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オンリーユー2
苗字を戻し、援助を一切断って、月也は完全に佐倉の家との縁を切った。それから特待生として高校と大学に通い、今の派遣会社に就職した。
そんな自分がここに来たのは、香一郎からの手紙を受け取ったからだ。
……癌だったと知ったのは、雑誌の追悼記事でだった。
そんな風にすっかり他人になったはずの月也の前に現れた弁護士は、雇い主である香一郎から自分の死の一年後にこの手紙を届けるよう頼まれたのだと、事務的な口調で言った。
『愛する月也。これが届いた時、私は運命を信じることが出来た。お前がくれた幸福を今、返そう』
今、思うと誇り高い香一郎にとって、月也の選択は卑屈で愚かなものだっただろう。
けれど香一郎はその事を責めず、ただ自分との日々を幸福だと言ってくれた。その事が、何よりも嬉しかった。
だから月也は、弁護士から香一郎が自分に遺したと聞かされた、このマンションへと足を運んだ――そしてここに来て、彼もまた香一郎同様に運命を感じたのだ。
……自分の感情が欠けている事に気付いたのは、香一郎と別れてからだった。
老人が綺麗だと褒めてくれ、愛してくれた顔や体は、女も男も惹きつけた。そして月也も、求められるままに相手と付き合った。
しかしすぐに皆、自分から離れていった。
月也は、相手を愛する。見返りを求めずに、ただ愛する。
それは相手の言葉を借りれば、人形を相手にしているような気分になり、ひどく虚しくなるのだという。
確かに、その通りだろう。犬や猫ですら、主人に愛される為に愛敬を振る舞う。そうする事が出来ない自分は(なりたかったものとは違うが)確かに人形でしかない。
(だけど『彼』になら)
手紙に同封されていた説明書。それは昔、どこからか送られてくると話題になった人型ロボットの物だった。
そう、この少年はロボットなのだ。そして月也が起動ボタンを押せば、人間のように動き出す。
(俺は、愛するだけでいいんだ)
身勝手かもしれない。果てしなく、後ろ向きかもしれない。
しかし月也はかつての、しかも自分と香一郎のような終わりを迎えない幸福が手に入るという誘惑に、抗う事が出来なかった。
少年の首に腕を回し、後頭部の髪に隠れた場所にある起動ボタンを押す。
そして目を開け、瞬きをしている少年の顔を月也は覗き込んだ。
澄んだ、綺麗な黒い瞳を見つめ、不安と期待で声が震えそうになるのを何とか堪えながら――彼は、どうしても尋ねたかった事を口にした。
「……名前は?」
説明書に書かれてはいたが、相手の口から聞きたかった。
そんな月也の質問に返されたのは柔らかく響く声と、初めて香一郎と会った時の自分と同じ、ただ一人だけを映す眼差しだった。
「海棠 」
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