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海の天使2
眼鏡(実は伊達だ)を外し、スーツを脱いで部屋着の長袖Tシャツとスウェットに着替える。
そうすると、本当に海棠とよく似ていた。もっとも年が違うし、月也の方はほぼ無表情なので間違われはしないだろうが。
「いただきますっ」
「……いただきます」
海棠に次いで手を合わせ、自分で用意した夕食に箸をつける。これも、海棠と暮らすようになってから復活した習慣だった。
基本的な会話や計算などは出来るが、常識や感情は真っ白な、赤ん坊のようなこの少年に教える為である。
海棠は好奇心旺盛な上、一度覚えた事は忘れない。現に何度か月也が料理をするのを見て、大体のコツは掴んだようだ。先程の挨拶が実現するのも、そう遠い日ではないだろう。
(もっとも)
手順は覚えても、味見には付き合わなければならない――彼には、味覚がないのだ。いや、味覚が違うと言うべきか。
視線の先で、海棠が飲んでいるマグカップに入っているのはガソリンだ。美味しそうに食事をしているのを見ていると、少年が機械なのだと改めて実感する。
……そして機械だからこそ、海棠には気をつけなければならない事があった。
人間のように、滑らかに動くロボット。
けれど、その繊細かつ複雑な動きは、海棠の身体にかなりの負担をかける。無理に続けると、故障の原因になる程に。
蓄積され、上昇しすぎた熱を下げる方法は、二つ。
一つは、持ち主とある行為を――まあ、つまりは性交渉なのだが、をして熱を冷ます。けれどこの方法は即、却下した。
見た目もだが、普通の子供以上に無邪気で純粋な海棠にとてもそんな気にはなれない。
しかも一度、関係すると、海棠は自分以外の相手を受け入れられなくなるのだ。それでは月也に何かあった時、少年を道連れにしてしまう。
そこで月也が選んだのが、一時停止だった。
最低限の機能以外を、全て停止する。つまりは、人間にとっての『睡眠』だ。これなら海棠は、自分に何があっても大丈夫である。
そういう訳で、月也は海棠を朝と夜以外、全て一時停止させる事に決めた。
一日の、ほんの僅かな時間。
だが一瞬に食事をし、ごちそうさま、と手を合わせ――眠るまでの数時間、この少年と共に過ごせるだけで、月也は確かに満たされていた。
「……月也?」
名前を呼ばれたのに、彼はハッと我に返った。
それぞれ色違いのスウェットを着て、眼鏡を外して。あとは一緒に眠るだけ、という時だった。
不意に海棠が腕を伸ばしてきて、月也をそっと抱きしめてきたのだ。
「何? どうしたんだ、カイ?」
「今日ね。起きて、月也を待ってた時、お月様の番組を観たんだ」
柔らかく響く声。一生懸命、伝えようと話しかけてくるのに月也は我知らず双眸を細めた。
と、その微笑みを見た少年が、パッと顔を輝かせて言葉を続ける。
「僕、思ったんだ。月也みたいだって……名前だけじゃなくてね?」
そこまで言って、海棠がその頭を月也の肩に埋めてきた。結果、ますます密着する形になるが、この少年がしても無邪気にしか見えない。つい、笑みがこぼれてしまうくらいに。
そんな月也に、少年は更に話の先を続けた。
「お月様はね。綺麗で、柔らかくて、優しいんだ。それにね……」
「……それに?」
月也が尋ねると少年が顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。
それから内緒話でもするように、海棠は彼の耳元に顔を近付けてきて囁いた。
「海は、お月様が大好きなんだ」
くすぐったい、甘い声。それについ聞き惚れていて、一瞬、内容に頭がついていかなかった。
そんな月也を抱きしめる腕に力を込めて、海棠が言う。
「お月様がその顔を変える度に、海も色んな顔になるんだよ。大好きだから、ずっと見てるんだ。僕にとっての月也と、同 じ……それとも、だからなのかな? 名前に『海』があるから、僕は月也が大好きなのかな?」
その問いの答えを、月也は持っていなかった。
ロボットである海棠が、人間である月也を好きだという。その気持ちは、少年の機械の身体のように作られたものなのか。
だが、心なんて作れるものなのだろうか?
目に見えないのに。形なんてないのに――それに、作られた心がこんなにも眩しいものなんだろうか?
人形のような月也が、人間のような海棠と出会った事。それはまるで、約束された出会いのようで――嬉しいような、それでいて何処か淋しいような、訳の解らない気持ちになって。
「……月也?」
彼は、海棠を抱きしめた。そして相手の顔を見ないまま、寝よう、とだけ言った。
腕の中の身体が、一時停止により次第に冷たくなっていく。
そんな少年を抱きしめる腕に力を込め、頬を寄せ――自分の体温を分け与えるようにして、月也もまた目を閉じた。
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