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第32話「変化、そして気配」

 二月にSARC(特殊水陸両用偵察衛生兵)を退役したカイルが、兄のクローンであるルーチェと、シリコンバレー、クパティーノにある友人宅へ転がり込んで、三ヶ月が経とうとしていた。  その間、カイルがルーチェに護身術や武器の仕組み、扱い方を教え、その友人であるパテールがコンピューターの知識を与えた。  ルーチェを追う者を想定しての事だったが、後半からはルーチェの覚えの良さに感動したカイル達によって、教えの度が増していったようだった。 「ルーチェ、変わったな…。喋り方とか、絶対、おまえの真似してるよ。」  無駄に広いリビングルームで寛いでいたカイルの下へ、パテールが近付いてビールのボトルを渡した。 「…最近、生意気に感じるのは、その所為か?」  ビールを受け取ったカイルは、溜息混じりに最近のルーチェを思い浮かべる。 「今日のルーチェは面白かったよ。」  パテールがスマートフォンを取り出し、カイルに渡した。 「これ、監視カメラの…?」 「と、言うより、固定カメラだけどね。」  カイルは表示されている映像の、再生ボタンを押す。  そこには、パテールに与えられた部屋で一人、ルーチェがPCでブルーノ・マーズのミュージックビデオを見ながら、ノリノリで歌い、踊っている姿が映っていた。  そのハイテンションな乗りに、カイルは自身の目を疑う。 「…これ、本当にルーチェか?」 「中々いいリズム感してるよね。」 「トロイはこんな風に歌ったりしなかったぞ、多分…。」 「これはカイルの遺伝子だろ?」 「いやいや、俺じゃないよ!多分、親父の遺伝子だな…!」  ルーチェの映像を酒の肴に、二人で好き勝手に喋っていると、いつの間にか彼らの背後に、顔を真っ赤にしたルーチェが立っていた。 「もう!勝手に録画とか、やめてよね!」  不意に怒りの矛先を向けられた大人二人は、焦ったように言い訳をし、ルーチェを宥めに掛かった。 「今日は各部屋のWi-Fiのチェックをしていてさ、ビデオカメラが遠隔操作できるか試したんだよ。」 「俺は、それを見せられただけだからな!」 「絶対に許せない!」  そしてそれは、ルーチェに欲しいゲームソフトを好きなだけ買ってもいいという約束で、終息を迎えた。  翌日、カイルとルーチェはパテールから借りたブルーのマスタングに乗り込み、クパティーノ内で最も大きな、子供向けのゲームやグッズが充実しているショップを訪れた。  平日にも関わらず、ベビーカーを押す主婦や小さな子供達で賑わっている。そこのゲームソフトが並ぶコーナーへ二人は赴いた。 「どれにするんだ?」 「この棚の全部!」 「おい、冗談だろ!?」 「冗談だよ。」  ルーチェは悪戯が成功した子供のように笑うと、新作のゲームを三本選んでカイルに渡した。  会計を済ませて店を出ると、ルーチェが数ブロック先にある中古ゲームの店に行きたいと言い出した。 「古いゲームだと、ゲーム機本体がないから遊べないだろ?」 「中身を吸い出せたら、後はエミュレーターで何とかなるから、古いゲーム機はいらないんだよ。」  まるで少年時代のパテールと話しているようだと思いながら、カイルは歩いて行くことを提案した。  数週間振りの外出だったこともあり、初夏の兆しが感じられる陽気の中を、ルーチェは意気揚々と歩き出す。  目深に被らせたキャップと、ウィンドブレーカーにスウェットパンツを合わせた格好のルーチェの肌の露出は少ない。 同様の恰好にサングラスを掛けたカイルは、周囲を警戒しつつも平穏な街の風景に、大丈夫だろうと高を括った。  しかし、二ブロック程歩いた頃、不意にルーチェが小声で不穏な言葉を発した。 「ねぇ、カイル。俺達、尾行されてるかも…。」  ルーチェの説明によると、最初にショウウィンドウに映った姿で目にしたスーツの男が、歩を進めているにも関わらず、車のミラーや、道行く人のサングラスで姿を見受けられるので、追跡されているような感覚に陥ったという。 「ちょっと走ってみるか…。」  カイルとルーチェは急に数メートル走ってみた。その行動に数メートル後方にいたスーツの男が、明らかにつられて小走りになった。 「確かにな…。」  目の端に追跡者を捉えたカイルは、そのまま目の前の韓国料理店へと入った。そこで店員にチップを渡し、裏口から外へ出して貰うように頼んだ。 「逃げるの?…やっつけちゃおうよ。」  ルーチェは血を(たぎ)らせた様子で、カイルの袖口を掴んだ。 「それは得策じゃない。」  外へ出ると、速やかに向かいに立つアパートメントの敷地内の木々の間に身を潜めた。  どうやら追跡者を撒く事が出来たようだった。 ――人の目は誤魔化せないって事か…。  今までパテールの家のセキュリティに守られていた所為で、気が緩んでいた事を痛切に感じたカイルは、今日の失態を悔やんだ。  この事を追手が仲間に報告すれば、シリコンバレー一帯にグレイソンの息の掛かった連中が包囲網を敷くのではないかと懸念する。  カイルはパテールの家に帰り着くと、ルーチェと二人で出て行くことを決意したと、パテールに告げた。 「出て行くって、本気か?」  パテールは驚いて、それから表情を曇らせた。 「ああ、居心地良すぎて、長く居座り過ぎたよ。これ以上、おまえに迷惑を掛けられないからさ。」 「そんなの、気にするなよ。おまえは特別なんだからさ…。」  変な間が空いて、パテールは少し焦る。 「変な意味に取るなよ!おまえの存在には感謝してるから、これくらいの事、屁でもないんだよ。」  高校時代にパテールが苛めに合いそうだったのを、救ったのがカイルだった。カイルに出会わなかったら、パテールは高校を辞めていたかも知れないと、口には出さないが、繰り返しそう思っていた。 「俺だって、特別に思ってるさ。…これからも、良い関係でいたいし、迷惑を掛けたくない。だから、出て行くんだ。」  カイルの決意は固く、パテールは折れた。  ルーチェに荷造りさせながら、カイルは問う。 「ルーチェは何処か行ってみたい所はあるか?」  少しだけ考えて、ルーチェは答えを出した。 「…ダラス。カイルが生活していた場所。」 「ダラスか…。ちょっと、不味いかな…。」  カイルはダラスの病院で現在療養中の父親を思い浮かべ、容姿がトロイと似すぎているルーチェの存在を明かすのを躊躇わされた。 「じゃあ、ダラスじゃなくてもいいから、テキサスに行きたい。」   カイルは少し考えてから頷くと、自身も荷造りを始めた。 「顔認証システムを掻い潜れるように、カイルとルーチェのIDを認識出来ないようにしておいたよ。…ハッキングしてる追跡者からは逃げられるけど、日常生活においては、カイル・エマーソンのままだから、気を付けろよ。」  出発当日、パテールは自分の仕事そっち退けで作業していた内容を告げた。 「俺の情報は知られてないんじゃないのか?」 「人工知能(ダイアナ)とは遭遇してるだろ?…彼女が逃走するギリギリの時間だったから、データとして残してるかは不明だけど、念の為な…。それに、何時(いつ)、追跡の対象者にされるか分からない時代だ。」 「そうか、有難う、マーダバン・パテール。」  カイルは素直に感謝する。  次にパテールは、大きめのノートPCをルーチェに渡した。 「ハッカー御用達のツールが沢山入れてあるから…。」 「有難う、マーダバン・パテール。」  ルーチェは受け取ると、カイルと同じように礼を言った。  カイルは中古のジープ、グランドチェロキーにエンジンを掛けた。空港を利用しないと決めたカイルに、パテールが用意してくれたものだった。  十年以上車検をしていない車らしいが、一昨日まで高速を走っていたものらしく、エンジン音に不安な要素はない。  比較的、飛ばさずに走行し出したカイルは、途中、数回の休憩を挟みながら長距離を移動した。アリゾナ州を目前にした処でカイルの疲労度が増した為、その日は適当なモーテルに宿泊する事にした。  カイル達が目指しているテキサス州まで、あと三つは州を越えなければならない。見えない追跡者の事を思うと、少しだけ急かされた気になるカイルだったが、焦らずに進んでいこうと心に決めた。

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