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第31話「追跡する者」

「やられた!」  AESのサーバールームで、ネイヴが声を上げた。複数あるモニターの幾つかが警告(アラート)を示している。  肩に垂らした金髪を乱暴に結い上げると、彼女は一人でキーボードを狂ったように叩き始めた。 「こんなの、全部想定済みなんだから!」  三十分近くサーバー上で戦った末、ネイヴは興奮した状態で勝利を口にすると、反撃に移ったようだった。 「馬鹿な奴!」  暫くして悪態を吐いたネイヴは、一際大きくキーボドを叩くと、手を止めた。そして、スマートフォンを手にすると、電話を掛けた。 「イーグレットちゃん?ちょっとロビン様のとこまで来てくれないかしら?」  数十分後、呼び出された理由が分からないトロイが現れた。 「どうしたの?」 「あんたを拉致った奴、ザック・レインだったわよね?」 「ファミリーネームまでは知らないけど、ザックとは名乗ってたよ。」 「たった今、サイバー攻撃を仕掛けられたの。多分、そいつの仕業よ。」  明らかに責められそうな雰囲気があり、トロイは狼狽えた。 「奴のアジトを出て直ぐ、通信機器は壊したよ。」 「SOSを発信するアプリを入れといたでしょう?あれを吸い出されてて、アラートの送信先から、ここを割り出されたんだと思う。」  やはり自分の所為なのだと自覚して、トロイは落ち込んで見せる。 「そう、ご免。…大丈夫だったのか?」 「ええ。私を誰だと思っているの?…若造を返り討ちにしてやったわよ!」 「若造って、身元調べたの?」 「調べたわよ。あんたが捕まってた時にね。ザック・レイン、二十一歳。…幼少の頃、ジャンキーの親に虐待されて育ち、十代の頃の大半は養護施設の世話になっていた。ニューヨークへは十五歳の時に一人で出てきたみたい。そして今や、不良少年達のボスでグレイソンの人工知能まで囲ってる…。後半部分は、あんたからの情報ね。」  トロイはザックがまだ二十一歳であった事と、彼の辛い過去に些か驚かされた。 「同情は禁物よ。…見事に痕跡を消してて、犯罪履歴や証拠の類は見つけられなかったけど、立派な政治的ハッカー(ハクティビスト)の可能性だってあるんだから。」  戦いの後の所為か、ネイヴの気が荒れている。 「同情はしてないよ。…で、俺は奴を締めてくればいいの?」 「そうじゃないわ。あんたを呼んだのは、これを見て欲しかったから。」  ネイヴは幾つかの情報をモニターに映し出した。 「これ、どうしたの?」 「返り討ちにしたって言ったでしょ!…侵入し返して、情報の一部を奪ってやったのよ。」  それはグレイソンの悪行が見つかった島の所在地、全貌、建物の見取り図の類だった。 「この島…。」 「そう。あんたが捉えられてた南の島とは違う、別の島よ。もっと北上して、カナダ寄りに位置する場所にあるみたいね。」  島の具体的な場所までは報道されていなかった為、トロイは勝手に自分が捉えられていた島だと思い込んでいた。それはネイヴも同じようだった。 「じゃあ、あのまま南の島の方を見張り続けてたとしても、何も分からなかったんだな。」 「そうなるわね。…グレイソンの技術への支援者は多いのかも知れない。だから、上手く逃走も続けられるのよ。もしかしたら国だって彼を罰せずに、秘密裏に彼を飼う事を考えるかも知れないわね。」 「怖い事、言うなよ…。」  ネイヴはトロイがグレイソンにレイプされた事実を知らない。時折、トロイが酷く怯える原因を、彼女は長期間による監禁生活だと思っている。 「ザックはT-S004を探しているし、同時にグレイソンも探してる。彼が今、目を付けているのは、スティーブン・ランターというシアトル支局のFBI捜査官よ。」  グレイソン事件の指揮を取ったというFBI捜査官を、ネイヴはモニターに映し出した。三十代半ばの紳士風な印象の男だ。島に潜入したのなら、トロイのクローンであるT-S004とも接触し、彼を救出した可能性が高かった。 「それなら先回りして…!」 「そっちはいいのよ。」  トロイの希望は、被せられる勢いで拒否された。 「私は別の人物に目を付けたわ。…あんたに頼まれて、定期的にエマーソン家を見張って…じゃなくて見守ってたでしょう?この事件摘発の時期に、カイル・エマーソンがランター捜査官と、シアトルで接触してた事が分かったの。」  ネイヴが『エマーソン家の観察日記』という、ふざけた名前のアプリケーションを開いて見せる。そこには人工知能が書いたログが連なっていた。 「もしかしたら、あんたの弟が何か知ってるかも…って、思わない?」  トロイは二十年以上会っていない家族の事を持ち出され、瞬時に血を(たぎ)らせた。 「今年の二月の事だろ?…何で早く教えてくれないんだよ?」 「教えるも何も、観察はAIに任せてる事だし、特別なアラートを発しない限りは見ないでしょう?それに国が管理する監視カメラの外の情報までは入手出来ないわ。…ランター捜査官を調べようとしたら、"カイル君と会ってたよ"って、ついさっきAIが教えてくれた感じで分かった事だし…。」  ログにはグレイソンの名は登場していない。ネイヴが言うように、トロイ自身が直接観察し続けていたとしても、追い掛けたりはしなかっただろう。 「確かカイルは一月に、倒れた父を看病する為に長期休暇を取ったんだよな。それから二月に怪我して入院。…そして直ぐに軍を辞めた。そこは俺もチェック済みだったんだ。」  トロイはログを読み直していく。そこで髪の長い少年が、カイルの見舞いに来たという記述に目を止める。 「この少年は怪しいな。映像の記録があれば良かったんだけど。…今度から『エマーソン家の観察絵日記』にしないか?」 「会話の盗聴もした方がいいのかしら?…そう言えば、あんたは日本人の母親との通信に関しては、盗聴してたよね?」  指摘されたトロイは、顔を紅潮させる。 「一月にカイルが父親が倒れた件を電話で話して以来、彼女とは連絡を取ってないよ。」  トロイは話を切り換える。 「今、カイルを追えるか?」  トロイの問いに、ネイヴが肩を竦めて見せた。 「それが不思議と見当たらないのよね。…監視カメラのない領域にずっと居るのか、特殊なセキュリティに守られた場所に居るのか…ってとこなのかしらね?」  監視社会のアメリカにおいて、監視カメラにずっと映らないでいられるのは不可能に近い。  ネイヴは見た目がインド人の、少しぽっちゃりした男の写真をモニターに映し出した。 「マーダバン・パテール。IT企業の幹部で、資産は数十億。…彼はカイルの高校時代の親友で、ランター捜査官と同時期に接触してる。彼の家はインテリジェント・ハウスだけど、生半可な腕じゃ、ハッキングは出来ない。」 「ネイヴの腕でも?」  トロイの他力本願的な視線に、ネイヴは徐々に怒りを覚えていく。 「もうさ、実家に帰って、カイルと直接、連絡取ったら?」 「それは無理だよ。…俺の存在はエマーソン家に迷惑を掛けてしまう。」  幼い頃に遭遇したエマーソン家襲撃事件は、トロイの心に深い傷を残していた。組織に追われていたアビー・リンとは同じ轍を踏まないと、彼は固く心に誓って生きているのだ。  トロイの落ち込み具合に、ネイヴは怒りを鎮める。 「冗談よ…。少し意地悪を言いたかっただけ…。やれるだけやってみるわ。」 「有難う。本業の合間でいいから…。」 「当たり前でしょ!」  トロイは笑顔を作ったものの、重い足取りでAESのサーバールームを出た。  暗い部屋でトロイは、全裸で椅子に拘束された状態で目を覚ます。 「すまない…トロイ。…政府がグレイソンの研究技術を手に入れる為に、おまえが必要になったんだ。」  辛辣な表情のトロイのボス、パトリック・クレーンが、説明をする。 「グレイソンが出した交換条件なんだよ。彼の技術を国に提供する代わりに、おまえの体を好きにさせると…。」 「犯罪者と取引なんて、どうかしている!」  次の瞬間、十六年前と同じ姿をしたスターリング・グレイソンが現れ、彼の素肌を撫で回し始めた。 「ああ…、また君を味わえる日が来るとはね…。」  グレイソンは執拗にトロイの胸に舌を這わせ、吸い付くと、空いた手で、決して濡れる筈のない孔を指で解し始めた。そこは水音を立て始め、グレイソンの指を何本も呑み込んでいく。 「嫌…、嫌だ…!」  トロイの両足が大きく持ち上げられた。その人物はグレイソンから一転して、ザックに変わる。 「よく解れてるじゃないか!」  ザックは見た事もないような大きさの男根を、トロイに突き立ててきた。 「ああッ!!」 「分かるか?根元まで入ってる…。」  極限まで奥を擦るザックに、トロイは身悶え、やがて絶頂に導かれた。  その瞬間、トロイは目を覚ました。そこがいつもの自分の部屋である事に安心したのも束の間、つい先程まで見ていた夢の内容に嫌悪感を呼び起こされた。  下半身にはドロリとした感触があり、夢精してしまった事実にも愕然とさせられる。そして、射精したにも関わらず、まだ硬さを維持しているものに、怒りを覚えた。  潜在的にザックを求めているかも知れない事を全力で否定する。 ――最悪だ!!  トロイはバスルームへ向かうと、冷たいシャワーを浴びた。  夢だったというのに、後ろで感じた快感は消えない。 「最悪だ…。」  今度は声にして呟くと、自分で慰める事はせずに体の水滴を拭き、下半身を無視してベッドへ戻った。そして枕元のタブレットを操作して、ひとつの音声データを再生する。  それは日本語で語られる親子の会話だった。 「あ、母さん?俺だよ、俺!」 「どちらの詐欺の方でしょうかね?」 「はあ?…カイルだよ。何、言ってんの?」 「知ってたけど、念の為よ。…久し振りね。何かあったの?」 「実はさ、親父が入院したんだ。…肝臓やられちゃったみたいで。」 「そう。自業自得ってところね。お見舞いなら行かないわよ。」 「分かってるよ。…ただ連絡しただけだよ。」  トロイは笑みを漏らす。先程までの嫌悪感からは解放されたようだった。 ――ママはアメリカには、もう来ないつもりなんだな。  トロイの中の母親は、血の繋がりのない日本人女性の(かえで)だった。彼女の声を聞くだけで、全ての恐怖や負の感情から解放される事が出来た。  そして、彼は再び眠りに落ちていった。

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