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第37話「名前」

 通信傍受を警戒するカイルとルーチェに、親友のパテールが自作したという通信システムを提供して来た。  それを使って、カイルは日本にいる母親、(かえで)とビデオ通話を始めた。 「すっかり大人になってしまったわね。」  ビデオ越しではあるが、久々の対面で親子は少しだけ涙ぐんだ。 「母さんは、余り変わってないかな?…少し、痩せた?」 「そうでもないわよ。」  会社の自室からといった佇まいの楓は、上品なスーツ姿で凛としている。元夫であるカーティスより三つ年下の彼女だが、はるかに若く見える。 「今回から、この回線を使うけど、いいよね?」 「いいけど、盗聴の可能性でもあるの?」 「そんなところだよ。あと、念の為、兄貴の名前は出さないでくれる?」 「どうして?」 「ただのNGワードだよ。」  納得したかは、さて置き、楓は頷いてくれた。 「今日は孫の顔を見せてくれるのかしら?」  楓の期待に応えるように、カイルはノートPCの前にルーチェを呼んだ。  「初めまして。」  初めて見るルーチェの顔に、楓は衝撃を受けたようだったが、直ぐに笑顔を見せた。 「初めまして。日本語、話せるのね?」 「こいつの母親の祖母(ばあ)ちゃんが日本人で、母親から習ってたんだってさ。」  代わりにカイルが説明するが、楓の視線はルーチェに固定されてしまっている。 「日本での、こいつの名前を決めようとしてるんだ。こっちでは母親が付けたルーチェって名前なんだけど、日本人になるからには、日本の名前が必要だと思ってね。」  カイルは気にせず、話を進めていく。 「ルーチェって、可愛い名前ね。」 「イタリア語で光って意味なんだ。それで、姫川光(ひめかわひかり)って思ったんだけど、ヒカリってさ、なんか新幹線のイメージしかないんだよな。…で、姫川ライトってどうかな?」  それを否定するように、ルーチェが口を挟む。 「日本名になってない気がする。…別にルーチェに拘らなくていいと思うんだけど。」 「そうね。本人の希望に添うべきだと思うわ。」  楓は賛同してくれたが、カイルは引き下がらない姿勢を見せた。 「ルーチェは母親が想いを込めて付けた名前なんだから、それに因んで付けるのは譲れない!」  ルーチェは肩を竦めて見せると、近くにあったカレンダーを外し、その裏に大きく文字を書いて持って来た。   「…ねぇ、じゃあ、(あかり)ってどうかな?」 「何、そんな難しい漢字調べ出してるんだよ?…って、おまえ、活字みたいな字を書くな。」  カイルが突っ込んだ通り、ルーチェの書いた文字は印字されたものを再現したように整っている。 「燈ね。日本語に訳すと、光よりもランプって意味合いになると思うけど。…あと、日本(こっち)じゃ少し、女の子っぽい名前かしらね。」  楓は素直な感想を述べた。 「じゃあ、燈と書いて、ライトと読ませる。」  強引に割り込んできたカイルの意見に、ルーチェは疑問を覚える。 「辞書に載ってない読み方で通るの?」 「通すんだよ。」 「その辺、理解出来ないんだけど…。」 「あれだよ、英語でいうところの…スラングって奴?」 「はぁ!?スラングが名前なんて嫌だよ!」 「スラングは間違った!えっと…。」  二人の遣り取りを笑いながら見ていた楓だったが、カイルが言い淀んだところで窘めに掛かった。 「あのね、カイル。今、キラキラネームってものが、今時の子供の一部に付けられてるんだけどね…。時と場合によっては、恥ずかしい思いをするみたいよ。普通読みしないと、ちょっと痛いんじゃない?」  ルーチェに軍配が上がり、カイルは大人しくなった。 「と、言う訳で、カイルの案は却下ね。燈でお願いします。」  ルーチェの本意としては、ただ単純に漢字の雰囲気を気に入ったのと、カイルが書けないだろうと推測してからの、意地悪チョイスでもあった。 「了解。それじゃあ、日本名は姫川燈ね。」  楓がメモを取ったようだった。  多少時間は掛かっているが、着実に日本移住への計画は進んでいっていた。  名前の件が一段落して、ルーチェが軽く手を振ってフレームアウトしていった。  手を振り返した楓が、カイルに別の話を切り出す。 「あんたの従弟の(たすく)君、憶えてる?」 「ああ…確か、小学生か中学生の時に、俺に会いたいって言って、単身、遊びに来た奴だよな?」  カイルは自分が高校生だった頃に、たった一人で遊びに来た小さな少年を思い出した。 「そうそう、あの怖い物知らずの子ね!」 「その匡が、どうかした?」 「来月か再来月に、自分の船でメキシコに行くみたいなんだけどね。会いに行ってあげたらどう?」  軽く言われて、カイルは明らかに戸惑う。 「…どう?って、メキシコだろ?…ここ、何処だと思ってる?」 「テキサスじゃなかったっけ?隣じゃない!」 「隣だけど…、狭い日本と一緒にすんなよな。」  アメリカの大きさ舐めんなよ、と思ったカイルだったが、会話を遡って、ひとつのワードを反芻させる。 「船って言った?」 「ええ。匡君、一等航海士だから。船はバルクキャリアってやつみたいよ。…雪音(ゆきね)さん、あ、匡君のお母さんね、彼女のお使いらしいわ。」  母親のお使いで撒積貨物船(バルクキャリア)でメキシコへ行かされる息子というシチュエーションに、カイルは姫川家の常識を疑った。 「詳しい連絡は本人にしてみてよ。…連絡先、メールしてあげる。」  楓との通信を終えたカイルは考え込む。  今まで、日本を出る手段は航空機のみだと思っていた彼にとって、船は考えてもみなかった選択肢だった。  空港を利用するのは、予てから危険だと思っていたので、親戚の船を利用出来るとなれば、それはこの上ないチャンスに違いないだろう。  暫くして、ルーチェのノートPCに匡の連絡先が届いた。  カイルは一度しか会った事のない従弟に、早速連絡を取る事にした。

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