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第30話「レイヴン~TOXIC~」

 レイヴンには中毒性になる何かがあるようだった。  一度レイヴンを抱いてから、ザックは日を開けずに彼の体を求めるようになった。  レイヴンの体は白く艶めかしく、芳香を漂わせている。そして彼から滲みだす液体は全て甘い――。  繰り返される情交は、余計にザックを麻薬中毒者のようにしていった。  それから間もなくして、ザックは体の不調を感じるようになった。微熱が引かなくなり、軽い嘔吐や眩暈も感じた。 「季節の変わり目だから、風邪でも引いたのかも知れないな…。」  秋口に入り、朝晩が冷え込むようになった所為で風邪を引いたと思ったザックは、市販の風邪薬を飲んで様子をみた。しかし、一向に良くなる気配はなく、症状が出始めてから一週間した頃には、起き上がるのも困難になっていた。  ザックは病んでいるにも関わらず、レイヴンの体を求める。  そんなザックをある時、レイヴンは憂いを帯びた瞳で、やんわりと拒絶した。 「駄目だよ、ザック。…君をこんな体にしたのは俺なんだ。…俺の体液は毒なんだよ。俺の粘膜に触れるだけでも毒に侵食される。」  急な告白に、ザックは目を細めてレイヴンを見た。 「…何を言っているのか、分からない。」  理解出来ないのは正直な心情で、ただレイヴンが泣いている事に気付いたザックは、彼の頬に手を伸ばした。 「この涙にも触っちゃいけない。」  涙を拭おうとしたザックの手を阻止して、レイヴンは続ける。 「俺は…あいつらに生かされているから、逆らう事が出来なくて…。元々、暗殺の為に造られた体だから、目的を失ったら生きてる意味なんかないのに…。」 「レイヴン、本当に理解が出来ないんだ…。」 「そうだよね。でも、聞いて。俺はT-CC579。人工的に造られた暗殺用の生命体だ。…あなたはトリスタンというギャングのボスに命を狙われていて、俺が送り込まれた。あなたは僕に居場所を与えてくれた良い人だったのに、本当にご免なさい。…あなたを死なせたりしないから。」  そう言い残して、レイヴンは部屋を出て行った。 ――T-CC579?何の型式だ?…俺は、今、何の話を聞いた?  思考の定まらない頭で、ザックはレイヴンの言葉を反芻すると、意識を失った。  次にザックが目を覚ました時、レイヴンが解毒薬を飲ませた事を告げた。そして解毒薬を入手する際に、彼の裏切りが敵にバレた事も告げられた。  数時間後、嘘のような回復を見せたザックは、トリスタンに復讐する為に彼の情報を洗い始めた。そして彼が麻薬王だった元マフィアの子飼いのギャングである事を知ると、元締めから五十万ドルを横領したと情報を操作した。これで内部紛争は免れられないだろう。  それを見届けて立ち去ろうとするレイヴンを、ザックは引き止める。 「何処へ行く気だ…?」 「俺は暗殺者だよ。ここに居られる訳ないじゃない。」 「俺の命を救ったのは、おまえだろ?…俺の傍を離れるのは許さない。」  仕方なくレイヴンは、キーボードを忙しく叩き続けるザックの傍に留まる。 「売春宿の支配人も仲間か?」 「あの人は事情も知らずに、上の命令を聞いているだけ。」  レイヴンは再度、自分を手放すようにと、ザックに説得を試みる。 「俺が普通の人間じゃないって話、覚えてる?」  ザックは手を止めると、レイヴンを見つめた。 「遅延性の毒物で出来てるんだろ?だから、もう、キスも出来ないって?」 「そうだよ。それに、俺は…長く生きられない。」  レイヴンはパーカーのポケットからピルケースを出し、中身を見せた。中には見た事のない、薄紫色のカプセルが三粒入っていた。 「この薬一粒で一週間延命出来る。だから、後、三週間の命って事なんだ。」 「信じられないよ。そもそも造られた生命体なんて、そんなのSF小説や映画の世界の話じゃねぇか!」 「本当に造られたんだ。ある人間の遺伝情報をベースに、培養液の中で生まれた五百七十九体目の個体、それが俺。毒を持ったタイプとしては二体目らしい…。」  一向にぶれないレイヴンの話に、ザックは信じたくない信念を折られる。 「誰に造られたんだよ?そいつに頼めば、もっと延命して貰えるのか?」  レイヴンは首を横に振る。 「誰に造られたのかは知らされていないんだ。…それに俺達が三ヶ月以上生きた前例はない。」  ザックは椅子に座ったまま、レイヴンを引き寄せると、その細い腰を抱き締めた。 「何でもいい!傍に居てくれ…。」  レイヴンは辛そうに目を閉じると、ザックの肩を優しく撫でた。  それから二週間、変わらず寝起きを共にするザックとレイヴンの下へ、新しい刺客が銃を持って寝込みを襲って来た。  それに一早く気付いたレイヴンが、撃鉄が起こされる前に男と揉み合いになった。しかし体勢を崩してレイヴンが床に倒れると、男はその背中に向かって二度引き金を引いた。  灯りを点けると、刺客は黒人の男で、トリスタン本人である事が分かった。  瞬時に何が起こったのか理解したザックは、トリスタンに蹴りを入れてハンドガンを奪うと、容赦なく彼を射殺した。弾が尽きるまで撃ち、弾が無くなってからも暫く引き金を引き続けた。 「レイヴン!」  我に返って、倒れたレイヴンを抱き起こし、ザックが名前を呼ぶと、レイヴンは小さく顔を横に振った。 「俺はT-CC579。俺は人間じゃないから、死んでも悲しむ必要はない…。」 「何、言ってるんだ!死なせるわけないだろ!」 「知ってるだろ?俺の寿命は…後一週間ってとこだった。だから、もう、いいんだ。…俺の血に触れないで。」  レイヴンは自力で立ち上がろうとする。しかし、彼の体は言う事を聞かなかった。 「…俺は死んだら溶けていくから、見られたくないんだ。…だから、海に捨ててくれる?」 「そんな事、出来るか!レイヴン、愛してるんだ!死ぬな、離れたくない!」 「俺の最後の願いだよ…。」  レイヴンの決意は固く、ザックは仕方なく車の助手席に彼を乗せると、埠頭へと走らせた。 「…俺みたいな毒を持っているタイプは、少しだけ…目と髪が青み掛かってる。…女の子タイプもいるかも知れないから、気を付けてね。」 「レイヴン、俺はもう、おまえじゃないと()たねぇよ!」  その言葉に、レイヴンは静かに微笑んだ。 「レイヴン、愛してるよ…。」 「俺も愛してる。あなたを助けられて良かった…。」  埠頭に辿り着いた頃、レイヴンが息を引き取った。  ザックは一度大きく咽び泣いた後、レイヴンの願い通りに彼の遺体を海に投げ入れた。  それから数時間、彼はその場で泣き続けた。  ザックはレイヴン亡き後、必死で彼を造った者を探した。レイヴンを発注したとみられる、元マフィアの男のメールや通信履歴をハッキングして調べてみたが、独特な暗号化、若しくは隠喩化されているのか、怪しげな固有名詞を特定する事は出来なかった。  レイヴンの死から四ヶ月後、何も手掛かりが掴めないでいるザックの下へ、ダイアナという人工知能のプログラムが圧縮された形で逃げ込んで来た。  容量の大きさから不信に思いながらも解凍してみると、ダイアナは先ず礼を述べ、丁寧に自己紹介すると、T-CC579について話し出した。  ザックは把握した内容から、T-S004という、レイヴンと同じ顔をした、より人間に近い少年が存在している事を知り、彼を探し始めた。  レイヴンが開けた大きな穴を、その少年が塞いでくれる気がしたからだった。  その最中、ザックは死んだと記録されていた遺伝子ベースとなった男、トロイに偶然遭遇する事が出来た。彼もまた、彼自身のコピー品を見つけて回っているようだった。  ザックはトロイの仲間にも凄腕ハッカーがいる事を聞き、その動向を監視する事を思いついた。  テキストインターフェースの画面を素早くスクリプトで埋めていき、彼女のコンピューターから、ルート権限を手にする事が出来た。しかし、それは束の間の出来事で、速攻でブロックされてしまった。それだけでなく、彼女は反撃してきた。 ――バックドアからの復活、見事な返り討ち、魅せてくれるね。…幾つかのデータはプレゼントしてやるよ。  わざとデータを幾つか流したザックは、特に焦った風もなく相手を締め出した。そのデータの中にはFBIのスティーブン・ランターの情報もあり、当初の予定では、トロイの仲間に探らせて、情報を盗む手筈のものだった。 ――アクセス出来ない以上、自分でやるしかないな…。  ザックは渋々、標的をFBIシアトル支局のコンピューターに切り替えた。

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