえ伝手を頼って見つけ出したとしても、会わせて貰えなくなってしまいます。
しかし、相手は廉のお祖母さんです。彼女に嘘をついたら廉に怒られる、だけではなく嫌われてしまうかもしれません。
「国崎さん」
すっかり途方に暮れてしまった私の名を、優しく呼んで――傘の柄を握ったままの私を見つめながら、初子さんは言いました。
「大切に持っていてくれて……あの子を大切に思ってくれて、ありがとうございます」
優しい眼差しと言葉に、私は警戒を解きました。そんな私を見上げながら、初子さんは続けました。
「あの子は、ここに来られないから……私は、あなたを孫のところに連れて行く為に来たんですよ」
初子さんは私を連れて、公園を出ました。それから手を上げて、タクシーを止めました。
今まで私同様、廉も徒歩で公園に来ていたようでしたので、私は少し不思議に思いました。そんな私の考えが伝わったのか、振り返りながら初子さんは言いました。
「あの子は今、家にいないんです……でも、ちゃんと連れていきますからね」
「すみません……ありがとうございます」
疑う素振りを見せた謝罪と、その事を許してくれたお礼を口にした私に目を細めると、初子さんは乗り込んだタクシーのドライバーに行き先を伝えました。
……それは、とある大学病院の名前でした。
※
「あの子の母親の、里美 ……私の娘は、大学の時に廉の父親である尚人 さんと出会いました」
二人で、タクシーに乗った後――初子さんは、静かに話し出しました。
「学校は別でしたけど、お友達に紹介されて……それから卒業して、北海道に戻った尚人さんに娘は付いて行きました」
一人娘故、初子さん達はお嬢さんが嫁ぐ自体は仕方のない事だと言っていました。
ただ、廉の父方の家は製薬会社の社長をしていて、小さな和菓子屋をやっている自分達とは世界が違うのではないかと内心、心配されていたそうです。
そんな初子さん達の心配を余所に、夫婦はひどく仲睦まじく――やがて、子供も生まれたそうです。
「それが、考 ……廉の兄です。明るくて元気で、優しいお兄ちゃんでした」
初子さんが過去形で語っている事、そして廉から一度も話を聞かなかった事から、私はもしや、と思いました。
そして私の考えに肯定するように、初子さんは頷きました。
「十二歳の夏に事故にあって、そのまま……ねぇ、国崎さん? 廉が昔、内気で恥ずかしがり屋だったっと言ったら、信じます?」
「……えっ?」
不意の問い掛けに、私は戸惑いました。
恥ずかしがり屋だけならまだしも、内気というイメージは正直、廉には似合わない気がしたからです。
(どちらかと言うと、さっきの話でのお兄さんの感じの方が……)
そこまで考えて、私はハッと顔を上げました。
信じられない、いや、信じたくないと向けた私の視線に返されたのは、再びの初子さんの頷きでした。
……会社の社長なんて、世界が違うと初子さんは思っていました。
そんな世界の中で、娘さん達夫婦は家族を心の拠り所としていて――だからこそ、余計に我が子の死に対する嘆きは深かったんだそうです。
「廉は……あの子は、そんな両親を見ていられなかったんでしょう」
悲しげに目を伏せて、初子さんは続けました。
「考が亡くなった後……廉は、考の真似をするようになったんです」
両親の悲しみを、少しでも癒したい。そう思った廉の努力は、実りました。
嘆いてばかりだったご両親の顔に、少しずつですが笑みが戻り――その笑顔に励まされるように、廉もますます明るく振る舞ったそうです。
「廉? 無理をしていないかい?」
……北海道と東京では、あまりにも遠く。
だから、廉の変化を初子さんが目の当たりにしたのは、お兄さんの一周忌の時でした。
確かにご両親は随分と立ち直っていたようでしたが、廉も家族を失った事には変わりありません。
それなのに、と心配して尋ねた初子さんに、けれど彼は首を横に振ったそうです。
「無理なんかじゃないよ、お婆ちゃん……お父さんとお母さんが笑ってくれて、嬉しいよ」
そう健気に答える廉を、初子さんは黙って抱き締める事しか出来なかったそうです。
「これじゃあ、まるで廉がいなくなってしまったみたいだって……言えていれば、また違っていたかもしれなかったのに」
……それから、数年後。
去年の暮れ頃に、廉は学校で倒れて――まずは保健室に、そしてそのまま、廉は地元の病院へと運ばれたそうです。
その連絡を受けた両親は直ぐ様、病院へと駆け付けて――診断結果を聞き、愕然としたそうです。
「脳に、腫瘍が見つかったんです……場所が悪くて、切除が出来ないとの事でした」
その言葉に、私は息を呑みました。そんな私に微かに目を細め、初子さんは更に続けました。
「……また、失ってしまう」
「えっ……?」
「娘夫婦は、そう言ったそうです……また、あの子を失ってしまう。何故、自分達ばかりがって」
……聞いた瞬間、私は目の前が真っ赤になるのを感じました。
それが怒りの為だと気付いたのは握り締め、震え出した私の手にそっと、その手を重ねてくれたからでした。
「その話を聞いてしまった廉は、二人に言ったそうです」
廉が一人で抱えていた、憎しみの理由――それを私は、廉がその時、口にしたという言葉から知りました。
「またって、何? 死ぬのは、俺だ……兄さんじゃない」
己の悲しみにのみ沈み、亡くなった兄の面影ばかり追って廉の存在を消してしまった両親に、彼は怒りを覚えたんです。
……初子さんから話を聞いた私、同様に。
「廉は……死にに来たんですか?」
切除出来ない、と言うのなら治療は気休めでしかないのかもしれません。
しかしその気休めすら拒み、親元を離れて東京へとは――そこまで話を聞いた私には、むしろそうとしか思えませんでした。
そんな私に悲しげに目を伏せて、初子さんは言いました。
「娘夫婦はともかく……あの子は、思い出を作るんだと言ってました」
その言葉に、私は廉と初めて会った日の事を思い出しました。
四月の桜、彼の過去や病気の事を知らない友人。
……それが、廉の望みだったのでしょう。そして死を目前としたからこそ、彼は私に尋ねたのです。
「京、永遠ってあるのかな?」
知らなかった、というのは私の愚かな言い訳です。
自分の気持ちばかり押し付けて、私は廉の僅かな時間を――あるいは、その命すらも削ってしまっていたんです。
「……廉」
病院に向かうと言う事は、彼の容体が悪化したのだと私は思いました。
一体、何を言えばいいのか――いや、そもそも話が出来る状態なのか。
……焦る私の耳に届いたのは、初子さんの思いがけない言葉でした。
「私は、あなたにお礼を言わなければいけません」
「えっ……?」
「ありがとう……廉の気持ちを、変えてくれて」
そう言って微笑む初子さんに私が戸惑っていると、車は病院へと着きました。
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