6 / 32
天使と悪魔と堕天使と2
……目を開けた海棠は、枕元に置いてあるスマートフォンを手に取った。
これは、月也から渡されている物だ。何かあった時、これで連絡が取れるようにと――そして、留守電が入っている事に気付いて、海棠はパチリと瞬きをした。
耳を寄せて、内容を確認する。聞こえてきた月也の声、その内容に少年は次第に表情を曇らせていった。
『今日は夜、遅くなる。帰りの時間が解らないから、食事が終わったら先に休んでて。明日の朝、会えるのを楽しみにしてる』
「……月也、帰って来ないんだ」
ぽつり、と呟いて、知らず縋るように携帯電話を握る。
それから言われた事を守ろうと海棠はベットから降り、ガソリンの支度を始めたのだった。
※
……話は、少し前に溯る。
『今日は夜、遅くなる。帰りの時間が解らないから、食事が終わったら先に休んでて。明日の朝、会えるのを楽しみにしてる』
(上手く、言えてたかな)
職場の階段近くで通話を切った後、月也は自分が言った内容を振り返りながら思った。
一応、声に機嫌が悪いのが出ないように、意識して笑顔を心がけたつもりではある。自分が帰らないだけでも不安がるだろう海棠にこれ以上、心配をかけるつもりはない。
(ごめん、カイ)
心の中で謝って、月也は職場に戻ることにした。約束の時間まではまだ、時間がある。今はまず、仕事に専念しなくては。
“では今夜、七時に”
しかし、あの男――国崎の顔を思い浮かべた途端、眉間に皺が寄るのが解った。
……そう、彼は怒っているのだ。あの二重人格な暴言魔に対して。
「ありがとうございました」
朝、満員電車の中で。礼を言った月也に、国崎から返されたのは沈黙だった。
痴漢など、大した事ではないと言うように振る舞ってくれているのか。気まずい雰囲気を、何とか善意に解釈しようとしたが――刹那、耳に届いた呟きによって彼の努力は無惨に打ち砕かれた
「そんな、淋しそうな顔をしているから」
「……は?」
聞こえてはいる。けれど、どう取るべきか解らなかった。そんな彼を無表情のまま見返してきて、国崎が言葉を続ける。
「欲求不満って事ですよ。あの子がいるのに、まだ満足出来ないんですか?」
やっぱり、そういう意味か――睨み返そうとして、月也はある事に気付いて息を呑んだ。
あの子とは海棠の事だろう。しかし、今の口ぶりだと国崎は海棠の存在だけではなく、その正体までを知っている事になる。
「あなた、一体」
「今は、その話は止めましょう。オタクのようですから」
淡々と言われて、月也は眉を寄せた。
確かに何も知らない者がロボットと聞いたら、漫画かアニメの話だと思うだろう。しかし、こういう切り返しをされるのなら、やはり国崎は海棠の事を知っているようだ。
「続きは夜に、話しませんか?」
「えっ?」
「貴方は、私に借りが出来た。貴方はそれを、返したいでしょう? 夕食をご馳走してくれますか?」
悪びれずに言う男に、月也は思わず拳を握った。これではまるで、脅しではないか。
……しかし結局、月也は頷くしかなかった。悔しいが、相手の真意を確かめたい気持ちの方が勝ったのだ。
「解りました」
「では今夜、七時に」
答えて睨みつけた彼の視線の先で、不意に国東が双瞳を細めた。
明るく華やかな笑顔。整った顔だとは思っていたが、今までが全くの無表情だったので余計に眩しく見えた。
不覚にも一瞬、見惚れて――月也は、慌てて目尻を吊り上げた。そして駅に着くまでの間、彼はずっと国崎を睨んでいたのである。
※
一方、月也のそんな事情など知らない海棠はパジャマのまま、一人でマグカップに注いだガソリンを飲んだ。
そしてもう一度、ベッドで大人しく眠ろうと――一時停止しようとした。
だが、しかし。
(眠ってからすぐ、月也が戻って来たら?)
そう思うと、海棠は『眠る』事が出来なくなった。
……しばらく、ギュウっと力を入れて目を瞑り。
やがて一つ、大きくため息をつくと彼はタオルケットを被り、それを引きずりながら玄関へと歩いていった。
(……月也)
起きていたら、月也の言いつけを守らなければ、きっと怒られるだろう。けれど、海棠はここで座って、月也を待つ事にした。
……ただ、月也の声が聞ければ。
一目でも顔を見る事が出来れば、それで良かった。
ともだちにシェアしよう!