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第38話「燈として…」
十四年ほど前に一度しか会った事のない従弟が、船でメキシコに来るというので、カイルは彼に連絡を取った。
最初にメールで遣り取りしてから、時間を示し合わせ、ビデオ通話を開始する。
ダラスが夜の十時頃なので、日本は正午といったところだろう。
「お久し振りです、カイルさん!」
ノートPCの画面から、日に焼けた精悍な顔付きの青年が手を振っている。
「久し振りというか、初めましてな感じだな。」
「そうですか?…確かに中学一年の頃からは大分、成長しちゃってますかね…。」
カイルの従弟、姫川匡 は過去を振り返り、照れくさそうに笑った。
「カイルさん、日本語、相変わらず話せるんですね!…俺も、あの頃よりは、英語、上手く話せるようになったんですよ。」
「そうなのか?…まあ、俺相手には日本語でいいよ。」
カイルに計らいを受けたと思った匡は、英語で話すのを勧めて来たが、カイルは頑なに日本語で話す事を譲らなかった。
それはカイルが、安全な通信システムを使用しているにも関わらず、盗聴を心配してしまっているのが要因だった。
幾つかの近況報告をし合った後、カイルは匡がメキシコへ来る、具体的な日程を尋ねた。
「十一月の始めになりそうなんですが、問題ありませんか?」
「約一ヶ月半後か…。ああ、それくらいなら待てるよ。」
カイルは壁のカレンダーを見つめ、今の生活をキープし続けるのに、堪えられそうな日数だと判断する。
「詳しい日程は追って連絡しますね。マンザニーロ港を利用するんですけど、通関が約一週間くらい掛かるんですよ。なので、到着予定から四、五日遅れで来られて、調度いい感じじゃないかなって思われます。」
「了解。…準備を整えて連絡を待ってるよ。」
そこで話を区切らせると、カイルは少し話し難そうにして、別の問題点を切り出した。
「姫川家の養子の件、聞いてるだろ?」
「はい。…確か、十三歳の燈 君でしたよね?」
「うん、その子なんだが…。ちょっと普通の人間じゃないんだよな。」
燈の話になり、カイルがベッドの上で胡坐 をかいている燈の方向をチラリと見ると、彼はしかめっ面をして舌を出した。
「普通じゃないって?」
「これは姫川家の人間には絶対に言わないで欲しいんだけど、ルーチェ…燈は特殊なDNAが入ってて、男相手に発情するんだよ。」
匡は笑顔のまま、少し固まる。
「特殊なDNA…?発情…?」
「信じ難い事だとは思うけど、燈は男の欲情を嗅ぎつけると、発情してしまうんだ。」
カイルは奇想天外な話をしている自覚があるので、匡の反応を心配する。
「えっと…。人間は万年発情期ですからね!…でも、相手が男って、同性愛者って事ですか?」
微妙に的は外れているが、遠からず近からず、匡は彼なりに理解しようとしているようだった。
「そうなるのか…?」
問われて疑問に思ったカイルと目が合い、燈は肩を竦めて見せた。そんな燈をカイルは手招きする。
「初めて会う人に、そんな紹介の仕方、ないよね。」
燈は小さく不満を洩らすと、PCの前に近付いた。
「これが、その燈だ。」
「燈です。初めまして…。」
不機嫌さを封印して、燈は微笑を作る。初めて見る生粋の日本人青年は、健康的な肌の色をしており、好感が持てた。
「初めまして!…燈君って、綺麗だねぇ。」
素直な感想と思われる言葉が匡の口から洩れ、カイルは眉を顰めた。
「変な感情は持つなよ。それが命取りになるんだ。…もし、船上で燈が発情してしまったら、その時は匡に面倒みて貰うからな!」
「え?どういう事ですか?」
匡は流石に不安そうな顔を見せた。
「ちょっと、精液貰ったりするだけだから、心配するな。」
――いや、心配するよね…。
画面の向こうで狼狽える匡に、燈は同情の目を向けた。
そんな遣り取りをしながら、カイルと燈は日本へ立つ準備を整えていき、時を待った。
十一月に入ると、カイルは職場を辞め、アパートメントの荷物を整理して、大抵の物を捨て去った。そして、時折電話で連絡を取っていた、父親のカーティスの元を訪れることを決めた。
今年の始めに肝臓を悪くして入院していたカーティスだったが、六月には退院し、警察官として復帰したようだった。
まだカーティスが帰宅していない実家の扉の鍵を開けて、カイルは燈を招き入れた。
トロイが一度も生活した事のないこの家に、彼と同じ容姿をしている燈の姿があると思うと、不意にカイルは不思議な感覚に陥った。
「ここでカイルは大きくなったんだね。」
嬉々として燈は、家の中を探索し始めた。以前からカイルの実家を訪れたいと言っていたので、願いが叶ったと言ったところなのだろう。
「カイルの部屋、入ってもいい?」
「いいよ。」
カイルが軽く返事をすると、燈は知らない筈のカイルの部屋を目指して、階段を駆け上がった。
肩を竦めてその光景を見送ってから、カイルはスマートフォンを取り出し、カーティスに電話を掛けた。
今、自宅に帰って来ている事を告げると、カーティスは直ぐに戻ると言って電話を切った。カイルは少しだけ慌てる。
二階の自室へ行き、ベッドの上でカイルのアルバムを勝手に見ている燈に声を掛ける。
「ねぇ!マーダバン・パテールがガリガリなんだけど!」
高校時代の写真に映る、インド系の少年を燈が指す。
「うん。よくパテールだって分かったな?…それはさて置き、これから親父が帰って来る。…俺が呼ぶまで、ここに居てくれるか?」
燈は二度頷いた。
「何か飲み物持ってきてよ。…温かいやつ。」
「了解。」
燈のリクエストを受け、カイルは階下でコーヒーの準備をし、二人分のコーヒーを淹れた。
そうこうしているうちに、カーティスが勢いよく帰って来た。約十一ヶ月振りの再会に、親子は固く抱擁し合った。
「体調はどう?」
二人はリビングルームのソファに落ち着く。
「死に掛けてるよ。息子にも見放されて…。」
カーティスは態 と不貞腐れて見せる。
「悪かったよ。…思いの外、面倒な事になっててさ…。」
言い訳を始めたカイルに、カーティスは不意に辛そうな顔になった。
「そいつは済まなかったな…。」
少なくともカーティスは、カイルが軍を辞めたり、暫く姿を見せなかったのは、トロイの捜索に巻き込んだ、自分の所為だと思っているようだった。
カイルは金持ちの親友の家で寛いでいた期間があった事だけは、絶対に話せないな、と脳裏に過らせた。
話を逸らすように、カイルは二階に待機させている燈の件を持ち出すことにした。
「実はさ、父さんに会わせたい奴がいるんだけど…。心臓は強い方だったっけ?」
その一言に、カーティスは前のめりになった。
「まさか、トロイなのか?」
「違うけど…。きっと驚くよ。」
カイルは立ち上がると、一旦、リビングルームを出て、燈を階下から呼んだ。
暫くして、カイルの陰から姿を現した形になった燈に、カーティスは驚愕させられる。
「この子は…!?」
「トロイの息子だ。…最後に見たトロイとそっくりだろ?」
髪型こそ違っているが、それ以外は少年時代のトロイの容姿をして、燈はおずおずと挨拶をする。
「初めまして…。燈です。」
カーティスは目に涙を光らせ、燈の両肩に手を伸ばした。
「もっと近くで顔を見せてくれ。」
ほんの少し体を固くした燈を気にすることもなく、カーティスは彼の体を隈なく見て、その体の数ヶ所に手を這わせた。
「瞳の色も…耳の形も…爪の形もトロイにそっくりだ。」
そんな事を言うカーティスを、カイルは流石、父親だと思った。
「…何から質問すればいいのか、よく分からないくらいだが、取り敢えず、会いに来てくれて有難う。」
そのテンションに水を差すのが申し訳ないと思ったカイルだったが、カーティスの肩を軽く叩いた。
「感動してるとこ悪いんだけど、あまり長くは居られないんだ。言ったろ?面倒な事になってるって…。この子は追跡の対象になっている。」
「アビーの組織か!?」
カイルの母、楓 と同じようにアビー・リンの記憶を蘇らせたカーティスに、カイルは事の真相を掻い摘んで話すことにした。
「いや、父さんの事だから、直ぐに真相に辿り着くだろうから話すけど、カディーラのスターリング・グレイソンの事件は知ってるか?」
「知ってるも何も、そいつはトロイが消息不明となった原因かも知れない男の事件だろう?気に掛けてはいたよ。」
「そう。そいつは、ルーチェ…、いや、燈の母親の上司でもあったんだ。グレイソンは彼女を実験体にして、更にその息子の燈まで実験体にしようとしているらしいんだ。」
「指名手配されてる身でか?一体、どうして…?この子に何があるっていうんだ?」
伏せておきたい要点に話が進みそうだったので、カイルは惚けて見せた。
「さあな。この子の母親は死んでしまったし…。この子の遺伝子が欲しいんだろうけど、マッドサイエンティストの考えてる事なんか分かんねぇよ。」
「…FBIは一体、何をしているんだ!」
「落ち着けって!」
カイルは今にも飛び出して行きそうな父親を制する。
「…実は燈を姫川家の養子にして貰う事にした。これから日本人として生活するんだ。」
「楓に…?」
「ああ、相談したら、即、行動してくれたよ。四日後にはメキシコから船で日本に発つ。それで、父さんに相談があるんだ…。」
カイルは実家へ態々立ち寄った本当の理由を切り出した。
「何だ…?」
「メキシコに通じてる地下道の入り口を教えて欲しい…。安全に使えるやつをな。」
その一言に、カーティスの顔が渋くなった。
「俺は警察官だぞ。」
そう言い放ったカーティスだったが、深い溜息をひとつ吐くと、表情を和らげた。
「…まあ、いい。アップタウンにあるサムズシェルというシーフードの店に行け。そこで店長の弟を訪ねればいい。」
「有難う…。」
カーティスの手が、燈の細い腕を優しく掴んだ。
「今夜は泊まっていくよな?」
「ああ、今夜だけな…。」
本物の祖父と孫の関係に見える二人に、カイルは目を細めて頷いた。
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